月曜~土曜の朝に放送されている、おなじみNHKの朝の連続テレビ小説。
2021年春からの作品は、宮城県の気仙沼市・登米市などを舞台とした「おかえりモネ」となることが発表されています。すでに現地ロケは終わっており、今はスタジオロケに移っているそうです。
主人公は永浦百音(ももね)。その愛称が「モネ」です。
百音は、宮城県の気仙沼沖に浮かぶ自然豊かな島で育ち、大学受験に失敗すると、祖父のつてで同じ宮城県の登米市に移り住み、森林組合で働き始める、というストーリーになっています。
前回は、登米市東部にある登米町(とよままち)の観光施設、教育資料館を訪ねました。
今回は、登米市の郷土食である「油麩」「はっと」を使った料理をいただき、そして森林組合や登米町の他の観光施設を訪ねます。
- 内陸ならではのたんぱく源「油麩」と、うどんの親戚「はっと」
- 森林組合を訪ねてみる
- 武家屋敷「春蘭亭」でひとやすみ
- 廃藩置県の置き土産、水沢県庁記念館へ
- 地元出身画家の美術館へ
- 高速バスで仙台へ
- 仙台駅にて
- まとめ:海の町から、歴史と自然に恵まれた森の町へ
内陸ならではのたんぱく源「油麩」と、うどんの親戚「はっと」
前回訪ねた教育資料館を出るともう11時過ぎ。混雑する前に昼食にしたいところです。
教育資料館のすぐ近くにある大衆食堂「つか勇」さんに入ることにしました。
注文したのは油麩(あぶらふ)丼とミニはっと汁のセット。
左が油麩丼、右がはっと汁です。
油麩(あぶらふ)は、小麦粉のたんぱく質グルテンを練って植物油で揚げたもの。基本は一般的な「麩」と同じですが、油で揚げてあるのが特徴です。フランスパンのような形状で、ここではそれを輪切りにして卵でとじて丼にしています。
はっと汁の「はっと」は、小麦粉に水を加えて練って薄くのばしたもので、それを適度にちぎって油麩と一緒に茹でています。
卵でとじた油麩はやわらかくやさしい味わいで、それでいて揚げた表面にはしっかりした食感が残っているのが面白かったです。パンチが足りないと感じる場合のために紅ショウガが添えられていました。
はっと汁は、汁の味付けや具材がうどんに近いこともあって、うどんの親戚なのかなという印象です。
うどんに代表される小麦粉を使った麺類の中でも、ほうとうやきしめんのように平べったい麺がありますが、それをさらにぶつぶつ切ったらこうなるのかな、という感じでした。
興味深いのはどちらも小麦粉を原料とした食材だということ。内陸部の平地ということで、米の他に雑穀も栽培されているようですが、海なら魚を獲って摂取するたんぱく質を、ここでは油麩という形で摂っている。そういう、海岸部と内陸部の違いが鮮明に出ている部分だと感じました。
森林組合を訪ねてみる
「おかえりモネ」で主人公の百音が働くことになる「森林組合」ですが、いったいどういう組合なのか、なかなか謎の部分があります。
概要としては下記のページに紹介されています。
要は、森林保有者で結成するもので、森林を適切に管理しつつ、木材を活用した生産活動を行っていく組合のようです。
実際にどんな感じのところなのか見に行ってみることにしました。
上図の通り、北上川を渡って東に向かいます。
北上川は盛岡のさらに北まで続くだけあって、中流域でもこれだけの水を湛え、大河の風格を感じます。
川を渡った先は住宅地ですが、ところどころ、こういった重厚な黒い瓦屋根の家が見えるのが気になりました。
もしこれが地域性に根差すものだとしたら、「おかえりモネ」では登米の資産家の女性(モネが身を寄せる家であり、森林組合の組合長)が登場しますが、その家もこんな感じなのかもしれない、と思いました。あくまで想像ですが。
住宅地を抜けると、いよいよ山の中へ。上り坂をひたすら登っていきます。
その舗装道路の突き当たりに森林組合がありました。
こちらが森林組合の事務所。木材がふんだんに使われ、暖炉のような煙突も見える、いかにも森の中といった雰囲気です。
この日は祝日だったので当然誰もいません。
隣接するのが木材加工の工場。
積まれた木材を見てみると、板や柱、丸太など、さまざまな形状のものが見えます。
きっとこういうシーンがドラマでも登場するのでしょう。
森林組合のWebサイトがありましたので、これを見ると、活動の内容をより詳しく知ることができます。
また、調べてみると、思わぬところに登米町森林組合の製作物がありました。
各駅共通のベンチに追加して置かれているものですが、この製作が登米町森林組合となっていました。撮ったのは今年6月でしたが、なんでも撮っておくものですね。
