※本記事は2017年7月の記録になります。
午前中、東京から常磐線を乗り通してきた後、仙石東北ライン、石巻線を乗り継いで女川へ向かいました。
常磐線については下記の記事をご覧ください。
仙石東北ラインを初体験する
常磐線から仙台に着いたのが13:10。仙台駅を13:16に発車する仙石東北ラインの列車に乗るため、わずか6分での乗り継ぎです。昼食とか写真とか言っている余裕はありません。
乗車したのは仙石東北ラインを走るHB-E210系の4両編成。どうにか座席を確保して発車しました。
ご存知の通り、仙石東北ラインは、東日本大震災で仙石線が被災したのを契機に計画が一気に進み、仙石線が全線で運転を再開した2015年5月30日に運行を開始しましたが、計画自体はJRの発足直後ぐらいからあったようです。
東北本線が交流電化、仙石線が直流電化という制約があった中で、当時、ハイブリッド気動車の導入が進んでいたことも追い風になったのでしょう。
車内は電源装置を設置している分、乗客用のスペースが少なくなっています。その装置にはモニターがあり、ハイブリッドシステムにおける電気の供給・使用状況がリアルタイム更新で表示されています。これは眺めているとなかなか楽しいです。
上の図で、オレンジの線は東北本線内の上下線の渡り線、青の線は仙石線と東北本線の連絡線になります。
東北本線下り線から。隣の上り線の先に、仙石線用の架線柱が見えています。
渡り線を渡り、連絡線に入ったところで停車。
仙石線のあおば通行き列車が通り過ぎるのを待ちます。仙石線はこの部分はすでに単線なので、ダイヤにもそれなりに制約があります。
連絡線から見る東北本線の上下線。複線がなんだか逞しく見えます。
しばらくして列車は発車し、仙石線へ乗り入れて石巻へ向かいます。
仙台ではほぼ満席だった乗客は、仙石線内の停車駅で次第に減っていきました。
仙石線の車窓で気になったのは、「真新しい戸建て住宅と空き区画がとても目立ったこと」でしょうか。古くからの街並みとは明らかに異質な感じ。震災で仙石線のどの部分がどういった影響を受けたのか、事細かに把握しているわけではないのですが、浸水被害を受けた後、建て直した家が多数あるような感じに見受けられました。
仙石東北ラインは確かに便利で、仙台~仙石線北部の高速化に貢献しているのはわかるのですが、惜しむらくはその配線上、仙石線の松島海岸駅、東北本線の松島駅をどちらもスルーしてしまい、松島観光には使えないという点があります。松島海岸まで行く仙石線の列車は、日中は各駅停車が1時間に2本しかありません。
せめて、仙石線に乗り入れて最初に停車する高城町での乗り継ぎが便利ならいいのですが、「仙石線高城町行き→仙石東北ライン快速石巻行き」の乗り継ぎは考慮されているものの、「仙石東北ライン石巻行き→仙石線あおば通行き」の乗り継ぎはほとんど考慮されておらず、一部列車がたまたま便利に接続している程度だったりします。
この辺はもう少し何とかならないのかなあ、と思わなくもないです。
上の2枚は別の時期にあおば通駅で撮っていたものですが、仙石線の列車は誤乗を避けるためか、「仙石線経由」の表示をしているようです。
そんなこんなで14:17に石巻へ到着。石巻線へ乗り換えます。
石巻線で女川へ
4分乗り換えで乗り継いだ石巻線の列車は、JR東日本の汎用型気動車としておなじみのキハ110系。
仙石東北ラインの副産物として、運行されたのがハイブリッド気動車だったため、女川への直通が可能になりました。当時、および現時点(2019年7月)でも直通列車が設定されているのは朝の女川発の始発と、夜の女川行きの最終のみですが、例えば観光に使いやすい時間帯などに増発できれば便利だと思います。
ただ、そのためにはHB-E210系を増備する必要があり、そこまでするほどの需要があるかというと……結局は復興次第、ということになってくるのでしょう。
列車は女川へ向かって海沿いを進んでいきます。ローカル線あるあるで窓が汚れていたので、あまり綺麗な写真ではないですが……
沢田~浦宿間。震災後に再建されたと思われる真新しい堤防が見えます。
女川湾に広がる養殖ブイ。
女川駅に到着したのは15時手前。ここからそそくさと女川の町(というより駅前)を見て回ったのですが、それはまた記事を改めることにします。