君と、A列車で行こう。

鉄道とシミュレーションゲーム「A列車で行こう9」を中心に綴るブログ。当面、東北地方太平洋沿岸の訪問をメインにしています。

福島県双葉町を訪ねて (2)産業交流センターと原子力災害伝承館

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2020年9月にオープンした東日本大震災原子力災害伝承館

今年(2021年)2月下旬、福島第一原発事故により町内ほぼ全域が帰還困難区域となっている福島県双葉町などを訪ねましたので、その記録をお届けします。

前回はJR常磐線で双葉駅で下車し、駅や周辺の様子についてお伝えしました。

a-train.hateblo.jp

今回は、双葉町の海沿いにある双葉町産業交流センターと、隣接する東日本大震災原子力災害伝承館を訪ねます。

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列車の発着にあわせて運行している、双葉駅と産業交流センター、原子力災害伝承館を結ぶシャトルバス。

当面の間は無料です。これに乗車して5分ほどで到着しました。

※2021/4/21追記:2021/4/1より、片道200円(小児100円)・2回券350円(大人のみ)となりました。

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バス停の目の前には、4階建ての産業交流センターがありました。

初実食!なみえ焼そば

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到着したのが11:45ごろだったので、さっそく昼食です。

産業交流センターには、1階にフードコート、2階にレストランがありますが、まずはB級グルメとして有名な「なみえ焼そば」をいただくため、フードコートの「せんだん亭」へ。

なみえ焼そばは並・大盛・特盛が選べますので、特盛(900円)をチョイス。

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この画像だけ出されたら誰しも「焼うどん」と言うのではないでしょうか。それぐらいの太麺です。

ソースの香りと、大ぶりに切られた豚肉が食欲をそそります。

最初はそのまま食べ進め、途中で味変えのために2袋添えられた唐辛子の袋を1つだけ使用して完食。

太麺がこう、「ガッツリ食べてる!」という感じを演出していていかにもB級グルメでよいですね。

この焼きそばをつけ汁に漬けて食べるらしい「つけ焼そば」や、卵黄トッピングなどもあるので、そういったのも試してみたいところです。

このフードコートにはもう1つ、「ペンギン」というファストフード店があるのですが、この日は休業日でした。

昼の12時台でしたが、私の他に同時に利用していたのは1~2名程度。平日は上層階のオフィスからの利用があるのでしょうが、名だたる観光地というわけでもなく、近隣の利用もゼロなので、休日はこんなものかもしれません。

屋上からの景色と中間貯蔵施設

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屋上から付近を一望できるようなので行ってみます。

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すぐ東側はもう太平洋です。

海岸には防潮堤、海に注ぐ川には護岸が築かれています。

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北側は復興祈念公園として整備中ですが、津波に流されたと思われる被災物が集められた一角がありました。

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双葉駅からやってくるシャトルバス。左上の方に小さく双葉駅が見えるのがわかりますでしょうか。

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赤丸の部分が双葉駅になります。

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南側、福島第一原発がある方向を見ると、手前で造成中の工業団地の奥には、県内の除染によって発生した放射性廃棄物の中間貯蔵施設が広がります。

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今後も除染は進みますので、さらに廃棄物は施設を埋め尽くしていくはずです。

そして、30年以内に福島県外で最終処理をすることになっていますが。

結局ここを最終処理場にすることになるんじゃないか、という危惧はどうしてもありますね。

標葉せんだん太鼓の演奏

この日は、屋外のイベント広場で「標葉せんだん太鼓」の演奏がありました。

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今の双葉郡の名称は「標葉(しめは)郡」と「楢葉郡」の2つの葉が合併したことに由来し、そして双葉町は、その後の町村合併により「標葉町」となった後に「双葉町」に改称した、という歴史があります。

「せんだん」は双葉町の花ともなっているセンダンの花のことだと思います。

sendantaiko.sakura.ne.jp

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2曲合わせて15分ほどの演奏でした。

今は他の地域で活動しておられるはずですが、10年に及ぶ全町避難という中にあっても、地域の血脈を絶やさないためにこうして活動を続けているというのは素晴らしいことだと思います。

東日本大震災原子力災害伝承館へ

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産業交流センターに隣接して、福島第一原発事故を中心とした展示を行っている東日本大震災原子力災害伝承館があります。

www.fipo.or.jp

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吹き抜けの広々としたエントランスホール。ここでは、福島県内だけではなく、岩手・宮城も含めた、震災と復興の写真が数多く展示されています。

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写真の中には、こんな感じの構図で(撮影場所は同じ大船渡湾口)大船渡線BRTを撮影したものもありました。

