君と、A列車で行こう。

鉄道とシミュレーションゲーム「A列車で行こう9」を中心に綴るブログ。当面、東北地方太平洋沿岸の訪問をメインにしています。

「ドラマはこうして作られる」~『おかえりモネ』トークイベント:(1)イベント本編

イベント会場となった気仙沼市「まち・ひと・しごと交流プラザ」(2022年9月撮影)

昨年5月~10月にかけて放送された、NHK連続テレビ小説『おかえりモネ』については、頻繁に訪ねている宮城県気仙沼市が舞台となったこともあり、このブログでもロケ地訪問や考察などでたびたび記事にしてきました。

詳しくは「おかえりモネ」カテゴリからご覧いただければと思いますが、その一部の週の演出を担当された梶原登城さんが、このドラマを題材にして演出の仕事について語る「ドラマはこうして作られる」演出のお仕事大公開トークイベントと題されたイベントが2022年11月3日に開催され、現地で参加してきました。

kesennuma-kanko.jp

現地ではトークイベントの他に、ドラマで使用された小道具の展示も行われたのですが、そちらは記事を分けましたので、下記をご覧ください。

a-train.hateblo.jp

トークイベントはネット配信も行われましたが、質疑応答の際、質問者にマイクがなかったため質問の内容が聞き取れなかったそうで、その辺もできるだけフォローできればと思います。

これ以下は『おかえりモネ』のネタバレが含まれます。放送が終了してから1年がたち、今さら気にする方もいないとは思いますが、念のためご注意ください。

教えて!梶原監督

イベント会場となった気仙沼市の「まち・ひと・しごと交流プラザ」(建物が面している岸壁の番号にちなんで「PIER 7=ピアセブン」とも呼ばれたりします)は、ドラマの中で「海のまち市民プラザ」の建物として登場し、物語の終盤で気仙沼に帰郷したヒロインの永浦百音が、気象情報会社の事務所を構え、ラジオ放送で天気予報を伝える場所となりました。

イベントの入場証。ネックストラップケースに入っていて、返却時に持ち帰りOKということでいただいたもの

13時に始まったイベントでは、まず梶原さんのお話、そして質疑応答の順番で行われました。まずはお話の内容を紹介します。なお、メモ書きから起こしているため、一部の表現がお話と違っていたり、文章としてまとめるために私で補ったりしている部分があります。もし、明らかに文脈が間違っているというようなことがあれば、ご指摘いただければ修正します。

司会進行を務めたのは気仙沼市観光課の小松さん。2021年末のNHK紅白歌合戦で、気仙沼市の取材映像が流れた際、ドラマのヒロインの永浦百音と同世代の女性として出演されていた方です。

「涙が止まらなくなった方はそっと手を挙げてください。スタッフがティッシュをお渡しします」というジョークで始まりました。

ドラマ制作の流れ

『おかえりモネ』の制作が始まったのは2019年の秋。プロデューサー、ディレクターなど3人ほどのコアメンバーからのスタートでした。

ドラマの制作は通常1年ほどかかるそうです。イベント時点で手掛けておられたという年末特番も、昨年末ごろから準備にとりかかったとのこと。連続テレビ小説のような大作になるともっと長くなり、2年近くかかったそうです。

ドラマ制作の流れは以下のような感じです(※実際に示された資料とは表現が違うかもしれません)。

  1. 企画
  2. 脚本開発(シナリオハンティング)
  3. キャスティング
  4. ロケーションハンティング(ロケハン)
  5. 美術打ち合わせ
  6. 音楽打ち合わせ
  7. 技術打ち合わせ
  8. リハーサル
  9. 撮影
  10. 編集(視覚効果、音入れなど)
  11. 試写
  12. 放送

このうち、撮影までの工程をプリプロダクションプリプロ)、それ以降をポストプロダクション(ポスプロ)と呼ぶそうです。

『おかえりモネ』の企画

『おかえりモネ』は、東日本大震災から10年の2021年に放送されるということで、震災をテーマにし、ドラマで東北を元気にできればというようなことから企画が始まったそうです。

