今回は「震災10年つれづれ」の2つ目ということで、三陸沿岸道路の話です。
前回は、気仙沼市に整備された復興祈念公園の独自性について書きました。
それまでも整備が進められていた三陸沿岸道路(三陸自動車道、三陸北縦貫道路、八戸久慈自動車道の総称。仙台市宮城野区~青森県八戸市の沿岸部を直結する高速道路)は、東日本大震災を機に復興道路と位置付けられ、さらに内陸側と沿岸部を接続する何本かの道路を復興支援道路とし、2020年度末の完成を目指して工事が進められてきました。
いくつかの箇所で工事の遅れはあるものの、2021年度中には全線開通となる予定です。
そんな中、3月6日には宮城県気仙沼市内で気仙沼港IC~唐桑半島ICが開通となりました。
復興道路のシンボル「気仙沼湾横断橋」
この開通区間には、気仙沼湾を横断する東北一の規模の斜張橋「気仙沼湾横断橋」が整備され、復興道路のシンボルともなっています。
正式名称はいくつかの選択肢からWebアンケートを行ったうえで決定され、さらに、気仙沼湾の別称「鼎が浦」に因んだ「かなえおおはし」という愛称も気仙沼市が公募して決定するなど、開通に向けて機運を盛り上げてきました。
開通前の2月21日には橋を歩いて渡るウォーキングイベント、3月1日にはライトアップ開始および記念花火の打ち上げが行われています。
開通当日は、午前中から橋の上で開通記念式典が行われたそうです。
開通翌日、横断橋を行き交う車。
これまでも工事中の橋はずっと見てきましたが、それが開通し車が通るようになると、「魂が宿った」という感じで、それまでとはまた違って見える気がします。
気仙沼鹿折ICでの開通の瞬間
3月6日は15:30に開通するということで、その区間のICの1つである気仙沼鹿折ICで開通の様子を見てきました。
開通直前、IC入口には開通待ちの渋滞ができていました。
実際には15:30ジャストに開通したわけではなく、そのために渋滞がさらに延びていった感じでした。
上空には報道ヘリが飛び交う音が響き渡ります。それだけ、地元メディアとしても注目していたということです。
待機している間に、15:38ごろ、ICを初めて出てきた車が通過。
タイミングを合わせたのかわかりませんが、それとほぼ同時に先導となる警察車両が動き出しました。
それに続いて、続々とICへ入っていく車列。
こうして無事に開通するところを見届けることができました。
気仙沼鹿折ICは、岩手県方面に向かうハーフインターチェンジなので、ここから入っても横断橋の方に向かうことはできません。
つまり、開通記念でとりあえず通ってみたいという車はこのICを選ばないのではないかと思うのですが(少し南に下れば、横断橋方面へ向かう浦島大島ICがありますし)、それでもこれだけの車が待っていたということに、開通への期待を感じました。
気仙沼市内はお祝いムード
私が見た範囲では、開通に因んだ企画が行われたりしてなかなかの祝賀ムードでした。
開通日の夜、観光施設「海の市」にあるレストラン「リアスキッチン」で夕食をいただきました。
店内に入って見回すと、こんな掲示があり、開通記念メニューが用意されていました。
それならそうとこちらもご祝儀で、3,300円の「かなえ御膳」を注文。みそ汁には、掲示の通りつみれが3個入っていました。
フカヒレ姿煮やメカジキの刺身など、気仙沼らしさを満喫できるメニューでした。
また、翌朝は同じ「海の市」の中にあるカネト水産さんを訪ねました。
こちらでは、マグロ丼が通常より税込で1,000円引きという太っ腹な企画がありました。ただ、気仙沼産マグロではないため注文しなかったのですが。
ちなみに注文したのはメカジキ丼とメカトロカツ(単品)です。
メカトロとは要はメカジキのトロですが、揚げても中はトロトロで柔らかい食感がたまりません。
また、海の市では、確か1000円以上買い物したら抽選チャンス、的な(うろ覚え)開通記念の企画をやっていました。
三陸縦貫は鉄道から道路へ
こうして、開通への期待や祝賀ムードを見つつ、それとともにやや複雑な思いだったのは、かつて三陸鉄道(北リアス線・南リアス線)が開業し、三陸縦貫鉄道が完成した時の熱気がこんな感じだったのかな、ということです。
その文章を読むと、いかに困難な道のりを越えてきたか、そしていかに鉄路の開通を歓迎しているか、当時の熱気が伝わってきます。
ただ、その後は三陸鉄道も含め、鉄道の地位は自動車の普及や道路の整備とともに凋落していきました。
震災前、赤字に苦しむ三陸鉄道をどう立て直すかがたびたびニュースになっていたのをおぼろげながら記憶しています。
大船渡線(気仙沼~盛間)の震災直前(2010年度)の輸送密度は426*1。今、JR北海道が鉄道では維持困難としてバス転換を進めているのが輸送密度500以下の線区ですから、それにすでに該当していたレベルだったことになります。
東日本大震災の時、沿岸部の鉄道は被害が少なかった地域を除いて、もともと三陸縦貫鉄道に期待された「津波被災からの復旧に貢献する」という役割はほとんど果たせませんでした。救援路を切り開いたのは、東北自動車道・国道4号を南北の軸とし、沿岸部に向けて道路を啓開する「くしの歯作戦」でした。
三陸沿岸道路は、先行して開通していた区間でも東日本大震災による被災はなく、一定の防災機能(津波の遮断、避難路としての活用)も発揮していました。これが完成すれば、もう「くしの歯作戦」も不要になり、ICから市街地までの道路をいかに復旧させるかというだけの話になるはずです。
つまり、かつて三陸縦貫鉄道に求められた機能は、三陸沿岸道路によってようやく完成することになります。
「三陸縦貫鉄道」という物語はもはや過去のものとなり、鉄道(鉄道から転換されたBRTも含めて)はそれぞれの地域において存在意義を模索し、求められる役割があるならそれを果たしていくものになる、ということだと思います。
そんなことを改めて考えさせられた、気仙沼湾横断橋の開通でした。
*1:JR東日本「路線別ご利用状況(2010~2014年度)」(https://www.jreast.co.jp/rosen_avr/pdf/2010-2014.pdf )より