9月14日、15日の2日間、宮城県登米市が『おかえり「おかえりモネ」ファンの皆様』という企画を実施していました。
通称として「おかえりモネファン感謝祭」と呼ばれていたため、この記事でも以後「ファン感謝祭」と書きます。
2021年5月~10月に放送されたNHKの連続テレビ小説「おかえりモネ」は、宮城県の登米市と気仙沼市を舞台とした物語でした。その舞台地として、放送から3年たった今、改めてドラマに関連する企画を実施するというものです。
この2日間の行動については以下の3本の記事にまとめました。
その中でいくつか考えたこと、思ったことがあるので、この記事でまとめておきたいと思います。
登米市のアイデンティティと「おかえりモネ」の間
この2日間というより、ドラマ「おかえりモネ」の放送の序盤ぐらいからずっと感じていたことがあって、9月15日の梶原ディレクターの講演で登米市が舞台となった経緯を伺って、改めて考えたことになります。
「おかえりモネ」というドラマは、当初から、以下のような文章で紹介されています。
「海の町」宮城県・気仙沼で生まれ育ち、「森の町」同・登米(とめ)で青春を送るヒロインが、”気象予報”という「天気」にとことん向き合う仕事を通じて、人々に幸せな「未来」を届けていく、希望の物語。
たとえば下のNHKのドラマガイドでもそのように書かれています。
でも、この「森の町」という呼び方は、現実に存在する登米市の表現としてどうなのかということがずっと気になっています。
登米市で山林が広がるのは市の東部に偏っていて、中央から西部にかけてはほとんどが平地です。市の総面積に対して森林面積は41%強*1。リアス海岸で平地が少なく、市域の約72%を森林が占める気仙沼市*2より割合は小さいのです。
一方で、農地(田、畑)は市域の32.7%で、宮城県の圏域別の割合では1位となっています(登米市は市単体で「登米圏域」として分類されている)*3。
ドラマの中の登米市は、米がおいしいとか、野菜が獲れるといったことは随所で触れられていて、農業がまったく無視されているということはないのですが、やはりメインは林業であることは間違いなく、「森の町」という表現は正しいと思います。でも、特に中部や西部の登米市民にとって「森の町」登米という表現は何かしっくりこないのではないか、ということが気になっています。
実際、今の登米市のキャッチフレーズ「うまし、たくまし、登米市」は、「広大で肥沃な登米耕土の魅力と、そこで伸び伸びとたくましく生きる人々の活力」を表現したものということなので、もしかしたら広い意味で林業も含んでいるのかもしれないけど、それを直接的に表現したものではありません。
この辺、気仙沼はまた違っていて、日本有数の港町で、漁業と水産業の町という確固たるアイデンティティがあり、ドラマでもまさにそのように描かれています。気仙沼で、農業やITサービス業といった海とは無関係な仕事をしている人でも、気仙沼のアイデンティティについて疑いを差し挟む人はいないと思います。
登米市の場合、2005年に9つの町が対等合併で誕生した市であることから、もしかしたら市としてのアイデンティティがそれほど強いものではなく、旧町ごとのアイデンティティも根強く残っているのではないか、ということを考えたりします。
もちろん、考え方は人によってそれぞれでしょう。
- どんな形であれ、登米市が朝ドラの舞台になって多くの人に見てもらえるのは嬉しい。
- 「森の町」ではないと思うけど、ドラマの構成上そうなるのは理解できる。
- 登米市の中でも林業が盛んな地域に住んでいるので、この地域が着目されるのは嬉しい。
- 農業だけではなく林業も登米市の特色として打ち出せればいい。
- 林業が中心で、他の産業にあまり注目されなかったのは残念。
- 気仙沼が主で、登米が従という扱いは納得いかない。
ちょっと思いつくだけでもいろいろな見方があり得ると思います。
梶原ディレクターの講演後の質疑応答で、私は時間がなくてその場にいることはできなかったのですが、「登米市で取り上げるのが東部に偏っているのでは」という質問があったらしい、という話を聞きました。具体的にどんなやりとりがあったのかはわかりませんが、やっぱり市民でもそう感じていた方がいたのかな? ということをちょっと思いました。
気仙沼で扱う海産物も「牡蠣」でないといけなかった
「おかえりモネ」で登米市が「森の町」として描かれるのは、気仙沼との間で海と森の繋がりを描くためでした。梶原ディレクターは、内陸部のいくつかの候補の中で登米市に決まったのは森の存在が大きかった、と話されていました。もともとのテーマが震災復興である以上、気仙沼が主であり、登米は気仙沼との関係の中で描かれる形になるのは、それはそうだろうと思います。
