月曜~土曜の朝に放送されている、おなじみNHKの朝の連続テレビ小説。
2021年春からの作品は、宮城県の気仙沼市・登米市などを舞台とした「おかえりモネ」となることが発表されています。すでに現地ロケは終わっており、今はスタジオロケに移っているそうです。
主人公は永浦百音(ももね)。その愛称が「モネ」です。
百音は、宮城県の気仙沼沖に浮かぶ自然豊かな島で育ち、大学受験に失敗すると、祖父のつてで同じ宮城県の登米市に移り住み、森林組合で働き始める、というストーリーになっています。
気仙沼については前回までの記事でいろいろと紹介しました。
前回の記事はこちらになります。
11月下旬、気仙沼の次の舞台となる登米市を訪ねましたので、その記録を2回に分けてお伝えしたいと思います。
登米市(とめし)と登米町(とよままち)
「おかえりモネ」の舞台となる登米市ですが、一言で特徴を言い表すのが難しい市、というイメージがあります。皆さんはいかがでしょうか。
その理由としては、2005年に9つもの町が大同合併してできた市であり、核となるものが見えにくいという点にあるのではないかと思います。
気仙沼とは気仙沼線BRTでつながっており、登米市内の駅は柳津、陸前横山の2駅。鉄道の気仙沼線を含めると御岳堂、陸前豊里も入りますが、柳津・陸前横山は旧津山町、御岳堂・陸前豊里は旧豊里町に属します。
上の地図を見ると、気仙沼線(鉄道・BRT)は市の南部から南東部を通っていることがわかります。
登米市でもっとも有名な場所はマガンなどの渡り鳥の飛来地として知られる伊豆沼周辺だと思いますが、それは市の北西部の外縁になります。
NHKのサイトでは「登米市」としか紹介されていないのですが、いったいどこにいけばいいのでしょうか。
その1つの鍵は百音が働くことになる「森林組合」というワード。上の地図を見ると、北上川から右側、右1/3ぐらいは山林ですので、この山林沿いの場所ではないかという推測が成り立ちます。
実際に登米市にある森林組合を検索してみると、山林の西側に南から津山町、登米町、東和町の3か所がみつかります。
もし津山町だったら気仙沼線から近いかな、という期待をしたのですが、下記記事を見て、登米町が物語の場所に近いのだろうとわかりました。
そこで、登米町を訪ねることにしました。
なお、登米市は「とめし」と読み、登米町は「とよままち」と読みます。
「とめ」という読み方は市町村合併で急に出て来たのではなく、歴史的な由来があるのですが、それは次回でご紹介します。
柳津駅から登米町へのアクセス
登米市は、東南側の外縁を気仙沼線、西側の外縁を東北本線が通るだけで、中心部に鉄道がないため、市内交通の主力は市民バスになります。
他に、中心部の佐沼地区と仙台、今回の主題である登米町と仙台とを結ぶ高速バスが発着しています。
しかし、この市民バスはあいにく本数がそれほど多くありません。
右下に延びる津山線ですが、柳津駅発着でいえば平日4往復、休日は2往復です。休日は柳津駅発車が7:09、9:41。柳津駅着が13:05、17:02となります。
詳しくは下記ページから時刻表をご覧ください。
バスがない場合は、柳津駅にタクシーがいることが多いので、タクシーで向かう形になりそうです。
柳津駅に到着した市民バス。小型バスなのかと思っていたら、ミヤコーバスの一般的な中型バスでした。
観光地としては「登米三日市」バス停が一番近いのですが、その辺よくわかっていなかったので、とりあえずその次の登米町の中心である「登米総合支所」で下車しました。
登米三日市を出て、すぐに通り過ぎたことに気づいたのですが。
こちらが、旧登米町役場だった登米総合支所の建物。木材をふんだんに使った(たぶん)地域性を感じる立派な建物で、これはこれで見ておく価値があったと思いました。
