JR東日本(東北)
鉄道が廃止すると町が廃れる、という主張は正しいのか。東日本大震災をきっかけに鉄道が廃止になった自治体について、その周辺の自治体と「人口」「観光入込客数」で比較してみました。
2月下旬、福島県の双葉町にある原子力災害伝承館、産業交流センターを訪ねました。 今回は、両施設を訪問した記録についてお届けします。
2月下旬、福島県の双葉町にある原子力災害伝承館、産業交流センターを訪ねました。 今回は、JR常磐線を下車した双葉駅と周辺についてお伝えします。
7/23~26の4連休、岩手県内を旅した記録。最後は、JR山田線の「さんりくトレイン宮古」で三陸沿岸を後にします。宮古・盛岡グルメも。
7/23~26の4連休、岩手県内を旅した記録。今回は、4日間で撮影した三陸鉄道を中心とした写真をまとめました。
7/23~26の4連休、岩手県内を旅した記録。3日目の午前は、降りしきる雨の中、釜石駅を出発するSL銀河を撮影したのですが……。
7/23~26の4連休、岩手県内を旅した記録。遠野から釜石まで「SL銀河」に乗車しました。
7/23~26の4連休、岩手県内を旅した記録。まず新花巻から遠野へ行き、田園風景の中を走るSL銀河の撮影をしました。
鉄道を受け継いで運行されている気仙沼線BRTのバス(柳津駅にて)
県を跨ぐ移動自粛要請が解除され、さっそく三陸へ出かけました。2日目の朝は気仙沼で日の出前の風景をホテルから眺め、初発で柳津駅へ向かいました。
2020年3月14日、ついにJR常磐線が全線で運転を再開。その翌日は富岡から仙台へ向かい、折り返して上野まで特急ひたちに乗車しました。
2020年3月14日、ついにJR常磐線が全線で運転を再開。早朝の一番列車の発車から、地元の方々の歓迎、そして特急ひたちの通過まで見届けました。
2020年3月14日、ついにJR常磐線が全線で運転を再開。ダイヤ改正前日、運行を終了した常磐線代行バスの1日を見届けました。
2020年3月14日、ついにJR常磐線が全線で運転を再開。今回はダイヤ改正前日、常磐線でのラストランを迎えた651系です。
JR仙石線の野蒜(のびる)駅は、震災後に高台に移転して営業を再開しましたが、旧駅舎とホームは震災伝承施設や震災遺構として残されています。訪ねてみたところ、予想外の展開に……。
3月14日に9年ぶりの全線運転再開を迎えるJR常磐線。それとともに、代行バスの運行も終了となります。その車窓から、帰還困難区域の現状を見てきました。
3月14日に9年ぶりの全線運転再開を迎えるJR常磐線。いわき~仙台間では特急の試運転が行われています。その姿を追ってみました。
3月14日に9年ぶりの全線運転再開を迎えるJR常磐線。それと入れ替わりに撤退することになる、普通列車として運行されている651系を撮ったり乗ったりしてきました。
日本三景の一つ、宮城県の松島湾を俯瞰する「西行戻しの松公園」で、仙石線を入れて撮影できることがわかったので再訪してみました。
2020年1月中旬、台風19号で被災し、全線復旧を目指す三陸鉄道に乗車。三陸駅前では津波を耐え抜いた「ど根性ポプラ」なども見てきました。
2020年1月下旬、日本三景の一つとして知られる宮城県の松島へ。俯瞰して鉄道と松島湾を撮れる場所を探していたら、「西行戻しの松公園」へたどり着きました。
2020年1月下旬に運転された仙台~鳴子温泉間の「風っこストーブ湯けむり号」に乗車し、鳴子温泉を訪ねました。
快速「きらきらうえつ」に乗るために、山形県の余目駅まで向かった際の旅行記。引退が迫る新潟地区のキハ40系で、2つの編成に出会うことができました。
快速「きらきらうえつ」に乗るために、山形県の余目駅まで向かった際の旅行記。余目駅へ到着後に少し時間があったので、足を延ばして羽越本線脱線事故の慰霊碑を訪れました。
快速「きらきらうえつ」に乗るために、山形県の余目駅まで向かった際の旅行記。城下町をイメージしたデザインの新発田駅から、特急「いなほ」で日本海の絶景を眺めつつ余目へ向かいました。
今年9月末で定期運行を終了する快速「きらきらうえつ」に、運よく乗車できてしまった乗車記。車内やオリジナル弁当の紹介、列車の醍醐味となる日本海の絶景など。
2017年夏、予定外に奥羽本線の新庄駅にやってきた時に目にした、標準軌と狭軌で分断された駅構内の風景。
2017年7月、東日本大震災の津波被災地に初めて降り立った、女川駅前での記録。
2017年7月、仙石東北ラインと石巻線(石巻~女川)に初乗車した際の記録。女川までの直通運転も、仙石東北ラインでハイブリッド気動車が採用された副産物でした。連絡線部分の写真、仙石東北ラインや震災の影響についての考察等。
2017年7月の、東京~女川間往復日帰りという強行日程。そのうち常磐線全線(竜田~原ノ町間は代行バス)を乗り通した記録と、初めて目にした被災地で突き付けられた現実。