入場料は大人600円です。

最初に、福島第一原発の歴史と、事故の概要を紹介する5分ほどの映像を見て、その後、通路を進んで展示を見ていきます。

以下のような内容で構成されていました。

  • 主に原発を巡る地域の歴史
  • 発災後、福島第一原発1号機・3号機・4号機が次々と水素爆発を起こしていった詳細な時系列
  • 震災とその後の暮らし
  • 避難後の地域に残された、当時を物語る様々なものの展示
  • 他の主要な原発事故(スリーマイル島事故、チェルノブイリ原発事故、JCO臨界事故)の紹介
  • 除染や将来の産業構想など、復興に向けての取り組み

1時間半ほどで見て回ったのですが、映像資料が多用されており、それを全部丹念に見ていると倍はかかるのではないかと思います。

展示内容については、福島県が主体となって整備した施設としては、これが限界なのかなあ、という感じはあります。

たぶん、今ここを訪れる人の多くは、原発をはじめとするエネルギー問題をどのように考えたらいいのか、その答えを探る目的があるのではないかと思います。

ただ、そうした部分についてはぽっかりと穴が開いたように触れられていません。

発生が避けられない大津波と違い、原発事故は人の営みの結果として発生したものでした。津波の発生を止められなかったのか、というのは愚問ですが、原発事故を止められなかったのか、というのは当然あるべき問いです。

とはいえ、国のエネルギー政策に関わるとてもセンシティブな話だけに、公立の展示施設で扱うのは難しいのでしょう。

私が感じた違和感を一つだけ表明しておくと、沿岸の市街地に津波が襲来した映像がモノクロ化されていたのはなぜだろう? と思いました。

津波災害の伝承施設もいくつか見てきましたが、モノクロ化された映像は見たことがありません。

モノクロ化は、現実感や臨場感を喪失させ、映像を客観的に見せる作用があります。それがこの展示において求めていたものなのかどうか。その意図は何なのだろう。ということが気になっています。

考えられることとしては、この伝承館の展示においては津波は従であり、原発事故が主になるため、従となる津波の映像は背景的な役割として、強調しすぎないようする、ということはもしかしたらあるのかもしれません。

産業交流センター・レストラン「エフ」

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展示を見終わったので、産業交流センターに戻って、もう一つの飲食施設であるレストラン「エフ」を訪ねました。

ランチは14:30で終わり。残りの16:00までの時間は日替わりデザートがあります。

この日はロールケーキのベリーソースがけでした。ドリンクはセルフサービスです。

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ランチメニューはすごく惹かれるものがあったので、また来たくなってしまいます。

15:30になると、避難指示区域に一時立ち入りしている人向けに、16:00までにスクリーニング場*1に移動するよう防災無線でのアナウンスが流れました。

おまけで浪江駅周辺へ

帰りに利用する特急ひたち26号まではだいぶ時間があったので、隣の浪江駅も少しだけ立ち寄ってみることにします。

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16:00発の仙台行き特急を見送り、その15分後の普通列車に乗車して浪江駅へ。

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浪江駅の南の高瀬川を渡る普通列車。奥の方には、浪江町役場、イオン、ホテル双葉の杜など、復興を目指す施設が並んでいるのが見えます。

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浪江駅へと続く駅前通り。

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駅前のバス乗り場。屋根や上部に突き出たオブジェクトがいかにも「浪江」という感じですね。

17:00以降の夜間に運行される町民バスが発着します。

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浪江駅の内部。2020年3月14日の常磐線全線運転再開に合わせて無人駅となり、かつて窓口があった場所は、そんな痕跡も残さずに掲示板で覆われていました。

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夕暮れの中をやってきたひたち26号で帰路に着きました。

まとめ

震災からまもなく10年ということで、いろいろな特集記事などが溢れかえっています。

復興の遅れなどのネガティブな面、震災で暗転した人生などに焦点を当てた記事も目立ちますが、個人的には、そうした面があることも認識しつつも、それだけではないポジティブな面を積極的に見ていきたいと思っています。

そういう意味では、双葉駅前のパブリックアートや標葉せんだん太鼓など、全町避難という中にあって地域の血脈を守り、町を再生させていく取り組みを見ることができたのは嬉しいことでした。

ただ、原発事故は人災です。防ぐことができた事故でした。国が推し進めてきたエネルギー政策には、国民としても責任があります。そうしたことを考えると、どうしてもやりきれなさの方が先に立ってしまいます。

原子力災害伝承館には、そのやりきれなさを解きほぐす何かを求めて訪ねた、というところもあったのかもしれません。それは結局肩透かしに終わったのですが、その経験も含めて、訪ねる意味は大きかった1日だと思っています。

*1:区域から出る際に、放射能汚染の程度を検査する場所