君と、A列車で行こう。

旅行などで訪問した場所に関することを綴るブログ。鉄道などの交通に関することが多めです。主にX(旧twitter)では書きにくいような長文を書きます。当面は大阪・関西万博がメイン。

福岡県添田町・東峰村に3人の作曲家が滞在し、制作した楽曲の初演コンサート(2025年度)

福岡県東峰村を走行する日田彦山線BRT(BRTひこぼしライン)のバス(2023年9月)

3月1日、福岡県添田町で行われたコンサート「3人の作曲家と宮川彬良」を観覧してきました。

これは、豪雨災害により鉄道からBRT(バス高速輸送システム)に転換されたJR日田彦山線沿線地域、つまり福岡県添田町・東峰村の振興のため、福岡県が1年ずつ行っているAIR(Artist in Residence)事業の集大成となるコンサートで、2023年度から始まって3回目となるものです。

過去2回については以下の記事をご覧ください。

a-train.hateblo.jp

a-train.hateblo.jp

2025年度は3名での滞在に

このAIR事業は、選考で選ばれた数名の作曲家が福岡県の添田町・東峰村に1ヶ月ほど滞在し、地域の人々と交流したりしながら得た経験をもとに、楽曲を制作するというものです。2025年度は9月から11月にかけて滞在が行われたそうです*1

音楽でのAIR事業というのは珍しいらしく、下記のAIR事業の総合サイト「AIR_J」を見ても、映像制作や造形芸術などに関する事業が多く見られますが、音楽に限定したAIR事業というのはありません。

音楽に関する事業ができるのは、楽曲を演奏する九州交響楽団の協力があってのことで、大人数のオーケストラを動員するのはそれだけ大がかりになりますから、それくらい福岡県が力を入れて取り組んでいるということだと思います。

air-j.info

初回の2023年度は5名の方が現地に滞在されていましたが、2回目となる2024年度は1人減って4名、そして2025年度は3名となりました。

減少傾向なのが気になるところですが、今後はどうなるのでしょうか。

披露された楽曲についての感想

会場はこれまでと同じ、添田町のオークホールです。

定員540名のホールに、昨年と同じ9割程度、あるいはもう少し入っていたかもしれません。

コンサートの構成も過去2年と同じで、宮川彬良さんの司会・指揮による第1部のステージで場を温めた後、第2部としてAIR事業で制作された楽曲が披露され、最後にアンコールが演奏されてマツケンサンバIIで締める、という構成でした。

第2部は、九州交響楽団の首席指揮者・平川範幸さんの指揮で1曲ずつ演奏された後、その曲の作曲者が登壇し、宮川彬良さんと楽曲や滞在経験についてトークをする、という形式で進められました。これも過去2回と同様でした。

披露された楽曲を聴いた感想を記していこうと思うのですが、今回は先に言い訳をさせていただくと、繰り返し聴いてもっと深く楽曲を理解した上で書くべきかな、と思っている部分が多々あります。

というのは、どの曲もストンと腹落ちしない感じがどこかにあって、それをそのまま書くのは簡単なんですが、たぶん私が一度聴いただけでは理解しきれてなくて、何度か聴けばわかってくる部分も多いような気がするのです。

昨年度の場合、コンサートが行われてしばらくしたら、福岡県がYouTubeでコンサートの映像を公開していたので、それを待ってからでも遅くはないのかもしれません。ただ、初めて聴いた印象として、また、コンサートという場の感想としても書き残しておきたいなと思います。

楽曲についての作曲者のコメントは、会場で配布されたパンフレットから引用させていただきました。

曲順は、コンサートで演奏された順番としています。

なお、いくつか楽譜を使っている部分がありますが、もちろんちゃんと採譜したものではなく、聴いた時の印象から適当に音を並べているだけですので、原曲を正しく示すものではないという点はご了承ください。

福岡県添田町のオークホール(コンサート当日)
宮下 亮明さん/回想/回送~エレジーとクロスリズム~

昨年度より2度にわたりこちらの地域に滞在させていただいた中で、印象に残っている場所が2つあります。一つは旧歓遊舎ひこさん駅、もう一つは旧宝珠山駅です。各旧駅は新たな姿へと生まれ変わり、廃線跡上をヤギたちが散歩したりしていました。

この旧駅間、ひいては先の豪雨で被災した日田彦山線の旧区間上に、音楽的な回送列車を走らせたいと考えました。この列車が眺める風景は沿線地域の歴史そのものであり、今日までの沿線の歴史と情景に畏敬の念を込め、本楽曲を作曲しました。

