君と、A列車で行こう。

鉄道とシミュレーションゲーム「A列車で行こう9」を中心に綴るブログ。当面、東北地方太平洋沿岸の訪問をメインにしています。

「おかえりモネ」が描いたこと、そして鉄道とBRTについて

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朝ドラ「おかえりモネ」で撮影に使用された、気仙沼線BRTの南気仙沼

今年5月から10月末まで放送されていたNHK連続テレビ小説「おかえりモネ」の中で、ヒロインの移動手段として宮城県登米市気仙沼市を結ぶ気仙沼線BRT(劇中では単に「BRT」と呼ばれていました)が登場したことについて、以前の記事で紹介していました。

a-train.hateblo.jp

この記事は第11回、主人公のモネ(永浦百音)登米市から、生まれ故郷の気仙沼市に帰省するシーンの話でしたが、その後、もう1回だけ登場していました。

※この先、放送内容のネタバレを含みます。

「#俺たちの菅波」の名場面の1つとして

第21回、帰省を終えたモネが気仙沼からBRTに乗車します。

そのシーンは南気仙沼駅で撮影されていましたが、駅名は「気仙沼南駅」となっていました。

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「おかえりモネ」のシーンに似たイラストが描かれている、南気仙沼駅の駅舎内

ほどほどに乗客がいる中、最後部の座席には、登米で知り合った医師の菅波光太朗がなぜか乗っていて、その横が空いていたため、モネは菅波の隣に座ります。

この時点ではそこまで親しくなく、会話も噛み合わずぎこちない2人。やがて菅波は文献を読みだし、モネも仕方なく、その頃に興味を持ち出していた気象予報士試験の本を読んでいるうちに、うとうとと眠ってしまいます。

そして停車した駅で、部活の格好をした高校生が乗り込んできて満員に。バスの最後部の長い座席を2人で使っていましたが、間を詰めて隣り合って座ることになります。

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BRTに高校生が乗り込んでくるシーンが撮影された、気仙沼線BRTの本吉駅

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モネと菅波が互いの身の上を語り始めた、津谷川の堤防沿いを走るBRT

そして、モネが気象予報士の仕事に興味を持っていること、菅波は東京にいたのに、指導医に頭が上がらず、指導医と交代で一週間おきに登米に来ていること、そういったお互いの身の上を語り出します。

その中で、気象の勉強について、まずは漫画や絵本のような簡単なものから始める方がいい、と菅波がアドバイスしたことが、物事が動き出すきっかけになります。

後日、恥ずかしく思いながらも、実際に絵本を買って読み始めたモネ。それでもなかなか理解できない彼女を見るに見かねて、原理的な部分からマンツーマンで教え始めた菅波。

やがて、モネは気象予報士への挑戦を挫折しそうになる中を何度も菅波に助けられ、菅波は何にでもまっすぐに向きあうモネの姿に惹かれるようになります。モネが上京して気象予報士として仕事を始めた後は東京でたびたび会うようになり、関係を深めていく様子がtwitterで「#俺たちの菅波」のハッシュタグで語られるようになっていきます。それは制作側も予想しなかったようなブームとなり、今年のブームの1つとして様々なところで言及された他、「現代用語の基礎知識」にも掲載されたほどでした。

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菅波光太朗のパネルと、「#俺たちの菅波」の舞台となったコインランドリーのパネル。気仙沼市の「おかえりモネ展」にて

そして「おかえりモネ」の最後は、結婚を約束した2人が、コロナ禍も乗り越えて手を繋いで歩き出すシーンでした。

第21回のBRT車内のシーンは結果として、その「#俺たちの菅波」のきっかけとなる、2人が打ち解け始める重要な場面なのでした。

「元に戻ることだけが、いいこととは思えねえ」

「おかえりモネ」は、東日本大震災を題材にしながら、痛みとの向き合い方、痛みを抱えた人への寄り添い方を描いた作品でした。

モネと菅波の関係も単なる恋愛関係ではなく、モネが震災から抱えてきた心の痛み、菅波が抱えたかつての悔恨に、それぞれがどのように寄り添えるかというテーマを内包して描かれたところに特徴がありました。

全24週のうち、最初は宮城県登米気仙沼を舞台に9週、そして東京を舞台に10週、最後に気仙沼を舞台に5週という構成でしたが、舞台をいったん東京に移したのは朝ドラあるあるな上京物語のように見えつつ、描いたテーマを被災地だけの話にするのではなく、全国放送される朝ドラとして、多くの人に通じる形で描くためのものだったと考えています。

そんな中で、ドラマの舞台として描かれたBRTについて考える上で、重要だと思ったエピソードがありました。

 

気仙沼で天才漁師として鳴らしながら、津波で家も船も、そして最愛の妻も流された及川新次という人物。失意のあまり酒浸りとなって何度も警察の世話になるものの、なんとか海に戻ろうとすると、妻を失った喪失感に直面し、酒を飲まずにいられなくなるのでした。