少し話が変わるのですが、講演会の後、気仙沼に向かう列車に乗っていてふと気づいたことがありました。
以前から、気仙沼の多様な海産物の中で「おかえりモネ」はなぜ「牡蠣」にしたんだろう、ということが気になっていました。養殖ならホタテ、ホヤ、ワカメなどもあるし、カツオやメカジキ、サンマ、サメといった名物もあります。
でも、登米との関係を描くためには、気仙沼も牡蠣でなくてはいけなかった、ということに気づいたのです。
「おかえりモネ」では、登米と気仙沼の繋がりは以下の形で表現されています。
気仙沼で扱うのが牡蠣ではなかったら、2.の部分が存在しないため、登米と気仙沼の繋がりが切れてしまうのです。
つまり、全体として気仙沼が主、登米が従の関係ではあるけど、逆に登米が舞台地に設定されたことで、気仙沼側の設定が規定された部分もあるんだな、ということに思い至りました。
共通言語、コミュニケーションツールとしての「サメのぬいぐるみ」
ドラマ「おかえりモネ」のファン活動で特徴的なのは、「サメのぬいぐるみ」を持って舞台地を訪ねる人が多いということです。
なぜ「サメのぬいぐるみ」なのかは、ドラマの中のエピソードに由来します。最後にはヒロインの永浦百音と結婚を約束することになる、坂口健太郎さん演じる医師の菅波光太朗が実は無類のサメ好きであり、まだ百音ともそれほど親しくなかった頃、紙袋にサメのぬいぐるみを入れていたのを見られて、慌てて「これは……東京の同僚に」とごまかしていたのです。そしてそのサメぬいは、後に百音が菅波から合鍵をもらう間柄になって、菅波の部屋に入った時にちゃんと部屋に飾られていたのでした。
中盤以降、SNSで「#俺たちの菅波」というハッシュタグが生まれて語られるようになった2人の関係ですが、この2人が親しくなるきっかけがサメぬいだったのです。
このぬいぐるみが市販品で、ドラマに関連するグッズとして買い求める人が増えたようです。
そもそもドラマを見る動機というのも人それぞれだと思います。朝ドラの場合、「朝ドラはとりあえず見てる」という人もいるし、地上波のドラマ枠は最初は一通り見て、途中で取捨選択していくという人もいます。一方で、私は放送以前から気仙沼をよく訪ねるようになっていたことから、その場所が舞台になるということで珍しくドラマを見たのでした。そして、「好きな俳優が出演するから」という動機で見る人も多いと思います。
確証はないのですが、サメぬいをもって舞台地を訪ねる人は坂口健太郎さんのファンが多いのかな? という印象を持っています。サメはドラマの中では菅波と強く結びついているので、たぶんヒロイン役の清原果耶さんや、幼馴染役の永瀬廉さんのファンはサメぬいは買わないだろうという気がします。
そして今回、登米で初めてサメぬいを持っている方々を目にして気づいたのは、サメぬいはファン同士の共通言語というか、コミュニケーションツールとして機能しているんだな、ということでした。
知らない同志であっても、サメぬいを持っていればお互いドラマのファンだということがわかるので、そこからコミュニケーションのきっかけが生まれる。登米や気仙沼で観光客を受け入れる方々も、サメぬいを見たら、その人がドラマのファンで訪ねてきたということがわかるので、ドラマを媒介としたコミュニケーションができる。
そういった形で、サメぬいを媒介としたコミュニティのようなものが形成されてきたのだろうな、ということを考えたりしました。
ドラマに関連するキャラクターグッズとしては、ヒロインが気象予報士としてテレビ番組に出演する時に使っていた「コサメちゃん」「傘イルカくん」のパペットもあるのですが、こちらは番組限定グッズで、一時期はNHKで販売されていたものの今は購入できない模様。そういうこともあって、今はもしかしたら坂口さんのファンに限らない、ドラマのファンとしてのアイテムになっているのかもしれません。
ちなみに9月15日の梶原ディレクターの講演の時、「サメぬいを持っている人が最前列に並び、ファンの熱意と続編制作の期待をアピールしよう」という作戦があったらしいですが、残念ながら梶原ディレクターは、ファンがなぜサメぬいを持っているのかをご存じなかったらしいということでした。
私は残念ながら、こんなサメぬいを持って町を歩いていたら、通報されて警察がやってきて職務質問されてしまうので、サメぬいコミュニティには加われそうにありません。
「ファン感謝祭」関連の記事はこれで終わりになります。
実はもう1つ書こうと思っていたことがあったのですが、よく考えたらドラマ「おかえりモネ」とはまったく関係ない話だったので、もし書くとしたら別枠の記事として書きたいと思います。