今回からしばらく、「震災10年つれづれ」として、東日本大震災から10年を迎えた時期のできごとなどについて書いていきたいと思います。
震災から10年となる2021年3月11日、甚大な被害が発生した町のひとつである宮城県気仙沼市で復興祈念公園がオープンしました。
震災で被災した各地では、復興祈念公園の整備が進められています。国が岩手県・宮城県・福島県の1か所ずつ整備している公園の他、自治体が独自に整備を進めているところがあります。国が宮城県内に整備する復興祈念公園は石巻市に造られ、気仙沼市のものは市として整備するものになります。
オープンから数日後に訪ねたところ、気仙沼市のそれは他とは違った特徴があるように見受けられたので、紹介したいと思います。
ちなみにWebサイトはあるものの、まだコンテンツはほとんどありません(2021年3月20日現在)。
復興祈念公園へのアクセス
気仙沼市復興祈念公園は、中心市街地に隣接する「陣山」という標高約60mの丘に整備されました。名前が示す通り、戦国時代には戦にあたって陣が敷かれた場所とのことで、その後は農地になったりしたものの、近年は特に使われていなかったそうです。
車で行くことができる道も整備されていますが、公共交通で訪ねるならば以下の2パターンになります。
JR大船渡線BRT・鹿折唐桑駅から
ミヤコーバス、岩手県交通・浜町バス停から
最寄りになるのは「浜町」バス停ですが、鹿折唐桑駅からでも徒歩圏内です。
とはいえ、海抜ほぼ0mのところから60mのところまで上りになるので、それなりの坂があることは認識しておく必要があります。
赤線が、鹿折地区の市街地から登ってくるルートになります。途中までは、傾斜地の集落によくある家々を結ぶ細い路地を通っていきます。民家が途切れた先は公園に続く道として整備された部分と思われます。
上の画像の右上、円形になっているところが公園のてっぺん部分になります。
主な施設
祈りの帆(セイル)
公園のシンボルとなるモニュメント。「海と生きる」をスローガンに掲げる気仙沼らしく、帆船の帆のようなデザインになっています。
下の写真(右上)のように、付近の市街地からもその姿を見ることができます。
このモニュメントは、中に入ることができます。中に入ると何があるのか。それは後でこの公園の独自性の1つとしてお伝えしたいと思います。
犠牲者の刻銘板
モニュメントの隣には、犠牲になられた方々の銘板が置かれています。
地区ごとにまとめられ、それぞれの地区の方角を向く形で置かれています。
伝承彫刻
公園内には、震災の記憶を伝える「伝承彫刻」が置かれています。
これは「海へ」と題された彫刻。他に「ごめんね」「よかったね」の2体が設置され、今後も追加する計画だそうです。それぞれ、震災を経てなお尽きない海への想い、震災で死別した相手への悔恨、無事に再会した喜び……といった、被災者の記憶が抽出され、シンボライズされています。
周囲を一望する広場
丘の上の公園ということで、気仙沼湾や復興する市街地の風景を一望することができます。そのことが、この場所が選定された理由でした。
他の復興祈念公園とは異なる特徴
さて、この気仙沼市復興祈念公園を訪ねてみて、他にはない特色があると感じたので、それをまとめておきたいと思います。
丘の上にある
この公園は紹介した通り丘の上にあるのですが、他の復興祈念公園はだいたい津波の浸水域に整備されており、それが際立った特徴となっています。
他の地域で、浸水域に整備されるのはそれなりに理由があると考えられます。まずは、浸水域の一部は災害危険区域に指定され、居住ができないなど用途が制約されることから、公園の用地としやすいということ。もう1つは、震災遺構を含んだ公園とすることで、津波の脅威を視覚的に伝える伝承の場にできることです。
例えば陸前高田市の高田松原津波復興祈念公園は、広田湾沿いの浸水域に整備されています。復興のシンボル「奇跡の一本松」をはじめ、旧道の駅高田松原、高田松原ユースホステル、気仙中学校、下宿定住促進住宅といった複数の震災遺構を含む広大な公園となっています。
気仙沼市の場合、市長の意向が強く、「追悼の場が再び津波に侵されることは避ける」という方針があってこのような形となっているようです。
