君と、A列車で行こう。

鉄道とシミュレーションゲーム「A列車で行こう9」を中心に綴るブログ。当面、東北地方太平洋沿岸の訪問をメインにしています。

「鉄道を廃止すると町が廃れる」という主張について、東日本大震災による廃線から考えてみる

再建された道の駅大谷海岸と、大谷海岸駅に停車する気仙沼線BRT(2022年10月)

「あり方」の議論が進む各地のローカル鉄道

各地のJR線などの地方鉄道で、存廃を含むあり方に関する議論が進んでいます。

最近の大きなニュースとしては、以下のようなできごとがありました。

 

5月23日、2022年の豪雨災害で運休となっている青森県のJR津軽線蟹田三厩間は、自動車交通への転換となることでJR東日本と沿線自治体が合意しました。

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同じ2022年、路線上に線状降水帯が形成され、大雨により甚大な被害を受けたJR米坂線は、坂町~小泉間で不通となっており、その復旧についての議論が続いています。

5月29日、JR東日本は「沿線自治体から提案された利用促進案を実行したとしても、JRが運営する形での復旧は難しい」としつつ、今後の路線のあり方として4つの案を提示しました。うち3つは何らかの形で鉄道として存続するもので、残り1つはバス転換となります。

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また、JR津軽線で自動車交通への転換で合意したのと同じ5月23日、島根県広島県にまたがるJR木次線出雲横田~備後落合間について、JR西日本は今後のあり方についての協議を沿線自治体に申し入れました。自治体側は、「廃線を前提とした相談であれば受け入れられない」としています。

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他にも、JR芸備線、JR肥薩線、JR予土線、JR大糸線阿武隈急行北陸鉄道富山地方鉄道などで今後のあり方に関する動きが報道されています。

三陸鉄道の復旧と「鉄道を廃止して栄えた町はない」という信念

これらの議論でよく主張されるのは、「廃線になると地域に大きな影響がある」というものです。漠然と「地域が衰退する」というもののほか、「地域に人が住まなくなってしまう」「地域に外から観光客が来なくなってしまう」という影響が主張されることもあります。

東日本大震災による甚大な被害に直面した三陸鉄道の望月社長(当時)が、「鉄道が廃止されて栄えた町はない」という信念のもと、早々に鉄道を復旧させることを宣言し、3年で全線復旧にこぎつけたことは、「復興のシンボル」となった三陸鉄道の物語として知られ、4月20日に放送されたNHKの「新プロジェクトX~挑戦者たち~」でも紹介されていました。

atmarkit.itmedia.co.jp

www.nhk.jp

三陸鉄道が3年で全線復旧を遂げ、当時の三陸鉄道北リアス線南リアス線の間にあったJR山田線(宮古~釜石間)はJR東日本が復旧させた後、2019年に三陸鉄道に移管されました。これにより三陸鉄道岩手県大船渡市の盛駅から久慈市久慈駅まで、沿岸部を一本で結ぶ路線となりました。

一方で、三陸鉄道の南側の沿岸部を走っていたJR気仙沼線(柳津~気仙沼間)、JR大船渡線気仙沼~盛間)は、JR東日本が「鉄道の仮復旧」として2012年からBRT(バス・ラピッド・トランジットバス高速輸送システム)の運行を始め、交渉の結果、これを最終的な復旧手段とすることを沿線自治体が受け入れ、2020年4月に鉄道は廃止となりました。

その後の三陸沿岸地域について、交通の復旧という観点で、主に鉄道とBRTのメリット・デメリットという形で掘り下げられた記事はあっても、では本当に「鉄道が廃止された栄えた町はない」のか、三陸鉄道の沿線地域や、鉄道を廃止してBRTによる復旧を選んだ地域はどうなったのかという観点で掘り下げたものは見られないように思います。

釜石駅に停車する三陸鉄道の列車(2023年1月)