木造駅舎を活かしつつリニューアルされた、BRTひこぼしラインの宝珠山駅(2026年2月)

宮下さんは昨年度もこの事業に参加されており、製作された楽曲は「土に還る/土をこねる~Sol-E-D-A音列のパラフレーズ~」というタイトルでした。

こうしてタイトルを並べてみると、「項目1/項目2~サブタイトル~」という構成が同じだなと気づきます。サブタイトルのところに「パラフレーズ」とか「クロスリズム」とか、楽曲の制作技法に関する言葉が入っているのも同じです。前年度との連続性を意識されているのかもしれません。

宮下さんの楽曲は、あくまで前年度の「土に還る/土をこねる」を聴いただけの印象ですが、音楽の基本とされる「メロディ」「和音」「リズム」の3要素に則った表現ではなく、「楽器の音色を使った音響の制作」という感じがします。

つまり、メロディ、和音、リズムだけであればピアノなど他の楽器でも演奏することはできるのですが、オーケストラの楽器の音色や、それを活かした奏法に意味があるので、他の楽器に移して演奏するのは無理な気がします。

今回もそんな感じで、弦楽器のミステリアスな和音で始まり、そして低音が響く重々しい雰囲気となり、やがて8分音符で刻まれる弦楽器の密集和音の中に、踏切の警報器のような音が混ざって現れてきます。

この部分で気になったフレーズがありました。2分音符(たぶん)を4つ並べたフレーズが出てくるのですが、それが、なんとなく前年度の楽曲の最後に現れたフレーズ(「Sol-E-D-A音列のパラフレーズ」の部分)の音型と似ている気がしたのです。もしかしたらこのあたりも、曲同士のつながりを意識されていたりするのかも、しないのかも?

やがて、ドラムがリズムを刻む3拍子の軽快なジャズへと移行します。グロッケンがテンションノートを奏でる、少しダークな雰囲気というのかなんというのか、そんな感じです。

普通のジャズは、トランペット、サクソフォーン、あるいはエレキピアノといった、何かしらメロディを演奏する楽器が出てくるのですが、やはりメロディはあまり目立たず、音響的な表現を主体にして進んでいくのが特徴的なのかなと思いました。

盛り上がって落ち着いてまた盛り上がってきたところに、ティンパニのリズムが、ドラムのリズムとはちょっとズレた感じでオーバーラップするように入ってきます。この辺が「クロスリズム」なのでしょうか?

そしてまた弦楽器がメインの重々しい部分に戻り、最後はスッと止まるような感じで終わります。

演奏後の宮川さんと宮下さんのお話では、ジャズの部分が、コメントにある「回送列車」が走っている部分なのだそうです。そして、最後はブレーキをかけて列車が止まるイメージなのだとか。

そのへん、特にジャズの部分の意図が楽曲を聴いてなかなかイメージできなかったのは、この地域を数回、気軽な観光で訪ねた程度ではわからない部分まで入り込んで、楽曲を作られているということなのかもしれません。

宮川さんが語られた「あなたが責任を取ろうとしているような曲」という表現が面白いなと思いました。

どの地域もそうですが、いいことばかりではなく、辛い経験や歓迎できないような変化もあります。この添田町や東峰村といった地域であれば、かつて炭鉱で賑わった時期があり、炭鉱が終わった後に訪れた衰退、そして水害とそれによる鉄道の廃止といったことがあって、そして、そのような地域でずっと生きてきた人たちがいる。このAIR事業が行われているのも、そういった歴史に基づくものです。「地域の歴史にどう向き合うか」というのは、よそから訪ねた人がその地域にある程度腰を据えようとすると、必ず抱えるであろうテーマでもあります。

地域の過去に正面から向き合って描こうとした楽曲だから、「責任を取ろうとしているような曲」という表現になったのかもしれません。昨年、2回目に参加された小鹿紡さんの楽曲「水の記憶」にも感じたことですが、2回目だからこそ達することができる深さというのがあるようにも思います。

松尾 賢志郎さん/望郷の記(しるし)

約一ヶ月間、東峰村・添田町に滞在し、豊かな自然と共に生きる人々の優しさや温もりに深く触れました。

完全部外者である私たちを暖かく迎え入れてくださり、気づけばすぐに打ち解け、呑んで、語り、また呑んで……。その何気なくも愛おしい日々は、私にとってかけがえのない宝物です。本作《望郷の記(しるし)》は、そうした日々の体験を音楽として昇華させた作品です。私の作曲人生において、最も抒情的な一曲となりました。

