君と、A列車で行こう。

旅行などで訪問した場所に関することを綴るブログ。鉄道などの交通に関することが多めです。主にX(旧twitter)では書きにくいような長文を書きます。当面は大阪・関西万博がメイン。

かつての博覧会のありようを知る企画展「博覧会の残像」

「大阪・関西万博デザイン展」と並んで開催された企画展「博覧会の残像」(2025年10月18日)

大阪・関西万博デザイン展の前に見に行った企画展

10月18日、大阪・関西万博のデザイン領域の企画展「大阪・関西万博デザイン展」を見に行った会場の大阪府江之子島文化芸術創造センター(通称「enoco」)では、別のフロアで「博覧会の残像」という企画展が行われていました。

この時に観覧した大阪・関西万博デザイン展については下記の記事をご覧ください。

a-train.hateblo.jp

この日、万博デザイン展を見に11時ごろ会場に行くと、整理券代わりの青色のリストバンドを渡されて「17時から並べます」と言われ、そのまま一旦引き返すことになりました。

そして、時間を潰していたものの持て余して16時ごろ再び会場に行くと、「博覧会の残像」という展示会があるのが目に留まりました。

博覧会つながりということで興味を持ったので、デザイン展に並べる17時までの間に見ておくことにしました。

okinawabunko.com

開催当時の価値観、国家の思惑が反映された「博覧会」という装置

「博覧会の残像」展示会場(2025年10月18日)

入場料は大人500円でした。

主催した「関西沖縄文庫」は、大阪市の中でも沖縄出身者が多く暮らす大正区にあり、沖縄関連の書籍などの資料を収集してきたそうです。

今回は、国際博覧会に限らず、「博覧会」というイベントがそれぞれの時代にどういった役割を担ってきたかを、収集した資料とともに展示し、大阪・関西万博にあわせて、その存在について考えるきっかけにしたい、という目的での展示会であったようです。

接写での撮影は禁止ということで、会場の様子やテーマの説明についての掲示のみ撮影しました。

展示会のテーマについての説明

展示された資料はいくつかのテーマに分かれており、

  • 国際博覧会の開催国によって出展国が格付けされ、国威を示す場となったこと
  • 帝国主義国家における宗主国と植民地という関係の中で、宗主国が博覧会において植民地の風俗や文化、人々の暮らしぶり、植民地の産業を展示し、宗主国の人々が植民地について知る機会となるとともに、植民地が国家にとっていかに有用かを示す場になったこと
  • 第二次世界大戦に向かう時期の日本国内の博覧会では、兵器などの軍事的な展示が行われるとともに、やがては直接的な国威発揚の場となっていったこと
  • 戦後の日本の博覧会では、原子力が新しいエネルギーとしてもてはやされたこと

といった、かつての博覧会がその時々の価値観を反映し、国家によって利用されてきたことが描かれていました。

沖縄も「差別される側」となった人類館事件

なかでもこの展示会が主題としていたのは、1903年に大阪で開催された「第5回内国勧業博覧会」における「人類館事件」でした。

この博覧会では、先に挙げた「宗主国と植民地の関係」の展示が日本にも導入され、「学術人類館」というパビリオンが設けられました。そこでは、北海道のアイヌ民族、台湾、朝鮮、清など、日本が進出して支配した地域の人々が展示され、その中には沖縄も含まれていました。こうした展示は、大阪・関西万博のように何らかの展示物を設けるのではなく、人々の生きる姿そのものが展示の対象となったのが大きな特徴でした。

この展示に沖縄や清国が抗議し、それぞれの展示は取りやめられたものの、他の民族の展示は最後まで続けられたそうです。

沖縄の抗議が反差別に基づくものだったかと言えばそうでもなく、むしろ、内地との同化を進めていた沖縄が他と同列に扱われることへの抗議だった、とされています。

本当にそれは「残像」なのか

こうした展示を一通り見てから、大阪・関西万博デザイン展を見ると、その両者が描く博覧会が、同じ「博覧会」であってもまったく似ても似つかないものであるということを感じました。

この展示会はかつての博覧会のありようを「残像」と表現していますが、本当にそれは「残っている像」なのでしょうか。実は「今は消えてしまっている像」ではないのでしょうか。

考えたことの1つ目は、その時々の博覧会のありようは、それぞれの時代に広く共有されていた価値観が反映されていたに過ぎず、「博覧会」という装置にのみ焦点を当てるのは必ずしも適切とは言えないのではないか、ということです。

帝国主義的な展示や、あるいは原子力発電を称賛するような展示が、現代から見れば適切ではなかったと感じるのは当然でしょう。

では、2025年の万博の「いのち輝く未来社会のデザイン」というテーマで描かれた価値観も、数十年たった後世からは断罪されることになるのでしょうか。仮にそうだとして、今の我々にそれを予見することはできるのでしょうか。

そう考えると、今の時代の価値観を前提に、かつての博覧会のありようを批判的にとらえる見方に、どれだけの意味があるのだろうかと考えてしまいます。

2つ目は、この展示会が視野に入れているのは古い博覧会であって、1970年の大阪万博以降の博覧会について全く触れられていないということです。

つまり、大阪万博とはどういう博覧会であったのか、その後の博覧会はどう変容してきたのか、といった視界もないまま、2025年の大阪・関西万博を視野に入れるのは難しいのではないかと思うのです。

実はこの日の夜に、「終わらない博覧会:人類館から大阪・関西万博まで」と題したシンポジウムも企画されていました。そこでなら、こうして感じた疑問に対する答えが得られるのではと思い、申し込もうとしたのですがすでに満員になっていました。まあ、開会の1時間半前に申し込むのはさすがに無理でした。

ただ、この展示会を先に見たからこそ、今回の大阪・関西万博が、人類やその他の生物だけではなく、テクノロジーも含めた「すべてのいのちのつながりの構築」を掲げた万博であり、それをデザインとして表現していたことが強い印象として残ることになりました。そういう意味では、先に見ておいたのはとても有意義でした。