安達奈緒子さんに脚本を依頼することが決まり、脚本開発の工程へ。制作の中で気仙沼を初めて訪ねたのが2019年12月17日でしたが、それまでに同じ宮城県石巻閖上などを訪ねていた現地訪問の一環であり、この時点ではまだ場所は未定でした。

気仙沼を舞台に選ぶきっかけになったと梶原さんが以前のイベントで語っておられた、大島の亀山からの眺望

ただ、梶原さんは以前の連続テレビ小説あまちゃん』など、東北をテーマにした番組にたびたびかかわっていたこともあり、その中で気仙沼という地域は印象に残っていたようです。

もともと、災害をきっかけとして「もし少し先の未来がわかれば」というところから、気象との繋がりを描くイメージはあったそうですが、気仙沼登米に着目するようになったことから、「海と山を繋ぐヒロイン」というヒロイン像が形成されていったそうです。

コロナ禍のドラマ制作

2020年に入り、キャスティングが始まりましたが、ちょうど新型コロナウイルスの感染拡大が問題となり、ヒロインのオーディションは困難とのことで見送りに。数人をピックアップした中から清原果耶さんに決まったそうです。一方、その妹役はリモートでオーディションを行い、蒔田彩珠さんを選出。画面越しに動きを指示して動いてもらったり、画面越しには何度も会っていたのに初めて対面した時に「はじめまして」とあいさつするなど、変わった経験をしたと語っておられました。

初の緊急事態宣言の発出もあり、ロケハンの工程は2~3か月遅れ、気仙沼は梶原さん、登米は演出チーフの一木さんで分担して進めるなどバタバタしたそうです*1

そして、気仙沼の各地を訪ねて写真を1000枚ほど撮り、取材した内容も含めて脚本の安達さんと共有。必要に応じて安達さんもともに現地を取材しながら、脚本を作り上げていったのが2020年7月~8月ぐらいのことだったそうです*2

「振り子」の演出

ここからは、ドラマの中から、梶原さんが演出を担当したいくつかの場面をとりあげ、そこでの手法について語られました。

百音「ちがうよ、お父さん」「音楽なんて、何の役にも立たないよ」

震災の後、楽器の演奏を再開しないかと父親に勧められてヒロインが語った言葉(第15回)。震災での経験からこの言葉に込められた絶望を表現するには、それまでいかに音楽を愛してきたかという「希望」を表現しないといけない。それが振り子の効果であり、(なんでもそうすればいいというわけではないけれど)振り幅が大きくなるほど感動に繋がる、ということでした。

実際のドラマの構成としては、

  • 第13回では、百音が登米から帰省して同級生たちも永浦家に集まった際、中学校の吹奏楽部で「北限のゆずまつり」に出演してみんなで「アメリカン・パトロール」(ジャズ編曲)を演奏した思い出が語られる。
  • 第14回では、その「アメパト」に乗せ、百音が幼い頃から音楽に興味を持ち、ジュニアバンドでアルトサックスを吹くようになり、中学校では部員が他にいなかった吹奏楽部に仲間や妹を次々と勧誘し、10数人のバンドに成長する……と、音楽に打ち込んできた生い立ちが示される。
  • 第15回で、震災の経験とそこで受けた衝撃、そして無力感に囚われた百音が「音楽なんて、何の役にも立たないよ」と絶望の言葉を吐くまでが展開される。

というように、3回の構成で希望から絶望への転換が示されていました。

第13回の「北限のゆずまつり」のシーン(「おかえりモネ展」の展示より)

第14回の生い立ちの表現は、音楽と映像がシンクロした素晴らしい構成だったと思っているのですが、考えてみれば、第13回で思い出を振り返る場面がなければ、第14回で流れるアメパトの意味も分からなかったわけで、その辺は何気ないように見えて綿密に脚本が組み立てられていたんだな、と改めて気づきました。