ところで、鉄道が廃止された町である岩手県陸前高田市では、2022年以降、観光入込客数が100万人を超え、ほぼ震災前の水準に達していることが報じられています。

tohkaishimpo.com

「鉄道が廃止されて栄えた町はない」のであれば、なぜ陸前高田市はこうして観光客数が回復しているのでしょうか。

そもそも「栄える」「廃れる」というのは抽象的な言葉で、より定量的な基準で語るべきだと思います。ここでは、居住の観点から「人口の推移」、観光の観点から「観光入込客数の推移」の2つの指標で、鉄道が廃止された地域とそうでない地域でどれくらいの差があるのか、調べてみました。

陸前高田市の新たな恒例イベントとなった三陸花火大会(2024年4月)

鉄道が廃止された地域と、その周辺との比較

東日本大震災の影響で域内を走る鉄道が廃止となったのは、

の4つの自治体です。形式上、鉄道が廃止となったのは2020年4月1日ですが、実際には2011年3月11日以降は鉄道は運行されておらず、それから13年の年月がたったことになります。これらの地域では、鉄道から転換された交通手段として、線路用地の多くの部分をバス専用道にしたBRTがJR東日本によって運行されています。

この他、宮城県登米市もJR気仙沼線の一部が廃止となっていますが、市域の隅っこのわずかな区間であり、廃止による影響は大きくないと考えられます。

これらの自治体と、周辺の「鉄道がある自治体」とを比較してみたいと思います。

表1 鉄道が廃止された自治体と、その周辺の自治

宮城県については、JR石巻線とその北側の沿線自治体(石巻市涌谷町・美里町・女川町・登米市)を比較対象としています。

岩手県については、三陸鉄道が走る宮古市までの自治体(釜石市大槌町・山田町・宮古市)と、沿岸の自治体に隣接する内陸側の自治体(県都である盛岡市を除く。一関市・住田町・遠野市花巻市)を比較対象としています。

バス専用道を走行する気仙沼線BRTのバス(2023年8月)

2014年~2024年の人口の推移。明確な差はみられない

表2 2014年5月1日~2024年5月1日の人口の推移

まずは居住の観点から人口の推移を比較してみます。2014年5月~2024年5月の推計人口は上記の通りです。

なお、数字は宮城県岩手県が公表している人口推計を参照していますが、女川町と南三陸町については、宮城県の人口推計で2020年と2022年を比較すると数百人人口が増加しているという謎の変動があるため、これを使用せず、町の住民基本台帳における各年の4月30日の値としています。

都道府県での人口推計は、5年ごとの国勢調査の値をもとに、その後の各種届け出による変動を増減したものなので、できればすべて各自治体の住民基本台帳による人口の数字に依拠する方がより正確に近い値になると考えられますが、各自治体により公表の仕方がバラバラで、統一した基準での比較が難しいという問題があります。

もともとの人口規模の大小を比較しても意味がないので、右側の「増減率」のところで見てみます。これは2014年と2024年の人口の数値で算出しています。

自治体によって-7.8%~-23.3%と大きくバラつきがありますが、鉄道が廃止された4自治体が、それらの中で突出しているという傾向は見られません。南三陸町は-19.5%と低い値になっていますが、近隣でいえばJR石巻線が復旧した女川町とほぼ同等であり、岩手県釜石市宮古市も-18%台であるなど、鉄道が廃止になったことが不利に働いていると判断することは難しいでしょう。 

また、岩手県陸前高田市は-12.2%で、三陸鉄道が走る大船渡市や釜石市宮古市などと比べて相対的に減少度は低くなっています。これではむしろ「鉄道が走ると地域が廃れる」ようにすら見えます。

さらに、JR東北新幹線の停車駅である一ノ関駅を擁し、JR東北本線大船渡線が縦横に走る一関市が-14.6%となっているのも、鉄道があるからといって地域を維持できるとは限らない、という事例のように見えます。

2014年~2022年の観光入込客数の推移。気仙沼市陸前高田市が躍進

表3 2014年~2022年の観光入込客数

観光入込客数については、最新の統計が2022年のものですので、2014年~2022年の推移を見てみます。上の表では2年ごとの数字を出していますが、人口と違って毎年の変動が大きいので、この間の年の状況も適宜言及します。