組合の様子を垣間見たところで町に戻ります。
山はすでに冬に向かう表情を見せていました。
坂を下っていくと、途中にはこうして市街地の方が一望できる場所もありました。
武家屋敷「春蘭亭」でひとやすみ
坂道を含めて往復1時間近く歩いたので一休みです。
「みやぎの明治村」の中には武家屋敷があり、「春蘭亭」としてカフェの営業もしています。
注文したのは春蘭茶と和菓子のセット。「春蘭茶」とは、塩漬けにした春蘭にお湯を注いだもので、塩味の中に春蘭の上品な香りが漂います。
屋敷の構造や道具、調度品などに武家の暮らしが垣間見え、深く掘り下げるとそれはそれでいろいろな発見がありそうです。
廃藩置県の置き土産、水沢県庁記念館へ
かつて水沢県の県庁だった建物が、その後裁判所として使われた時代の資料を基に復元されています。
この辺は廃藩置県、そして府県統合でめまぐるしい変遷がありました。明治2年に登米(とめ)県が成立。その県庁として建設していたものの、完成前の明治4年には一関県に編入され、さらにその1か月後には水沢県に改称。明治5年に完成し、県庁として使われた建物でした*1。
といっても、県庁としては短命で、3年後の明治8年には北上川の洪水で破損して県庁が一関へ移転。以降、裁判所や企業の建物、老人センターなどに使われてきたそうです。
裁判所や議場の再現。
保存されている地図。本吉郡を見ると、横山、戸倉、志津川、歌津、小泉、大谷、階上、松岩、気仙沼、鹿折、唐桑……と、現在の気仙沼線・大船渡線BRTの駅に登場する地名が並んでいます。
この地の「登米」の由来についても説明があります。もともと、蝦夷地として「遠山村」と書かれていたのが「登米」と書かれるようになったことや、登米県が「とめ県」となったのは明治政府の官吏が読み方がわからなかったからではないかということ、そして現在は、旧登米町の施設は「とよま」、国や県の施設などは「とめ」と使い分けていることも知ることができます。
下記のページにもそのあたりの説明があります。
登米県や水沢県を構成していた登米郡(とめ郡)が、2005年に本吉郡津山町を含めて合併した際、住民投票で圧倒的多数を得たのが「登米市(とめし)」だったそうです。
地元出身画家の美術館へ
最後に、地元出身の画家、高倉勝子の作品を展示した高倉勝子美術館を訪ねました。
作品は、働きながら生きる女性の絵、純真な子どもの絵などが多かったのですが、後半には、広島での被爆体験を絵巻風に綴った画があり、それまでの絵とはうって変わった迫力に満ちた筆致は必見だと感じました。
高速バスで仙台へ
登米町は、東日本急行が運行する、仙台と直通する高速バスが1日5往復設定されています。
「みやぎの明治村」エリアにある「とよま明治村」から、仙台駅前への所要時間は90分となります。
仙台駅にて
これで終わりのつもりだったのですが、思わぬところで登米町の文化を体験することになりました。
仙台駅から帰る時には必ず立ち寄っている、新幹線南改札口の目の前にある洋食レストラン「ハチ」。
メニューを見ていたら、「登米市」の文字を発見してしまいました。
「ヤマカノ醸造」で調べてみると登米町の業者さんらしく、こんなところで町との縁があるとは、ということで即決です。
実は、登米町を歩く中で醸造業者の建物もいくつか見かけていたのですが、今回はスルーしていました。
ハンバーグ定食到着。
和風ソースと言えば大根おろしベースが定番で、たぶん味噌ベースのソースは初めてだったと思いますが、味噌の風味がハンバーグの味を引き立て、今までにない美味しさを味わうことができました。
まとめ:海の町から、歴史と自然に恵まれた森の町へ
前の記事も含めてのまとめになります。
登米町は、町なかに武家屋敷や明治以来の建物が数多く残り、農業に由来する郷土食があり、東には北上川や北上山地があり、海がない以外はすべてがあるような場所だと知ることができました。
「おかえりモネ」で、気仙沼と登米というチョイスはなかなか謎な感じもしたのですが、こうしてみると、好対照な2つの場所の組み合わせに思えます。
今回は6時間ほどで、観光地や森林組合をざっと巡っただけだったのですが、他にも見どころはあるし、季節ごとの風景の変化を楽しむ、仙北鉄道の跡があればそれを見てみる、うなぎの名店があるそうなので訪ねてみるなど、まだまだ楽しみはありそうです。
気仙沼線の沿線……というには少しアクセスが厳しいですが、また機会を設けて訪ねてみたいと考えています。
(追記)放送開始後に続編を書きました。