隣接する総合体育館。入り口にバスケットボールのゴールがあり、遊んでいる子どもさんがいました。
観光物産施設「遠山之里」
総合支所から歩いて引き返すと、5分ぐらいで登米三日市付近まで戻ることができます。このバスが通る目抜き通りは「駅前通り」と名付けられていて、「なぜ鉄道もないのに駅前?」と思ったのですが、その謎はすぐ後で明らかになります。
観光物産施設「遠山之里」。この周辺は「みやぎの明治村」という観光エリアで、その中心となる施設。農産物や地元のお店の市場、観光案内所、レストランなどが併設されています。
ここではレンタサイクルの貸し出しも行っています。私もレンタサイクルで周囲を巡る予定だったのですが、この日はとても風が強く、かえって危険だと思ったので、徒歩で移動することにしました。
なお、次回改めて紹介しますが、「登米(とよま)」の語源が「遠山」なのだそうです。
教育資料館(国指定重要文化財)へ
「遠山之里」の隣にあるのが教育資料館。「みやぎの明治村」を象徴する観光施設です。「おかえりモネ」のヒロインを演じる清原果耶さんが取材を受けた場所がここになります。
もともとは尋常小学校だった建物。現在の登米小学校はこの裏手にあります。
入口の下駄箱。これだけでもうタイムスリップしたような気分になります。
私が通った小学校には、確か大正時代に建てられた校舎があり、床は木の板張りで、両端が円を描く優美な外観が特徴でした。今はもう撤去されていますが、そのことを思い出したりしました。
玄関の先でチケットを買って入場します。
セットではないかと見紛うぐらい見事に保存された建物の中を進んでいきます。
尋常小学校当時の教室の姿が再現されています。
窓ガラスは、東日本大震災で破損して新たにはめ込んだものもありますが、建設当時から残っているガラスも一部あるそうで、面が今みたいに平坦ではなく波打っているのが当時の製造技術を物語っています。
校長室は2パターン再現されています。なぜ2パターンだったのかは確認し忘れましたが……。
個人的にツボだったのが足踏みオルガン。実際に弾くこともできます。
上のものはノーマルなオルガン。下のものは、鍵盤の上にある栓を押したり引いたりすることで音色を変えることができるリッチなタイプ。
ピアノを弾けるようになったのは中学生になってからだったので、教室に足踏みオルガンがあった小学生の時は、女子が賑やかに弾いているのを眺めているだけでした。
そんなわけで自分で弾くのは初めてだったのですが、意外と難しかったです。
原理はご存知の方も多いと思いますが、足下のペダルを踏んで空気を送り、鍵盤を押すことで空気の通り道を作って音を出します。管楽器で人が口から息を吹き込むのと同様に、ペダルを踏んで空気を送るわけです。
鍵盤を弾きつつ、ペダルを踏んで空気を送り込むタイミングがなかなかつかめなくて、すぐに音が鳴らなくなってしまいます。慣れればなんてことはないのでしょうが、どうしてもピアノのラウドペダル(音を伸ばすペダル)のような感覚で踏もうとしてしまうので、なかなかうまくいきませんでした。
仙北鉄道の歴史を見る
ある教室の中に、戦時中の疎開受け入れに関する展示とあわせて、この登米町を走っていた仙北鉄道についての展示もありました。
右下の登米から、北に向かって米谷で向きを変え、佐沼、東北本線と接続する瀬峰、そして築館へと至る路線。
こういう鉄道があったから、「駅前通り」という通りだったのですね。
写真やアイテムの展示もあります。
おそらく末期と思われる時刻表。1日14往復であれば今の気仙沼線や大船渡線よりも優秀なので、もちろん1968年の廃線当時はそういう発想がなかったとしても、今の考え方なら三セク化や上下分離などで残せたんじゃないかという気もしないでもありません。
2階のテラスからの風景。現実ではないような美しい雰囲気でした。