もともとの数字の大小を比較しても意味がないこと、2019年以降はコロナ禍による影響が大きく出ていることから、人数の数字ではなく、宮城県岩手県それぞれの県内での順位の変動で見ることにします。

南三陸町宮城県内の35自治体中、16位から13位へ。2018年に急増した観光客数がコロナ禍で減少していますが、人口約1万人の町ながら、県内では上位に位置しています。町の統計による分類では「その他」がほぼ9割以上を占めていて、その分類にいったい何の意味があるのかと思ってしまいますが、おそらく「その他」のほとんどは南三陸さんさん商店街でしょう。2018年に144万人と急増していますが、2017年も142万人と同程度であり、2017年3月に南三陸さんさん商店街が仮設商店街から本設に移行したことが寄与しているのではないかと思います。

南三陸町の南三陸さんさん商店街(2023年8月)

気仙沼市は県内12位から6位に躍進。上位は仙台市鳴子温泉を擁する大崎市、県内第2の町である石巻市、そして登米市日本三景の1つを擁する松島町です。登米市については後述しますが、他はその知名度から言ってもまあしょうがない、というところです。表にはありませんが、2019年には249万人に達していました。これは気仙沼大島へつながる気仙沼大島大橋が2019年4月に開通したことが大きいのではないかと思います。

また、2020年から2022年にかけても急増していますが、この時期のできごととして三陸沿岸道路の完成、道の駅大谷海岸のリニューアルオープン、気仙沼が舞台となったNHK連続テレビ小説「おかえりモネ」の放送などがありました。

気仙沼大島大橋気仙沼市街地(2022年4月)

陸前高田市は県内33自治体中、19位から9位へ。2020年に大きく増加しているのは、2019年9月にオープンした高田松原津波復興祈念公園によるものでしょう。「主な集客施設」として挙げた道の駅高田松原東日本大震災津波伝承館はいずれも公園内の施設で、この2施設で全体の2/3ほどに達しています。

なお、数字は先に挙げた東海新報の記事と異なっていますが、本表で使用している岩手県観光統計概要では県の統一基準で算出しているのに対し、東海新報は市の集計によるため、集計対象が異なるものと考えられます。

高田松原津波復興祈念公園内の「奇跡の一本松」(2024年2月)

大船渡市は県内12位の位置をキープ。2014年は復興事業従事者が観光入込客数とカウントされたため大きな値になっていたようです。市内には景勝地碁石海岸があり、大船渡町の「キャッセン大船渡」のほか、各地でさまざまな集客施設が作られたりしていますが、観光客を大きく引き寄せるほどのインパクトは得られていないようです。

大船渡市の景勝地碁石海岸(2021年7月)

なお、各自治体の震災前との比較で言えば、南三陸町は震災前が年間約100万人で、2018年時点でそれを大きく上回っています。

気仙沼市は震災前が約250万人。前述の通り、2019年には一時的に249万人に達しており、この時点で概ね震災前の水準に達していたと言えます。

陸前高田市が概ね震災前の水準に戻っているのは前述の通りです。

大船渡市は震災前が約100万人。震災直後は、復興事業の従事者を観光入込客数とカウントしていたため数字が増加していますが、現在は約半分ほどとなっています。

 

その他の自治体にもいくつか言及しておきます。

石巻市は、表に記載した2施設で約4割の集客となっています。道の駅上品の郷は2022年に前年から約70万人増加しています。いしのまき元気いちばは2017年の開設で、2018年から毎年100万人以上の入込客数が計上されています。また、牡鹿半島での全体的な集客増などもあって、2022年に大きく増加する結果となっています。

登米市は道の駅三滝堂が一強で、その後に長沼フートピア公園や他の道の駅、物産施設などが続きます。市内に三陸沿岸道路や国道に接する道の駅が数多くあることが貢献しているようです。観光スポット的な場所としては、登米町の「みやぎの明治村」や、ハスの花や渡り鳥の飛来地で知られる伊豆沼・内沼、市の中心部にある石ノ森章太郎ふるさと記念館などがありますが、これらの比率は高くありません。

