
- 万博の「デザイン」が生まれたプロセスを知る
- 長時間待ちを覚悟していたら整理券が配られた
- こみゃくたちが彩る展示会場
- 「人類の万博」からの脱却。すべての「いのち」を包括するデザイン
- 「2020の失敗を繰り返さない」という意志
- 実はデザインされていた祝祭性。答え合わせをするような企画展
万博の「デザイン」が生まれたプロセスを知る
大阪・関西万博が最終盤を迎えた10月1日から、閉幕後の10月19日までの間、大阪市西区で「大阪・関西万博デザイン展」が開催されていました。
もともと、6月に京都で、このデザイン展の内容を含む万博関連の企画展が行われていて、これが大好評で別の場所でも開催希望があったことから、会場デザインの内容に絞って実施されることになったようです。
6月の企画展の時にぜひ行きたかったのですが、その頃はいろいろとあって万博にすらなかなか行けなかった時期で、残念ながら見送っていました。
企画の概要は、上記のリンクを読んでいただければ付け足すことなどないのですが、万博のロゴマーク、ミャクミャク、そこから派生して生まれた「こみゃく」たち、会場で流れていたサウンドスケープなど、万博の「デザイン」の領域に関するさまざまな設定資料が展示されていました。
長時間待ちを覚悟していたら整理券が配られた
万博終盤の盛り上がりを受け、このデザイン展も大好評で、入場に1時間待ちだとか2時間待ちだとかいった情報をSNSで目にしていました。
行くことができたのは10月18日でした。最終日の前日の土曜日ということで、平日よりもさらに待つことになるだろうなと覚悟して、万博で使い込んだ携帯椅子、そしてモバイルバッテリーや飲み物など、まるで万博会場に行くかのような万全の準備をして会場に向かいました。

会場は、Osaka Metro阿波座駅の近くにある大阪府立江之子島文化芸術創造センター。「enoco」という愛称があるようです。
万博ファンからは、最寄駅の名前から「阿波座パビリオン」などと呼ばれていました。「ヨコレイパビリオン*1」「阿部寛パビリオン*2」など、万博に関するコンテンツを「パビリオン」呼びしてしまうのはファンの習性でした。
さて、11時ごろに会場に着くと、そこでは整理券に相当するリストバンドが配られていました。青色のリストバンドを渡され、「17時から並べます」と案内されてそのまま阿波座駅へバック。つまり、もし普通に並んでいたら6時間待ちだったということですね。
この日は朝からかなりの人が殺到していたらしく、開場を1時間早めた上に、急遽整理券方式を導入したそうです。周辺はマンションなども立ち並ぶ市街地で、敷地内に収容できない人を外に並ばせるわけにもいきませんでした。
そんなわけで、いろいろと時間を潰して16時ごろ会場に戻り、同時に開催されていた企画展「博覧会の残像」を先に見て、17時少し前に入場することができました。
この関西沖縄文庫が主催した「博覧会の残像」の方も、下記の記事に書きましたのでよろしければご覧ください。

こみゃくたちが彩る展示会場
デザイン展の会場は、万博会場で用いられた、さまざまな絵に目を描いた、通称「こみゃく」で彩られていました。






そして、ロゴマークやミャクミャク、こみゃく、サウンドスケープなどの設定資料が所せましと並べられています。
一応、何が書かれているかざっとは見たのですが、ひとつひとつ細かく見ていたらどれだけ時間があっても足りないし、後に並んでいる人もいるので、とりあえず写真に撮って、後で必要に応じて見返すという方向で見ていきました。
その中で、印象に残った点を2つ挙げておきたいと思います。
「人類の万博」からの脱却。すべての「いのち」を包括するデザイン
これは、直前に「博覧会の残像」を見て、「博覧会」という装置が、その時々の価値観を反映し、時に国家によって利用されてきたことを知ったからこそ印象に残ったのかもしれません。

SDGs(持続可能な開発のための目標)が主要なテーマとなった今の世界で、人類だけではなくすべての生物を包括するという考え方は誰でも思いつくことだと思います。
ですが、ここではさらに進めて、「テクノロジーもまた、新たないのちの輝きを生み、世界を彩っている」と、テクノロジーすらも包括してもう一度つながりを作り出そう、という試みが行われました。
ロゴマーク、ミャクミャク、そしてこみゃくまで含めて、「目玉」がキーとなったのが、つながりを構築しようとしたことの表れだったのかもしれません。
目玉によって、それぞれの「いのち」の意思を表現することができます。互いに向かい合ったり、同じ方向を向いたり、時には別々の方向を向いていたり。それによりコミュニケーションが明快な形で表現されていたということが大きな特徴だったと思います。