福岡県東峰村の風景(2023年9月)

「第二の故郷」という言葉があります。本来の故郷ではないけど、何か忘れがたい経験をした地域のことをそう呼んだりします。松尾さんが東峰村や添田町に滞在した経験をもとに「望郷」という言葉で表現したのは、きっとそういうことなんだろうなと思います。

楽曲を聴いて思い浮かんだのは、「愛着」という言葉でした。

松尾さんは神奈川県にお住まいだそうですが、演奏後のお話では、「神奈川では絶対に生まれない曲」と語っておられました。

ところで、私はこのAIR事業に参加される方々のことは基本的にまったく存じ上げない状態で演奏を聴いているのですが、松尾さんの楽曲は以前から聴いていました。YouTubeで、「#1日1曲毎日作曲チャレンジ」として毎日短い楽曲を発表されていて、ある時その活動を知り、その後は時折聴いたりしています。今はもう2800曲以上になっています。

「この方はもしかしたら、福岡県のAIR事業を知ったら興味あるんじゃないかなあ」とぼんやり思っていたら、実際に参加されることが決まってびっくりしたことを憶えています。そして福岡県に滞在されていた時も、地域の自然や体験などを描いた曲を毎日作られていました。

この「1日1曲」では、前衛的な現代音楽も含めていろんなバリエーションの曲を作られるのですが、たぶん、一番多いのは穏やかなバラードなのかなと思っています。

なので、今回演奏された曲を聴いた時、「1日1曲」での作風を思い出したりしました。

主に登場するのが弦楽器、木管楽器、そしてハープ、グロッケン、チェレスタといった優しい音色の楽器です。金管楽器は、バストロンボーンとチューバは不使用でそもそも席を外されており、他の楽器はたまに登場しますが、あくまで背景として盛り上げる役で、決して主役にはならない。そういうポジションだったと思います。

楽曲全般を貫き、何度も繰り返し現れるのが、下の譜面のようなモチーフだと思います。

このモチーフは、付ける和音によって美しい表現になったり、素朴な味わいになったりします。実際にどんな和音が使われていたかまではわからないのですが、なんとなく、そういったあたりがこの楽曲を印象付けているような気がしました。

ただ、聴いた時におそらく聴き落としてしまったのが、楽曲全体の構成がどうなっているのか、という点でした。要は、起承転結がどうなっているのか、というのがあまり把握できませんでした。曲中全体で上記のモチーフが現れ続けることや、楽曲のテンポ、雰囲気にダイナミックな変化がないということがその理由だったような気がします。

そのへんは演奏後に宮川さんから、「ロマンチックな曲調を貫いた」「普通は途中で何か別のことをやりたくなる」と言及されていたところなのかなと思います。

葛西 竜之介さん/管弦楽のための「廻る」

「焼成の時の燃料として使った材の灰を、釉薬の原料として新たに使うことがある。」と、ある窯元でこんな話を伺いました。

森の呼吸、水の循環、輪廻、伝統の継承。自然と共存しながら、廻ってゆく。轆轤のまわる美しい様を眺めていたとき、私はハッと気づいたのです。そこには、都会では断ち切れてしまっている”循環”が、確かに力強く、残っているのだと。音楽にも、共通する主題が形を変えて、曲中で旅をしていく「循環形式」という言葉があります。今回はそれを用いて楽曲を構成しました。それでは、みなさまを音の旅へといざないましょう。

東峰村の特産、小石原焼の小皿。轆轤を回しながら模様を刻む「飛びかんな」の技法が特徴

循環形式というのは、楽曲の中の特徴的な部分(フレーズや和音など)を複数の楽章で共通して使用するという方法らしく、現代では、厳密に「循環形式」と呼べるかはともかく、それほど珍しい手法というわけではありません。ある映像作品やゲームのために複数の楽曲を用意する場合、一つのフレーズをいろんな形で編曲することはよく行われています。

なので、そういう前提で「共通する主題」はどこだろうかということに注意して聴いていたのですが、結局は発見することができませんでした。

主題が耳に残るメロディとして現れていたら、たぶんどこかで気づいたような気がします。でも、この曲では宮下さんの楽曲と近い感じで、メロディを主体とした楽曲ではなく、楽器による音響的な表現の方が主体となっていた感じがします。

