君と、A列車で行こう。

鉄道とシミュレーションゲーム「A列車で行こう9」を中心に綴るブログ。当面、東北地方太平洋沿岸の訪問をメインにしています。

宮城県登米市の「おかえりモネファン感謝祭」へ (2)登米薪能の世界

能「羽衣」より、羽衣をまとった天女が舞を披露する場面(2024年9月14日、登米薪能

9月14日、15日の2日間、宮城県登米市が『おかえり「おかえりモネ」ファンの皆様』という企画を実施していました。

通称として「おかえりモネファン感謝祭」と呼ばれていたため、この記事でも以後「ファン感謝祭」と書きます。

2021年5月~10月に放送されたNHK連続テレビ小説「おかえりモネ」は、宮城県登米市気仙沼市を舞台とした物語でした。その舞台地として、放送から3年たった今、改めてドラマに関連する企画を実施するというものです。

www.city.tome.miyagi.jp

前回は、初日となる9月14日、昼すぎに登米市に着いて、ロケ地の一つである「寺池園」を見学したところまで書きました。

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今回は、ファン感謝祭そのものの企画ではないのですが、その夜に行われた関連するイベント「登米薪能(とよまたきぎのう)」について書きたいと思います。

ドラマ「おかえりモネ」では、ヒロインの永浦百音が登米で下宿していた山主の新田サヤカ(夏木マリさん)や、百音が就職する森林組合の佐々木課長(浜野謙太さん)が能を演じる場面がいくつかありました。

登米能」は「とめのう」ではなく「とよまのう」

ドラマでは「とめのう」と呼ばれていた登米能ですが、実際には「とよまのう」と読みます。

そもそも、仙台藩の藩祖伊達政宗がこよなく能を愛好したとされ、歴代の藩主も能を重視してきたそうです。登米(とよま)伊達家で取り入れられた能が、現在まで伝わる「登米能(とよまのう)」の原型になったのだとか。

武士階級でたしなまれてきた能が明治維新によって危機を迎えた後も、登米では民間で受け継がれ、明治41年に「登米(とよま)謡曲会」が発足。その後、宮城県無形民俗文化財となり、現在では「とよま秋まつり」の宵祭り(9月第3日曜日の前日)で「登米薪能」として行われています。

toyoma.co.jp

ここで触れておかなければいけないのは、登米市は「とめし」ですが、そのうち現在の登米町は「とよままち」と読む「とめとよま問題」です。

登米市の名前は、2005年に登米郡(とめぐん)の8町と本吉郡津山町が合併してできたことに由来します。一方で、そのかつての登米郡の中に基礎自治体として「登米町(とよままち)」があり、これが現在の登米市登米町(とめしとよままち)になります。

江戸時代の伊達藩の所領としての登米郡は「とよまぐん」でした。明治時代の廃藩置県で最初に登米県(とめけん)が置かれたのが「とめ」の始まりで、その後、宮城県登米郡となった時に「とめぐん」と読まれるようになり、そして基礎自治体であった登米村(とよまむら)はそのまま登米町(とよままち)となったようです。

登米県」が設置された時、中央から派遣されてきた役人が、「とよま」と読めずに「とめ」と読んだから「とめ」になったと言われています。ほんとかな?と首をかしげるところはありますが。

結局、明治以降の宮城県登米郡・登米市の行政にかかわる施設や物事などは「とめ」と読み、明治以前の歴史に由来するものや、現在の登米町に由来する物事は「とよま」と読むのが正しいということになるようです。

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ドラマ「おかえりモネ」では、連続テレビ小説(朝ドラ)のお約束のようなものとして、市の名前は実在する名前そのままですが、市の中の町の名前は架空のものが用いられました。

例えば登米市の中でも、主人公たちが暮らす地域は「米麻町(よねままち)」と呼ばれました。なので、物語の中では「登米町(とよままち)」は存在しませんでした。

したがって、実際は「登米能(とよまのう)」と呼ばれる能も、ドラマでは「とめのう」と呼ばれ、佐々木課長も森の中で「登米能(とめのう)はぁ、もっと評価されるべきです!」と叫ぶのです。

「朝ドラが『とめとよま問題』をさらにややこしくしてどうすんの」という思いもあったりするので、「実際の能はとよまのう」ということは事あるごとに力説すべきだと勝手に思っています。

登米薪能の会場「森舞台」へ

これ以後は「登米」の読み方は特に振らないので、適宜読み分けていただければと思います。

寺池園の見学を終えた後、いったん当日の宿にチェックインし、荷物を置いて汗を流してから会場となる伝統芸能伝承館 「森舞台」へ。

登米薪能の会場となる伝統芸能伝承館「森舞台」

何もない時に見学に行くと、閑静で、竹林に囲まれた静謐な舞台なのですが、年に一度の大舞台とあって、会場の前には出店が並び、すでに観覧席にも多くの観客が集まっていました。