「2020の失敗を繰り返さない」という意志
もう1つは、この万博のデザインを考える前提として、「2020の失敗を繰り返さない」という意志が掲げられていたことです。

「万博をひらこう。未来をひらこう。」と題された上記画像の資料から一部を引用させていただきます。
忘れてはいけないのは2020へ向かうときに起きた様々な失敗。これをまた繰り返しては意味がない。コミュニケーション目線で閉じた物では意味がない。それはリアルな形で行わなければ意味がない。一部の関係者だけではなく、多くの人が参加する物でなければ意味がない。
2020とは、言うまでもなく2021年に延期して開催された東京オリンピック・パラリンピックを指しています。
新国立競技場の設計は、当初の案は費用が高すぎると批判されて撤回を余儀なくされ、大会エンブレムは他のデザインのパクリだと指摘されてこれも白紙撤回。さらには、オリンピックの開会式についても、コロナ禍での関係者間の意思疎通の齟齬や、関係者の言動を理由として次々と変更を余儀なくされていきました。なにもかもベタ降りで、とにかく開催にこぎつけることが優先されていった。その失敗を繰り返さない、という意志が込められていました。
「こみゃく」を中心とした万博のデザインシステムを考案した引地耕太さんがその辺の思いをSNSで公開されていますが、どれだけ批判されてもオープンなコミュニケーションを取ろうとしたのは、引地さんだけではなかったと思います。
確かに今回の万博では、シンボリックな大屋根リングの建築や、会場全体のブランドをかたちづくるデザインシステムを、理想に近い“ピュアなかたち”で実現できたのかもしれませんね。実は、今回の万博で実現した開かれたデザインや共創の仕組みは、東京オリンピックで経験した閉塞感や、実現できなかった… https://t.co/4kKiCWR0Us
— 引地耕太 | VISIONs CEO / COMMONs 代表 (@kouta_hikichi) 2025年5月14日
会場デザインプロデューサーとして、大屋根リングの設計にも携わった藤本壮介さんは、「なぜ大屋根リングを作ったのか」ということを、現代の万博の意義も含めて様々な場で説明をしていました。
また、「2億円トイレ」と呼ばれた、カラフルな積み木のようなトイレを設計した米澤隆さん、通路の上部に自然の石を繋げて吊るす「石のパーゴラ」を設計した工藤浩平さんも、それぞれの意図の説明や批判への回答を積極的に行っていました。
つまり、多くの人に見られ、批判も受けることを前提として、それに屈することなく、一方で、二次創作を通じて人々に浸透していくようなデザインの構想。これが万博のデザインシステムの肝心なところだったわけです。
実はデザインされていた祝祭性。答え合わせをするような企画展
先日、万博閉幕後に公開した記事の中で、こんなことを書いていました。
万博を祝祭と表現することが正しいのかどうかはよくわかりませんが、私が会場にいて感じた印象はまさに祝祭でした。
(中略)実際に会場にいると、デザインに工夫を凝らしたパビリオンが会場を彩り、ポップアップステージや各パビリオンのステージでさまざまな音楽や舞踊が繰り広げられる。人々は往来してそれらを楽しみながら、世界中の食べ物を味わい、思い思いの時を過ごす。それはまさに巨大な祝祭空間であり、まるで無数の花火が空を彩るような華やかな場所だったのです。
そして、このデザイン展の資料を見ていると、MUST(必達目標)として「夢洲の会場において視覚的な祝祭性を作り出し、ワクワクを生み出せるか?」と書かれていました。
つまり、私が万博を祝祭だと感じたことは、まさに会場デザインの狙い通りで、うまくハメられていたわけです。もしデザインに関わった方が私のブログを見ていたとしたらきっと「してやったり」と思ったことでしょう。
もっと言えば、この万博が、来場者のSNSへのポストなどで魅力が拡散され、後半の盛り上がりにつながっていったとされることも、まさに狙い通りだったわけです。


会期中、万博会場には40回ほど足を運びましたが、その中で感じたいろいろなことに答え合わせをするような、楽しいデザイン展でした。
こういう企画はいくらあってもいいですからね。
*1:万博東ゲートに隣接して横浜冷凍(ヨコレイ)の建物があり、その壁面に来場者向けに投映されたプロジェクションマッピングのこと。
*2:Osaka Metro夢洲駅の出入口に掲出された、阿部寛さんを起用した象印の広告のこと。