演出の「絶対的目線」

次の題材は第18回のあるシーンから。引き続き、百音の帰省中の出来事です。

水産高校に通う妹の未知は、夏休みの自由研究として、牡蠣の地場採苗に取り組んでいました。気仙沼で育てる牡蠣は、もともと石巻などで育てる種牡蠣を買って育てているもので、その種牡蠣を地場(気仙沼)で育てられれば、コストも下がるし、万一種牡蠣の育成地で何かあっても気仙沼で牡蠣を育てられる。そういう問題意識を持ち、地域に貢献したいという思いで取り組んでいたものでした。

大島の海に広がる牡蠣棚

しかし、海の中で牡蠣の幼生をつけた原盤を引き揚げるタイミングに悩んだ末、悪天候に見舞われ、祖父の龍己が急いで引き揚げに向かったところ、足に怪我をしてしまいます。

母の亜哉子は「熱心なのはいいけど、おじいさんに怪我をさせてしまっては元も子もない」と未知を諫めるものの、龍己は「そんなに怒ることはない。たかが高校生の自由研究です」ととりなそうとします。

ところが、その「たかが」という言葉に、自分が真剣に取り組んでいる思いを軽んじられたと思い、未知が激昂してしまいます。

なだめようとした父の耕治にも未知はさらに食ってかかり、亜哉子が「いいかげんにしなさい!」と一喝して家族が黙り込んでしまった場面。

龍己・耕治・亜哉子・未知の4人は居間にいて、そういう激しいやり取りをしていました。そして家を離れた百音は、台所からそれを見ていることしかできませんでした。

気まずくなってしまった家族の雰囲気を変えようと、百音は、登米で耕治が作ってくれた木の笛を突然吹き、「そうだ、はっと汁(登米の名物料理)作ろう。みんなも手伝って」と家族を呼び寄せ、雰囲気が変わったことで未知も言い過ぎたことを謝り、その場は収まったのでした。

第18回で百音が吹いた木の笛。その後芽が出た(「おかえりモネ展」の展示より)

このシーンは百音ではなく未知を中心としたシーンであったものの、居間にいる家族のやり取りを離れた台所から見る、百音の視線を常に意識する演出がなされていました。それが「絶対的目線」という言葉で示されました。

また、この場面では、居間と台所の間に廊下があるのですが、百音役の清原果耶さんには、「廊下に出ないように」という指示をしていたそうです。震災の経験をきっかけに「何の役にも立てない」という思いで家を出てしまった百音には、他の家族との間に心理的な隔絶があった。そのことを視覚的に表現するためだったとのことです。

さらに、このシーンで表現されたことは、やがて心理的な隔たりを乗り越えようとする「橋を、渡ってきた」という第92回のセリフへの係り結びになっている、ということも語られました。

個人的には、ここで百音が作ろうとしたのが登米の料理である「はっと汁」だったことにも意味があったのではないかと思っています。つまり、家族とは違う「登米の人」として描かれている。そこに、家族との距離感が表れていたのではないでしょうか。

出演者や脚本家とのかかわり方

ここからは「脚本家とのかかわり方」と題した話に移りましたが、内容としては出演者とのかかわりに関することも多く含まれていたため、そうした見出しとしました。

先にも触れられた第13回の「北限のゆずまつり」での演奏の場面。音源の演奏は首都圏の中学生に行ってもらったとのことで、出演者としてはその音に合わせて演じることになります。撮影は2020年11月に行われましたが、演奏の演技のため、百音役の清原果耶さんをはじめとする同級生役の出演者は、7月頃から楽器の練習に入っていました。そして、本番の撮影の時点では、実際にそれなりの演奏ができるところまで上達していたそうです。

楽器の練習を通して、本当に部活動のような雰囲気になり、本番の撮影が終わった時には、感激して全員で喜んだりしたとのことでした。

この中学校のブラスバンドが設定された理由として、脚本開発の段階の話が紹介されました。

大島を取材する中で、東日本大震災の時の状況も知ることになります。発災が午後3時前という時間だったため、島の大人の多くは本土(気仙沼市の市街地など)に仕事に出ていて、そのまま島に戻れなくなっていました。