(左)登米市の道の駅三滝堂の夕暮れ (右)いしのまき元気いちば

釜石市は2019年には約60万人に急増しており、その後も以前より高い値をキープしています。ラグビーワールドカップの試合が市内の鵜住居スタジアムで開催されたことが大きな要因と考えられますが、同年4月にオープンした魚河岸テラスもその後の集客に貢献しているようです。2014年に29位だったのが、2020年以降は15位・16位といったところになっています。

宮古市は2016年までは10位前後で、2020年に5位、2022年に6位と順位を上げていますが、上位の自治体がコロナ禍で大崩れする中、減少幅を比較的小さく抑えられたことが上昇につながっているようです。

(左)三陸鉄道釜石市鵜住居スタジアム (右)宮古市浄土ヶ浜

全体的に、道の駅やそれに類似する施設が重要な集客拠点になっています。つまり、車でのアクセスが良く、休憩施設があり、飲食や地域の産品の購入、場所によっては景観も楽しめる。そういう場所が人気があるようです。

さて、小さな町ながら県内上位をキープする南三陸町、復興が進んで躍進している気仙沼市陸前高田市といった状況を見て、「鉄道が廃線になったら外から人が来なくなる」と言えるでしょうか。

むしろ私は、釜石市が順位としては躍進しているとはいえ、震災前(2012年で約78万人)から落ち込んだまま伸び悩んでいるのが気になります。「復興のシンボル」である三陸鉄道が通り、JR釜石線には2023年までSL銀河という素晴らしい観光列車が走っていて、鉄道環境には充分恵まれているにもかかわらず、です。

もしこのことに答えが出せるなら、それが答えだと思います。つまり、その地域に鉄道があるかどうかは、本質的な問題ではないということだと思うのです。

鉄道が地域のために必要というのであれば

今回は、「鉄道が廃線になったからと言って、地域が廃れるとは限らないのでは」という視点で三陸沿岸地域について調べてみましたが、廃線のきっかけとして東日本大震災という、地域が甚大な被害を受けた災害があったことから、その直接の影響をなるべく排除するために2014年以降の値での比較としています。

この地域の強みは豊かな海産物、リアス海岸の自然風景、震災復興といったことであり、鉄道の役割は地形が複雑な海岸沿いの南北の移動が困難という弱みに対応するものです。その役割は鉄道跡にBRTを走らせていることや三陸沿岸道路により補われているため、需要が落ち込んだ鉄道*1を廃止しても大きな影響は出なかったと言えるのではないかと考えています。

なお、災害の影響がなく需要減少で維持できずに廃線になった場合、鉄道の廃線前と廃線後がどうなのかといった比較も必要だと思います。

「鉄道が廃線になって地域が廃れた」というような地域は、実は、鉄道があった頃から衰退が続いていて、それが継続しているだけではないでしょうか。

いずれにしても、「鉄道は地域のために必要」という主張をするのであれば、鉄道が残ればそれでよしではなく、

  • 鉄道を維持したことで地域にどのような効果があったのか
  • 廃線にしたことで地域にどういった影響があったのか

ということを、抽象的な主張ではなく定量的な調査として把握すべきだと思います。「栄える」「廃れる」といった抽象的な言葉では議論のしようがありません。

鉄道を維持した効果については、例えばJR只見線で、2022年10月の全線運転再開後の1年間で観光客が20%以上増え、6億1000万円の経済効果があった、といった具体的な数字が報じられました。

www3.nhk.or.jp

しかし、廃線後にどうなったかについて言及されることは少ないのではないかと思います。

そのあたりが鉄道のあり方の議論で欠けているところだろうな、と思い、今回、1つの試論のような感じでまとめておくことにしました。

*1:震災直前の輸送密度で、気仙沼線柳津~気仙沼間は898、大船渡線気仙沼~盛間は453。