能舞台(2021年6月撮影)

当日の座席から見た舞台。松や青竹の絵は千住博氏によるもの

正面の畳敷きの見所には座布団がぎっしりと敷かれ、舞台の周囲の白洲には木製の椅子が所せましと並べられた会場は492席が用意されていたようです。

到着してほどなくして開演の17:00となりました。この後は番組に沿って書いていきます。

なお、これ以後の写真は事前の案内の通り、フラッシュの使用や連写撮影を行わず、また、シャッター音が発生しない電子シャッターで撮影を行っています。

火入ノ儀

薪能」ですので、まずは薪に火を灯すところから始まります。

舞台の左右2か所に置かれた薪に火が灯されました。

なお、会場の外には万一に備えてちゃんと消防車が待機していました。

「火入ノ儀」での薪への点火
火が入った左右の薪。開演中、適宜まきがくべられていた

挨拶

とよま振興公社代表取締役の鎌田智之さん、登米市長の熊谷盛廣さんのご挨拶。

内容はほとんど忘れてしまったのですが、鎌田さんは遠くは関西方面から来ている人がいること、熊谷市長はドラマ「おかえりモネ」にも触れ、能を実際に見たいとファンの方も来場されていることや、ドラマで描かれた「樹齢300年のヒバの大木を伐採して能舞台の修繕に使う」という話に言及し、実際に能舞台の柱には地元のヒバが使われていることを話されていました。

(左)とよま振興公社代表取締役・鎌田智之さん (右)登米市長・熊谷盛廣さん

式三番(しきさんば)

登米謡曲会会員一同による素謡(すうたい)。

式三番として演じられた素謡

式三番についての解説を見ると、どれも実際に演じられたものとはまったく違うものとして説明されていて戸惑ったのですが、下の記事では、

正月の催能、各種の祝賀能・記念能など、おもだたしい公演に際し、番組の冒頭に上演される。なお、素謡として上演するときは、流派により〈神歌かみうた〉と称する。

とあり、おそらくこの「番組の冒頭に」「素謡として上演する」という形式に該当するのだろうと思います。

japanknowledge.com

「素謡」とは、

囃子(はやし)も舞もなく、謡曲だけを正座して謡うこと。

ということで、確かにこれが実演された形式でした。

kotobank.jp

なお、「おかえりモネ」の第4回では、この素謡に夏木マリさんが演じる笛が加わっていましたが、どうも役者に見せ場を作るためのドラマ上の演出であって、本来の形ではないように思います。

仕舞(しまい)

3名の方による仕舞。仕舞とは、能のハイライトの部分をソロで舞うことで、能面や装束をつけず、囃子もなく数人の地謡(じうたい)のみで演じられる簡素な形式で、個人技として舞を披露するという性格が強いのだと思います。

3名の方が披露された仕舞

ちなみに、最初に舞ったのは登米市役所の小野寺崇さんで、登米市の観光シティプロモーションを担い、ドラマ「おかえりモネ」の制作でも登米市の担当者として尽力した方。前回は地謡(じうたい)での参加だったようで、今回が役者としてのデビューだったそうです。

www.holg.jp

ドラマの「おかえりモネ」の第41回では、新田サヤカが次の定例会で仕舞を舞うというので、百音がかつて吹奏楽をやっていたことを知った佐々木課長から「その時に永浦さんがお囃子(笛や太鼓)で入ってくれたら」と勧誘される場面がありますが、実は仕舞にはお囃子はいらないらしく、登米薪能でも実際に地謡のみで演じられていました。

といって、これが意味なく嘘を書いているというわけでもありません。

その頃百音は、3度目の気象予報士試験を受け、もし合格できたら東京で気象の仕事をしたいと思っていました。2か月後に合否の通知があるので、その先の話をされても答えられません。周りからは林業の後継者として期待されていて、その期待を裏切るようなことも言い出せないでいました。

そういう状況で百音が悩んでいることを知っていたサヤカは、後でこの話を持ち出された時に「高校の音楽コースに落ちたことがトラウマみたいよ」「……あ、これは言っちゃいけない話だった!」とわざと演技をし、百音が余計な気を遣わなくていいように仕向けたのでした。