曲中に何度か現れた表現が、

  • 弦楽器、グロッケン、チェレスタがユニゾンで音を伸ばす中、管楽器の密集和音が後から入ってくる部分
  • 木管楽器の各奏者が、鳥のさえずりのようなトレモロをバラバラに奏で、その中で、たぶんクラリネットが、早いアルペジオで下降・上昇を繰り返す。森の中を飛ぶような、あるいは舞いあがるような雰囲気の部分

なのですが、それが循環形式といえるのかどうかもよくわからず。

後半は5/8拍子のリズムとなり、ざわめきが満ちる中にグロッケンの一打で曲が終わるという感じの締めくくりでした。

いろいろな表現はあったのですが、それが何をどう表しているのかを把握しきれないまま、曲が終わったという感じでした。

AIR事業での作曲家としての財産(3/7追記)

3曲の演奏が終わった後、一旦舞台の脇によけられていたピアノを中央に移動させる間に場を繋ぐため(といっても実際はすぐに終わっていましたが)、宮川さんと作曲者3名のトークの時間がありました。

その中で3人の方が異口同音に話しておられたのは、作曲家同士の交流が得難い経験であったということでした。人間関係ができるというところもそうだし、それぞれの作風の違いにも刺激を受けたということでした。

また、これは今回に限らないのですが、この事業に参加して初めて管弦楽の曲を書き、実際にオーケストラで自分の曲が演奏される、という経験をされた方もいます。実際に楽団と顔を合わせるのはコンサート直前の2日間のリハーサルだけのようですが、そこで作曲者としての思いを伝えることで、音がどんどん変わっていくということがあるようです。それは作曲者としてはなかなか得難い経験だろうと思います。

この次の項目で今回のまとめとして、AIR事業による地域にとっての財産ということを書いたのですが、参加する作曲家にとっての財産ということもあるし、実際にそういう話もされていたなあ、と思い出して追記することにしました。

地域に蓄積される楽曲の財産、交流の財産

宮下さんの曲はジャズの部分の意図が把握できず、松尾さんの曲は全体の構成がよくわからず、葛西さんの曲はどこが循環形式なのかわからなかった、という感じで、今回は3曲とも、一度聴いただけでは理解が難しかったです。管弦楽の作曲に対して無知なのが露呈した形となりました。

追ってYouTubeで公開されるであろう演奏映像に期待したいです。

AIR事業が始まって3年がたち、この事業で制作された曲は12曲になりました。1曲がだいたい6~7分ぐらいなので、CD1枚分のボリュームになります。

ある地域にちなんだ管弦楽の曲が12曲も創られる、そして今後も創られていくというのは凄いことだと思います。

一部の楽曲は九州交響楽団や他のオーケストラの演奏会で再演されることが決まっていますが、もっと地域で楽曲の財産を活かす取り組みをしてもいいのではないか、と思うこともあります。

例えば学校のBGMとして流す、自治体の防災無線の時報にアレンジして流す、ピアノに編曲して多くの人が弾けるようにする、といったようなことが考えられます。

BRTひこぼしラインの宝珠山駅に設置されているストリートピアノ(2026年2月)

ところで、コンサートが終わった後、ホールのロビーに掲示されていたAIR事業の活動の記録を見ていたら、隣に地元の方と思われる親子がいて、掲示されている写真を見ながら、事業に参加された方を「亮明くん(宮下亮明さん)」「そよかちゃん(林そよかさん=2023年度にAIR事業参加)」といった感じで呼んでいました。

その呼び方に、このAIR事業に参加された方が、これまで地域でどういった交流を行ってきたのかが感じられました。

私はどうしてもコンサートで披露される楽曲を中心に見てしまうのですが、AIR事業で大事なのはそれだけではなく、滞在期間中の日々の活動にもとても大きな価値があるんだな、ということを改めて感じた次第です。

これまでAIR事業に参加された方が、再び参加するのとは別の形で、地域とのかかわりを継続するような取り組みも増えているようです。

積み重ねられる楽曲の数と交流の蓄積が、今後の財産として活かされていくことになれば、それが地域の特色として、他地域との差別化につなげられるのかなと思います。

まだ2026年度の事業の詳細はわかりませんが、次回のコンサートは2027年3月14日に実施されることは決まっているそうです。

1年後の開催まで、これまでの楽曲を聴きながら、そして時々この地域を訪ねながら心待ちにしたいと思います。

でも、コンサートが地元の方で満員になって、私が行ったらもう席がなかった、ということになれば、それはもっといいなと思います。

*1:今回の記事で、2023年9月の少し古い写真を複数用いているのは、AIR事業の滞在時期に合わせたものです。