三陸鉄道は、岩手県の沿岸部を走る第三セクター鉄道で、南は大船渡市の盛(さかり)から、北は久慈市の久慈駅を結ぶ総延長163kmの路線です。
南から順に、盛でJR大船渡線BRT、釜石でJR釜石線、宮古でJR山田線、久慈でJR八戸線に接続します。
以前は「南リアス線」として盛~釜石間、「北リアス線」として宮古~久慈間がありましたが、東日本大震災で被災後、間にあったJR山田線の釜石~宮古間が移管され、2019年3月23日に全線を「リアス線」として再出発しました。
これで日本一の長さの第三セクター鉄道となり、その効果もあって2019年度の業績は好調に推移。10月前半には黒字決算の見通しとも報じられていました。
暗転したのはその直後。台風19号によって、全線のおよそ7割もの区間が被災してしまいました。
できるところから少しずつ復旧を進め、全線運転再開は今年3月20日の見込みと報じられています。
東京オリンピック・パラリンピックとの関連では、3月22日にJR釜石線と三陸鉄道で聖火が巡回する特別列車を運行(聖火リレーとは別)、6月17日には聖火リレーの一部として三陸鉄道での移動も行われる予定となっています。
前置きが長くなりましたが、そういった背景も踏まえ、1月中旬に三陸鉄道に乗車してきました。
台風19号で被災を免れた盛~釜石間、旧「南リアス線」の区間になります。
JR釜石線「快速はまゆり」で釜石へ
まずは新幹線で盛岡へ。今年は雪が少ないと言われていますが、日陰になる部分はそれなりに雪がかぶっていました。
盛岡始発の快速はまゆり1号。外観は親の顔より見たキハ110系の3両編成ですが、車内はリクライニングシートです。指定席を取ったものの、盛岡出発時点ではほとんど空席でした。
盛岡からは、シートがセットされた向きとは反対方向に走り出します。途中、東北本線から釜石線に入る花巻駅で進行方向が変わるため、釜石線内にあわせてセットしてあるのですね。
花巻から釜石線に入り、新花巻で新幹線と接続。ここで乗客が増えてきます。新花巻を出発した直後の街並みが上の写真になります。
南から新幹線でやってきて乗り継ぐなら、別に盛岡まで行く必要はないのです。それでもあえて盛岡まで行ったのは釜石線が初乗車だったからで、新花巻で乗り換えると花巻~新花巻間が未乗になってしまうのです。
羊のようなもふもふ感がある山。雪が少ないこの冬ならではの景観かもしれません。
山間部の移り行く風景を眺めながら、列車が進んでいきます。
事故予防のため、第4種踏切(警報機も遮断器もない踏切)やトンネルの手前で警笛を鳴らすのですが、ローカル線はどうしてもそれが多くなります。それはいいのですが、乗車した列車の運転士の癖なのか警笛がやたら長く、特に踏切の前では5秒間ぐらいビーーーーッと鳴らし続けるので、うるさくて全然落ち着けないのが残念でした。
まあ、そんなこんなで釜石に到着です。気を取り直していきましょう。
釜石駅にて
釜石駅のJRの構内。見慣れた顔がズラリと並びます。
釜石駅のJRの駅舎。
三陸鉄道との乗り継ぎは少し時間があったのですが、といってどこかへ足を延ばすほどの時間はないので、駅前でぶらぶらです。
その向かって右隣りにある三陸鉄道の駅舎。盛や久慈もそうですが(宮古は見たことないです)JRの駅舎に隣り合うこじんまりとした駅舎、というのが三陸鉄道の特徴ですね。
釜石は製鉄の町です。駅前にも製鉄工場が広がります。
駅前から、三陸鉄道の列車代行バスが出発していきました。11:00発の陸中山田行き。2019年のラグビーワールドカップの試合が開催された鵜住居(うのすまい)や、大槌・浪板海岸といったところを経由していきます。
三陸鉄道の駅の構内には、南リアス線・北リアス線が全線復旧した際の支援に感謝を表明する掲示がありました。
三陸鉄道は専用ホームの5番線からの発車です。
5番線は以前の名残で、盛方面のみ行き来ができる行き止まり構造。
リアス線として運行を開始した後、宮古・久慈方面と行き来する列車はJRと共用する3・4番線に入っていましたが、この時点では宮古方面が不通のため、全列車が5番線発着となっていました。つまり、かつての南リアス線の形態に戻っていたわけです。
三陸駅へ
列車は11時33分に発車。途中、唐丹(とうに)~吉浜間では海が見えるため、1分ほど停車してじっくり海を見る時間が設けられていました。
停車中は逆光がとても強かったので、動き出して太陽が隠れたところで撮影していますが、実際は少し左側のもっと見晴らしがいいところに停まります。
三陸駅で下車。盛へ向かう列車を見送ります。
この日はレトロ風車両を利用した「洋風こたつ列車」が運行されていて、ちょうどこの駅で行き違いでした。ちらっと見た車内はとてもぬくそうでした。いいなあ。
三陸駅から商店地区へ
「三陸」といえば、陸前・陸中・陸奥の三国を指す言葉ですが、この小さな駅がなぜその三陸を名乗っているかというと、旧三陸町(2001年に大船渡市に編入)の中心駅だったから。ではその三陸町の成り立ちはというと、かつて付近の3つの村が合併して三陸村になったことにあるようです。もしかしたら「三」はその合併した村の数を指しているのかもしれないのですが、合併して地域性のない名前になるというのは平成の大合併に限らず、昔も同様だったのかもしれません。