救援の手が届くまでの数日間、孤立した島の中で奮闘したのが中学生たちでした。そうしたエピソードをもとに、キャラクターの設定に活かしていったそうです。

大島に救援の手を届けたのは米軍のトモダチ作戦。それを記念する碑(大島・浦の浜にて)

『おかえりモネ』の脚本を執筆した安達さんは、取材を進める中で、震災の当事者側のドラマは自分には書けない、という思いを抱えていたそうです。「人の痛みはその人にしかわからない」ということも考えていて、そうしたことから、他人の心の痛みを否定しない、ある種の寛容さが込められた物語になったということでした。

脚本を執筆する中で、震災という現在も続くテーマと向き合ってきたものの、ドラマとしてはどこかで結論を書かなければいけない。そうしたエピソードがいくつか紹介されました。

まず、第16週(第78回)、百音と妹の未知、そして幼馴染たちが東京に集まって語り合った場面で、震災以降、それぞれにとらわれたものを抱えるみんなの前で三生が言った、「俺らもう、普通に笑おうよ」という言葉。これが、制作スタッフが取材した内容を脚本家に伝え、それをもとに考え抜いた末、「点を打つ」(一定の結論を出す)言葉として出てきた、絞り出された言葉の雫のようなものとのことでした。

梶原さんがここでもう1つ紹介されたのは、この場面で初めて「震災」という言葉が出てきた、ということでした。確かに物語の前半は、「あの日」とか「3年前」といった婉曲的な表現が多く、それは震災のことをまだストレートに表現しにくい、劇中の人物の心情表現なのだと私は思っていたのですが、安達さん自身が、「震災」という言葉をストレートに書けるようになるまでに16週分かかった、ということを言っておられました*3

もう1つのエピソードは、震災で家も船も、そして最愛の妻も津波にさらわれてしまった漁師という及川新次の話。その後は酒浸りとなってしまい、行方不明となっている妻への思いにすがるあまり、「絶対に立ち直らねえ!」という言葉を吐く。朝ドラはそのコンセプトから前向きになれるような話が多く、その中では挑戦的な表現ではあるものの、簡単に前を向くような話はきれいごとでしかないのでは、という思いがあったそう。その一方で、決着の付け方には悩んだそうです。

最終的には、年月が流れ、海から離れてイチゴ栽培を手伝うという新しい生き方をする中で、いつしか妻の死を受け入れていたことに気づき、死亡届を出すという話になるのですが、実際に同じような境遇にあった人、3~4人ほどに話を聞く中で、やはりそれぞれに異なる思いがあったとのことです。

立ち直れないでいる新次に、親友として向き合った耕治も、いくら親友とはいえ新次に対してどこまで踏み込んでいいのか、どういった表現ができるのかという点ではかなり難しい人物だったとのこと。

新次が死亡届に判を捺す場面は、ドラマの終盤となる第113回でしたが、この頃、安達さんの脚本が少し遅れていて、諸般の事情もあり、新次役の浅野忠信さんに台本が渡って間もない中で撮影をしなければいけなかったそうです。

浅野さんは、役を作り上げる時間が取れない中で演じることに迷いがあり、梶原さんにも相談していたとのこと。そして梶原さんは、もう浅野さん自身が新次なのだから、仮に台本通りでないとしても、自分が表現できるままに演じてもらえたらいい、ということを繰り返し伝えていたそうです。

そうした中、本番の撮影はリハーサルなしの一発撮りで、浅野さんが役として入り込めるタイミングを待って撮影することになりました。撮影スタッフも、事前にある程度の打ち合わせはするもののぶっつけ本番になるので、たとえ失敗したとしても、とにかく浅野さんだけは外さないでくれたらいい、と伝えていたそうです。出演者、スタッフの凄い緊張感の中で作り上げられたシーンだったとのことでした。

