東日本大震災による津波と、その後の原発事故によって寸断されたJR常磐線。
2020年3月14日、あれから9年の月日を経てついに上野~仙台間の全線での運転が再開されました。
3月13日から15日にかけて、富岡駅付近を中心にその様子を見てきましたので、順にお伝えしていきたいと思います。
静かな一番列車、常磐線の新たなる旅立ち
3月14日、午前5時20分ごろ。厚い雲に覆われた朝。
富岡駅前のホテルを出て駅に向かってみると、そこは少し忙しい空気に包まれていました。
報道陣や、ジェイアール東日本企画の方など。いわきから、運転再開区間(富岡~浪江間)を通り原ノ町へ向かう最初の663M列車が6:02に発車するので、そこに向けての準備が進められていました。
地元の方はまだほとんどいません。数人おられましたが、むしろどことなく場違いに見えるぐらいでした。
5時30分ごろ、駅の券売機が稼働しだしたので、他の方に続いて入場券を買って入ります。隣では、JRの関係者と思われる方が「もうお客さん、きっぷの購入始められてるんだけど…」という電話をされてます。もしかしたら何か予定外の出来事があったのでしょうか。
列車は駅舎に面した1番線に到着するので、皆さん1番線ホームで待ち構えています。
そんな中、私は1人、2番線・3番線の島式ホームに向かいました。
前日、常磐線代行バスのラストランを見送ったのと同様、地元に縁のないただの訪問客として、遠くから見守る立ち位置でいたいと思いました。
ホームのいわき側に立ち、到着する列車を撮影。若干定刻から遅れていました。
奥には福島第2原発が見えます。
原発を背負って、新たな第一歩を踏み出す。そんなイメージを込めてみたいと思いました。
列車は静かに到着し、そして静かに、まるでそれが今までも当たり前だったかのように、これまで不通だった区間に向かって発車していきました。
そして、そのすぐ後には原ノ町から、運転再開区間を通って662M列車がやってきます。駅のホームでは、その到着を引き続き待ち構えています。
個人的には、駅で同じように撮っても仕方ないので、急いで駅を出て、北側の線路沿いから撮影しました。
そしてその列車が富岡駅北側の踏切を通り過ぎる時、歓迎の意を込めた桜色の旗を掲げている方がおられました。
この日、沿線の企画で、「ちょっぴり早い桜」として桜色の何かを掲げて歓迎しよう、というものがあったのですが、それは9時台以降、上野からの特急ひたち3号の到着に向けての企画でした。
もしかしたらその時間は都合がつかないとかで、こうして朝早くに来られていたのかもしれません。なんとしてでも歓迎しよう、というその思いの強さを、旗を掲げる背中から感じました。
662M列車は無事に富岡駅に到着。こうして、常磐線は上下ともに運転再開区間を走り抜け、新たなスタートを切ることになりました。
2本目の上りいわき行きとなる664M列車。
同じく2本目の下り原ノ町行きとなる665M列車。
いずれも、富岡駅北側を流れる富岡川の河口付近の橋から撮影しました。富岡駅付近は津波で被災したため、海側は復興祈念ゾーンとして再整備工事が進められています。
桜色の歓迎と、特急列車の通過
この後、予定では運転再開区間にある大野駅に行ってみるつもりだったのですが、雨が降る予報だということで断念し、いったんホテルに戻って休憩することにしました。
上下の特急列車を撮ろうと思っている場所が、付近に雨宿りできる場所がなく、しかも駅から歩いていくと30分以上かかる場所で、結構厳しい撮影になるので、そこに向けて体力と気力を温存しておきたかったということがあります。
10時前にホテルを出てみると、外はすでに冷たい雨。そして踏切近くでは、列車の歓迎のために桜色の傘をさして集まっている方々がおられました。
私はその海側から待機。上空には何機かの報道ヘリが唸るような音を立てて旋回しています。この日、双葉駅では国土交通大臣も出席しての式典が行われていました。
上り670M列車が到着。沿線にささやかな桜が咲きました。
下り671M列車が富岡駅を発車し、通過する際の歓迎の様子。
この後、北側にある高台に移動して、運行再開した区間を通る特急列車の到着を待ちます。
特急ひたち3号仙台行き。もう少し左に振ると海を大きく入れて撮れるのですが、この天気で海を入れても仕方ないので、町並みを背景に入れる形にしました。
特急ひたち14号品川行き。背景には国道6号線沿いの町並みが見えます。
富岡町の避難指示が解除されたばかりの頃、竜田~浪江間の常磐線代行バスで通ると、その中でも一番無残な姿になっていた一帯。国道6号線から富岡駅に向かう時にも、廃墟となった家々の間を通り抜けていくような状態でした。
今でも国道沿いに打ち棄てられたままの店舗などはありますが、新しい町ができ、生活の場としての姿を取り戻しつつあります。
復興が進む町からは防風柵があってスッキリとは見えないのですが(だからこうして反対側から撮らざるを得ないという面もあります)、特急列車が通る姿は、遠く東京や仙台とつながる以前の常磐線を取り戻したと言えるのではないかと思います。
現場に到着してからひたち14号が通過するまでだいたい1時間半、レインコートを着てひたすら雨に打たれ続けた、これまでで一番大変な撮影でした。でも、本気で撮影する人はこのぐらい平気なんだろうなあ。
予想通り、これで気力も体力も使い果たしてしまったので、少し歩いたところにある喫茶店で昼食をとった後、また少し離れたところにある文化交流センターから町内巡回バスに乗り、町内のショッピングモール「さくらモール」で一休みしていました。
フードコートから眺めたスーパーの様子は、私の最寄りにあるスーパーと何ら変わりありません。のどかで平和な日常風景です。
一方で、ここから国道6号線を少し北に向かうと、もう夜ノ森駅東側の帰還困難区域です。
この隣り合わせは紛れもない現実であり、常磐線が全線開通したからと言ってすぐに変わるものでもありません。
15時になったので、10分ほど歩いてホテルへ戻ります。
テレビをつけると、運転再開を歓迎する様子がしきりに流れていましたが、単に歓迎の様子を見るだけではなく、前日とこの日の2日、富岡町の中をいろいろと巡ることで、その背後にあるものについても認識を深められたように思います。
この記事と同じ頃、富岡駅付近、富岡~夜ノ森駅間での歓迎の様子は、地元の双葉郡未来会議さんが以下の動画にまとめられています。
20200314/JR常磐線全線再開通ドキュメント/富岡駅
翌日は仙台から東京へ、特急ひたちを乗り通しましたが、それはまた別記事でご紹介します。
運転再開前日の651系と常磐線代行バスのラストランについては、下記の記事をご覧ください。