三陸駅の駅舎。隣にあるJAや商工会と一続きの建物になっています。
入口には「三陸町観光センター」とありますが、大船渡市観光物産協会の方が駅業務も兼ねて常駐しています。
駅舎には待合室や売店の機能があり、列車待ちの時間をここで過ごすこともできます。
東京から直行してきたので着替えなどの荷物を抱えていたのですが、付近を巡る間、ここで預かっていただけました。
北に7~8分ほど進むと、商店が集まる地区へ。「サイコー商店会」というのは、「再興」と「最高」を含んだ意味合いなのでしょうか。
その中の「三平」さんで昼食をいただきました。ラーメン、和食、洋食と手広くカバーする庶民的なお店です。津波で店を流され、その後、弁当作りから再開して今の店に再オープンしたとのこと。
ランチはいくつか種類があるのですが、ミニ海鮮丼と旨辛ラーメンのセットをいただきました。これで700円ということで大満足です。
(店の情報を調べると、600円という記事もあるのですが、その後値段が変わったのかもしれません)
付近にもう1つ、商店会の看板にも載ってない店があったので気になっています。
ともかく、昼食も済んだので付近を歩いてみます。
津波を耐え抜いた「ど根性ポプラ」
今回、三陸駅で下車した主目的が、駅からすぐ近くにある「ど根性ポプラ」を見ることでした。
左に見えるのが「ど根性ポプラ」と呼ばれるポプラの木。右に水門があり、堤防の向こうは海です。
津波に耐えた木、というと陸前高田市の「奇跡の一本松」が知られていますが、この25mほどの高さがある「ど根性ポプラ」も、半分まで津波に浸かりながらも耐え抜いたことでそう呼ばれるようになったそうです。
もともとは民有地でしたが、市がこのポプラの木の周辺を交流広場として整備し、トイレや東屋が置かれています。
すぐ隣には、大船渡市最大の巨木で樹齢7,000年ともいわれる三陸大王杉もあり、自然の力の逞しさが感じられます。
盛行きの洋風こたつ列車と、釜石行きの普通列車。ポプラの向こうに三陸鉄道が見えるので撮ってみたのですが、位置関係的に構図が取りにくく悩みまくります。縦構図だと列車の位置が中途半端だし、根元を切って横構図にすると、列車が後ろの家並みに紛れてしまうし……。
横構図でも、三陸鉄道オリジナルの赤と青のラインが入った車両なら目立つ気がするので、ポプラの葉が付いた時期に、晴れた日に撮れたらなあ、などと考えていました。
三陸駅からど根性ポプラ広場へのルートは下の地図の通り、ほとんど東に一本道です。
三陸駅に戻って
写真を見ていてもお分かりいただけると思いますが、予報通りとはいえだんだん曇ってきてしまいました。夕方までいようと思っていたのですが、雨もポツッと降ってきたし、切り上げて大船渡の市街地へ向かうことにします。
三陸駅に戻って、預かってもらっていた荷物を引き取り。列車待ちの間、駅舎の中で観光協会の女性の方と雑談をしていました。
三陸鉄道はずっと赤字だったので、従業員の待遇改善といってもそうそうできるものでもありません。
2019年度は途中まで黒字予想で、期待していた運転士の方もおられたそうですが、それも台風19号で暗転してしまい。それでも、地域の鉄道を守る使命をもって務めておられるということを、気の毒そうに話をしてくださいました。
その日は大船渡の市街地で泊まるということを告げると、「あの辺は最近行ったことがなくて。なかなか行く気になれないんです」とのこと。それ以上は聞けなかったのですが、海に近い場所なので、やはり津波の記憶というのが影響しているのかもしれません。
三陸駅は、年末になると駅で柿を干す「柿のれん」が名物で、干柿をこたつ列車の利用者に配ったりしているそうですが、残っている干柿をたくさんいただいてしまいました。
2019年の柿のれんの記事は下記にありました。
列車の時間が近づいてきたのでホームに上がります。
盛行きの列車がやってきました。東北電力のラッピングですが、青い身体に黄色いクチバシというと、西の方のICカードで出かけたがるあのキャラを思い出してしまいます。
恋し浜駅。日中の列車はここで3分間停車するので、若干ですが駅を見ることができます。
待合室は、願い事を書いたホタテの貝殻で溢れかえっていました。飾り切れなくなった貝殻が下の方に積まれているという溢れぶりです。
盛駅に到着。この後はBRTで大船渡へ移動しました。
復活を願って
三陸鉄道に乗車したのは、2019年5月以来2度目です。その時は盛から久慈まで一気に全線乗り通したので、次は途中で降りて沿線を訪ねたいと思っていました。
今回はその1つだったのですが、ど根性ポプラに託された思いや、観光協会の方の話など、やはり列車に乗るだけでは得難い経験ができてよかったと感じました。
また、唐丹~吉浜間での一時停止や恋し浜駅での3分間停車、各駅につけられた愛称など、地域の魅力を積極的に発信していく三陸鉄道のスタンスを改めて感じることができました。
2019年3月にリアス線として出発後、全線を直通する夜行列車や、旧山田線区間での震災学習列車など、新しい企画を次々と打ち出していました。全線復旧後、その活気を味わえる日を楽しみにしています。
※全線乗り通しの時の記録は下記をご覧ください。