つまり、百音とサヤカの心情を描くための場面として、あえてお囃子の話を入れたのだろうと思います。

狂言「末廣かり」

タイトルの「末廣かり」は、流派によって「末広」「末広がり」と書かれたりもするようです。

主人が、「地紙よく、骨がみがかれ、要(かなめ)がしっかりして、戯れ絵が描かれたもの」という「末広がり」(扇のこと)を買いたいと太郎冠者(冠者とは召使のこと)を使いに出すのですが、「末広がり」が何のことなのかを聞いておらず困ってしまう太郎冠者に、すっぱ(詐欺師)がありきたりの唐傘を持ち出して、紙や骨や要はともかく「ざれ絵」を「柄で戯れ事(ざれごと)ができる」(と柄で打ちかかるふりをする)とごまかして、高値で売りつけてしまう話。

事前にあらすじの説明があり、セリフも現代語なのでわかりやすく楽しめました。

(左)ある果報者が目上の者に「末広がり」を贈りたいと思い、
(右)太郎冠者を呼び出し、希望する「末広がり」の条件を伝えて都に買いに行かせる
(左)都に着いた太郎冠者は、「末広がり」が何なのか知らないことに気づく
(右)「末広がり屋はいるか!」と呼ばわると、すっぱ(詐欺師)が現れる
(左)すっぱは言葉巧みに、平凡な唐傘が主人の条件に合う「末広がり」だと説明し、
(右)納得した太郎冠者は高値で唐傘を買ってしまう
(左)すっぱはおまけとして「主人の機嫌を直す囃し物」を教え、
(右)太郎冠者は喜んで主人のもとに戻る
(左)すっぱに吹き込まれた通りに唐傘が末広がりだと言う太郎冠者に主人はがっかりし、
(右)「末広がり」とは扇のことだ、と怒って太郎冠者を追い出してしまう
(左)太郎冠者が「傘を差すなる春日山~」とすっぱから教えられた囃し物を踊ると、
(右)主人も機嫌を直して一緒に踊りおしまいとなる

能「羽衣」

30分の休憩の後、最後に演じられたのが能の「羽衣」。

能は主役である「シテ」、脇役の「ワキ」がガッチリ決まっていて、見どころはすべてシテに集中しているという構成なのだそうです。

「羽衣」ではシテ(天女)、ワキ(漁師の白龍)の他、ワキツレ(白龍のお供)2人が役者として登場します。

こちらはあらすじはシンプルなのですが、セリフを聞いても何を言っているのか断片的にしかわからないので、どちらかといえばシテとワキの演技、囃子や地謡が一体となった様式美を堪能するといったことが主になるのかなと思います。

(左)三保の松原で羽衣を見つけた漁師の白龍(ワキ)は、
(右)それを持ち帰ろうとする
(左)そこに現れた天女(シテ)が、(右)羽衣を返してほしいと訴える
(左)やり取りの末に羽衣を返してもらった天女は、(右)それを身にまとう
(左)羽衣をまとって舞を披露した天女は
(右)天へと帰り、白龍はいつまでも見送っていた

「おかえりモネ」第5回では、冒頭に能面をつけた役者が登場し、それが佐々木課長だと知って驚く場面がありましたが、能面をつけるのはシテと決まっているらしく、つまり課長の登米能への愛は、能の主役を務めるぐらいの筋金入りだということになりますね。

全体を通しての感想

開演時間は17:00から20:00ごろまでの約3時間の予定で、実際に終わったのは19:40ごろでした。

正直、途中で飽きてしまうのではないかとも心配していたのですが、式三番、仕舞、狂言、能とそれぞれ違う醍醐味があり、まったく飽きることなく引き込まれていました。今まで縁遠い存在だと思っていた能も、身近なものとして感じることができるようになった気がします。

また、能を見た上で、今回の記事を書くためにいろいろと調べたのですが、そうするとどういう形で登米能をドラマに取り込もうとしたのかもわかってきて、作劇や演出上の工夫が見えてきたのも新たな発見でした。

「汐見湯」を思い出したゲストハウス

この日に宿泊したのは、森舞台にも近い「たびの宿 手のひらに太陽の家」というゲストハウスでした。

登米薪能の日程が発表された頃、仮に薪能のチケットが取れてもその日の宿が取れなければどうしようもないので、探して予約が取れたのがここでした。

高速バスや市民バスが発着する登米総合支所に近く、観光物産センター「遠山之里」や森舞台へは徒歩10分前後。個室にユニットバスがあり、一通りのアメニティも揃っていて、コンビニもすぐ近くにあるということで、不自由なく過ごすことができました。

(左)「手のひらに太陽の家」の外観 (右)組手什が多用された屋内

アットホームな雰囲気の他、個室や共用スペースでいろんな形で組手什が多用されていて、個人的には「おかえりモネ」の東京編に出てくる、銭湯を改装したシェアハウス「汐見湯」を思い出しました。

次回は9月15日の午後に行われた、梶原登城ディレクターの講演会の話になります。

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