JR気仙沼線BRTの南気仙沼駅付近は災害危険区域に指定され、スポーツ施設などを含む広大な公園が整備される計画となっています。もし他と同じような考え方であれば、南気仙沼駅付近に復興祈念公園が整備されていたのかもしれません。
商業施設、伝承施設と分離されている
他の復興祈念公園では、商業施設や、被災や復興の様子を展示として伝える伝承施設と隣接しているケースが多いのですが、気仙沼市の陣山は、平地まで降りないと周囲には何もありません。
南三陸町の震災復興祈念公園は、川の対岸に観光名所となっている南三陸さんさん商店街があり、その隣には伝承施設を含む道の駅が作られる計画となっています。つまり、復興祈念公園・伝承施設・商業施設が一体となっていきます。
先に紹介した陸前高田市の高田松原津波復興祈念公園は、公園内の施設として道の駅高田松原と東日本大震災津波伝承館(いわてTSUNAMIメモリアル)が置かれています。
JR仙石線の一部区間を高台に移設した東松島市の場合は、移転前の旧野蒜駅を伝承施設および震災遺構として活用し、周囲を公園としています。付近には集客施設「奥松島クラブハウス」が整備され、今年3月1日にグランドオープンしました。
また、「復興祈念公園」の名称ではありませんが、同種の性格の施設として岩手県釜石市の「うのすまい・トモス」があります。
三陸鉄道の鵜住居駅前にあるうのすまい・トモスには、追悼施設として「釜石祈りのパーク」、物販・飲食施設として「鵜の郷交流館」、伝承施設として「いのちをつなぐ未来館」が整備されています。
つまり、多くの場所では追悼施設・商業施設・伝承施設が三位一体となっているのに対し、気仙沼市はそれを選ばなかったという点が大きな特徴となっています。
なお、気仙沼市の集客商業施設としては内湾地区から魚市場にかけての一帯、伝承施設としては「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」や「リアス・アーク美術館」の常設展示があり、市内に広く分散する形となっています。
祈りの場のあり方
気仙沼市の「祈りの帆(セイル)」。この中に入ることができることは先ほど紹介しましたが、それがどのような意味があるかについて触れたいと思います。
隣接する南三陸町や陸前高田市の復興祈念公園では、海を望む場所に祈りの場が設けられました。
南三陸町の復興祈念公園では、一時避難場所という意味も含めて整備した「祈りの丘」の上に名簿安置の碑が置かれ、志津川湾など周囲の風景を一望することができます。
陸前高田市の復興祈念公園では、防潮堤に上がったところに「海を望む場」が設けられました。
こちらも、南は広田湾、北は中心市街地など周囲の風景を一望することができます。
気仙沼市の「祈りの帆」は、中に入るとこのようになります。
中には献花台が置かれ、その向こうには気仙沼湾が見えます。左右の視界は遮られ、海のみが見える形になります。
丘の上にあって周囲の展望には事欠かない中で、あえて祈りの場を外から見えないようにし、視界を狭めたわけです。これは、誰からも見られることなく、海とのみ向き合い自分の記憶と正対するという、祈りの場としての位置づけを明確にしたものではないかと思います。
市民・被災者向けの「祈りの場」として
これまで挙げてきた特徴からうかがえるのは、他の復興祈念公園が観光客にも広く訪ねてもらい、地域のありさまを知ってもらうことを意図しているのに対し、気仙沼市のそれは市民、特に被災者向けのものであるということです。
商業施設に隣接していれば、観光客としてはそこを訪ねるついでに立ち寄ってみよう、ということになります。遺構を見て津波の脅威を目の当たりにし、海が見える場所ではその展望を楽しみ、そして犠牲になられた方々、震災からの復興に尽力された方々に思いを馳せるわけです。
気仙沼市の復興祈念公園は、ちょっと足を延ばすという感じの場所ではありません。
被災者が自らの記憶と向き合う静謐な祈りの場として存在しており、部外者が立ち寄るには他とは違う心構えが必要になる気がしました。
とはいえ、そういう考えで復興祈念公園が整備されているのを目の当たりにするのは被災地を知るうえで有意義であり、訪れる意味がないというわけではありません。
この公園を整備するにあたっての考え方は、下記の記事に詳しく紹介されており、本記事でも参考とさせていただきました。余裕があればご一読ください。