最後に、「バタフライエフェクト」(蝶の羽ばたきが起こした小さな風がハリケーンになる、という気象に関する言葉)についての言及があり、「おかえりモネ」が扱った地球の水の循環の話もそうだし、人間同士も、誰かのことを思って行動することが、他人に影響を及ぼし、やがて自分にも帰ってくる。新次が立ち直らないままではなく、前を向けるようになるのもその1つ、といった話で締めくくられました。

質疑応答

お話の後、会場参加者との質疑応答が行われました。引き続き、メモをもとにしているので言葉が足りていない面があるかもしれません。

 

Q:続編お願いします。

A:やれたらいいですね。『ちゅらさん』なんかはそうでした。NHKへ要望を送っていただければ。

 

Q:菅波が、百音との結婚の話をするために気仙沼に来た場面(最終週)で、菅波が「島の外から来た人だからよかった」という言葉があるが、何が良かったのか? 考えたものの理解できなかった。

A:最終週は一木さんの担当なので、その意図の本当のところはわからない。ただ、第14週で、「水害が多発する地で住み続けるべきなのか」について語られた中で、菅波が「サンマは冷たい水がある場所へ移動する」という例え話をしたように、客観的な視点を提示できることが大きいのでは。百音が、違う視点を持つ菅波とともに生きていくということが「よかった」のではないか。

Q:でしたら、そのともに生きていく続編をお願いします。

A:それはNHKに要望を送ってください。

 

Q:『おかえりモネ』に限らず、『エール』や『ちむどんどん』なども内容が物足りない。若い人にはいいのかもしれないが、60代、70代にはとにかく物足りない。以前は週6日あったのが5日になってしまったが、何か会社の方針なのか。

A:がんばります。

 

Q:コロナ禍で放送回数が減ってしまったが(全120回)、もしコロナ禍がなく通常通りの回数(概ね130回)があれば作りたかった話はあるか。

A:最初から24週(120回)と決まっていたので、そういったものがあったかは分からない。

Q:減ってしまった分、続編をお願いします。とりあえず、百音と菅波が結婚する話が見たいです。

A:NHKに要望を送ってください。

気仙沼市の「おかえりモネ展」のメッセージでも、続編やスピンオフの希望が目立っていた

 

Q:登場人物ごとにイメージカラーが決まっていたように思われるが、何か設定はあったのか。

A:明確に決めていたわけではないが、イメージはあった。龍己はジェームス・ディーンのような雰囲気で、赤のイメージがあった。百音は水や風のイメージがあった。未知は、たぶん蒔田さんが黄色を着たら似合ったということだった。菅波はイメージカラーというより白衣姿が思い浮かぶが、それよりも「シャツはイン」だろう、というイメージだった。

 

Q:朝ドラは週ごとに演出の担当が交代することになるが、担当者間でイメージを共有したりするということはしているのか。

A:主に脚本会議の場で演出担当が集まって、先に撮影した担当者が、その意図を伝えたりしている。例えば、新次の一連のストーリーのうち第8週については別の担当者(桑野さん)が撮影しているので、その演出のねらいを聞いたりした。一方で、担当者がそれぞれ自分なりのこだわりで演出するところもある。

 

Q:「震災の時、津波を見て祖母を置いて逃げた」という未知の設定は、物語の最終盤(第118回)で明かされるが、蒔田さん(未知役の蒔田彩珠さん)にはいつ伝えたのか。

A:蒔田さんには早い段階から伝えていた。少なくとも、震災の後に百音と再会する場面の時には伝えてあった。百音と未知はコインの裏表のように、立つ側によって見え方が変わるような話だった。

 

Q:「#俺たちの菅波」など、SNSの盛り上がりは制作に影響することはあったか。

A:物語の本筋に影響することはないが、多少は影響を受けた面もあった。撮影の際、菅波役の坂口健太郎さんが来ると「俺たちの菅波入りました!」などといじっていたりした。批判も含めて反応は見ていた。菅波がウケている理由について、嫌な奴に見えても聞かれたことにはちゃんと回答するし、根っこにあるやさしさのようなものがウケているのではないか、などと制作陣で考えたりした。

 

Q:菅波と百音が関係を深める場はなぜコインランドリーだったのか。

A:まず、ドラマは会話劇なので「場の設定」が必要。そのために、よくある設定としてみんなが集まる「喫茶店」があったりする。それがコインランドリーに設定されたのは安達さんのセンスで、菅波は自分で洗濯などをきちんとやる性格ではなさそうだし、一方で医師ということで清潔であることも求められるので、きっとコインランドリーを使うだろう、ということで設定された。ただ、コインランドリーのセットは狭く、周囲をカメラなどの機材が取り囲んでいてセットの中に入るのも苦労するような構造なので、ずっとコインランドリーだと困るな、とも思っていた。

コインランドリーのセットのパネル(「おかえりモネ展」の展示より)

Q:菅波の登場とともに猫の鳴き声が入った意味は。

A:周囲に野良猫がいるという設定だったが、効果部(効果音などの担当)が過剰に鳴かせたかもしれない。

 

Q:撮影を通じて印象が変わった俳優はいるか。

A:今回はほとんどが初めての人だったので、大きく変化したということはないが、目の前で演技を見て、「みんなすげえな」と感じた。特に鈴木京香さん(永浦亜哉子役)は抜群のステージングだった。

 

Q:主題歌の『なないろ』の制作にあたって、演奏したBUMP OF CHICKENと何か話をしたのか。

A:もちろんドラマのことは伝え、その時点でできている台本は渡したが、どういった曲にしてほしいという具体的なことは言っていない。

 

Q:コロナ禍がなければやりたかった、ということはあるか。

A:物語としてはそんなにない。密着は避けるとか、テクニカルなところで気を遣ったことはあった。もともと、コロナ禍だけではなく様々な制約がある。ただ、菅波に関しては、医療従事者を茶化すような表現はできないということに気を遣ったりした。菅波の設定について、コロナ禍を描くかどうかという以前から呼吸器の医師にすることにしていたが、それがコロナ禍を描く際に活きた。

 

参加しての感想

『おかえりモネ』は、作り手の思いと向き合うドラマだと思ってずっと見ていました。

モネや未知やりょーちんや菅波、そして多くの登場人物が現れる画面の向こうに、脚本の安達さんの姿があって、彼女が「震災から10年」というテーマに立ち向かうドラマとして見ていた感すらあります。私にとってのヒロインは安達さんだったのかもしれません。

なので、安達さんや制作スタッフがどのように制作に取り組んでいたのかの一端が伺えたことがとてもよかったです。特に、膨大な資料や取材をもとに絞り出した雫、という表現は、確かにそういったものをドラマから感じていたので、納得できる言葉でした。

ドラマの具体的な内容について語りたいことは山ほどあって、いまだに全然語り足りないのですが、とりあえずここまでにしておきます。

次の記事では、イベント会場に隣接したスペースで行われた、ドラマの小道具の展示について紹介したいと思います。

a-train.hateblo.jp

*1:前々作の『エール』で、出演予定だった志村けんさんが新型コロナウィルスに感染して亡くなられ、緊急事態宣言によって撮影が中断したことにも言及されていました。

*2:なお、撮影のクランクインは2020年9月28日に登米で始まっています。

*3:なお、実際にはこれが初めてではなく、第9週(第43回)で百音が震災以降、心に抱えてきた痛みを菅波に打ち明ける場面があり、そこで「ちょうど5年前ですね。震災」というセリフがあります。それを梶原さんが知っていればこういった紹介はされないのではないか、と思うのですが、もしかしたら、脚本では「ちょうど5年前ですね」だけだったのを、それだけでは意味が通じにくいと思い、この週の演出担当の判断で付け足された言葉なのかもしれません。