やがて彼は、イチゴ農家の手伝いをする中で、元に戻るだけが生き方ではないことに気づきます。物語の終盤(第113回)、震災から9年近くたち、父親が元に戻ることを願って生きてきた息子の亮に伝えたのが、「元に戻ることだけが、いいこととは思えねえんだよ」という言葉でした。そして、誰かの為ではなく自分の人生を生きるように伝え、亮もそれを受け入れたのでした。

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「おかえりモネ」の撮影に使用された第58大伸丸

正直なところ、放送開始前に及川新次の人物設定を見て、いつかは立ち直って海に戻る感動のシーンがあるんだろうと思っていたので、こういう結論になるとは思いもしませんでした。

海に戻れるなら、それに越したことはない。でも、それがどうしても無理なら、別の生き方をしてもいい。漁師として立ち直れば感動を呼べるストーリーになるはずですが、そういったストーリーに頼らず、別の生き方を選ぶことを肯定的に描くのは凄い覚悟だと感じました。

そして、このエピソードを見ながら、「鉄道を元に戻すことだけが、いいこととは思わない」ということも考えたのでした。

震災から10年の頃、「甦れ!東北の鉄路」という番組を見て、とても複雑な気持ちになったのを覚えています。下記のリンクから、しばらくはアーカイブを見ることができるようです(2021/3/6放送分)。

www.bsfuji.tv

岩手県沿岸部を走る三陸鉄道。その社長は震災の直後、「鉄道を失って栄えた町はない」と言い、鉄道の復旧に向かうことを決断したそうです。

この言葉を番組のテーマとして掲げ、JR石巻線が復旧した女川町や、三陸鉄道の沿線を「課題はありつつも明るい未来へ向かう町」として描き、JR気仙沼線大船渡線がBRTに転換された陸前高田市気仙沼市南三陸町は、「土地に空き地が目立つ」「駅が移転して駅前の旅館に客が来なくなった」「鉄道との乗り継ぎが必要になって高校生を集めるのに苦労している」といったマイナス面を強調し、衰退に向かう町として描く。そういう番組でした(空き地の多さと鉄道の有無の関連は、正直よくわかりませんが)。

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震災で被災し、復興が進む町を結ぶ三陸鉄道陸中山田駅にて)

三陸鉄道の社長の言葉は、震災から10年の時期、三陸鉄道の復活の軌跡が様々なところでとりあげられ、そのたびに強調された言葉でした。

でもそれは正しいのでしょうか。

当時の社長が、震災に直面した社員に指針を示すための決意として、そのように発言したことは理解できます。しかし、そうした文脈を無視して、他人が勝手に普遍的なテーマとして掲げることは、必ずしもいいこととは思えません。

「鉄道を失って栄えた町はない」。

この言葉にはいろんな反論ができます。

そもそも鉄道がない町はたくさんあります。鉄道があっても衰退する町がある一方、鉄道がなくてもそれなりに栄えている町もあります。例えば全国有数の温泉地として知られる群馬県草津町には鉄道がなく、隣の長野原町長野原草津口駅)からバスに乗り継ぐ形になります。

「栄える」「衰退する」というのも、何をもってそう言うのかというあいまいな表現ではありますが、例えば人口減少率を調べてみると、鉄道が女川駅まで復活した2015年以降、女川町の人口減少率は、自治体の中に鉄道が存在しなくなった陸前高田市南三陸町と比べて、減少を食い止められているわけではありません。

下の数字は、各自治体のWebサイトに掲載されている人口統計から、女川駅が再開した直後の2015年3月末と、最新の2021年11月末の人口を調べたものです。

  • 女川町:2015年3月末 7,012人→2021年11月末 6,116人 減少率 12.8%
  • 南三陸町:2015年3月末 14,068人→2021年11月末 12,247人 減少率13%
  • 陸前高田市:2015年3月末 20,262人→2021年11月末 18,354人 減少率 9.5%

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2015年3月に営業を再開した、JR石巻線女川駅

さらに言えば、なぜ鉄道を失うと栄えられないのか。そこの根拠もあまり明確ではありません。鉄道を失うことで社会から見捨てられる、ということがあるのだとすれば、鉄道がないだけで見捨ててしまう社会の方が問題だ、と考えるべきだと思います。

新次が発した「元に戻ることだけが、いいこととは思えねえんだよ」という言葉は、元に戻ることのみを良しとしがちな風潮に対するアンチテーゼとして、深い意味を持つものだと感じています。

もしかしたら、ドラマの舞台として、鉄道に代わる輸送手段としてのBRTを登場させたのも、そうしたメッセージのひとつだったのかもしれません。

「私はりょーちんのこと、かわいそうとか、絶対に思いたくない」

上記の番組でもう一つ気になった点は、JR気仙沼線大船渡線廃線になった理由にも、やむを得なかったというニュアンスで触れていたことです。

震災で鉄道が被災した。巨額な復旧費用の問題から、廃線になるのもやむを得なかった。でも、鉄道を失って栄えた町はない。陸前高田気仙沼南三陸町は震災によって栄える道を断たれた、かわいそうな運命にある町だ。

番組全体としてそういう論理構成になっているわけです。

「おかえりモネ」で、失意から立ち直れない新次を支えてきた亮が、その苦しさを誰にも打ち明けられずにいた中、ついに気持ちが切れて、幼馴染のモネに救いを求めた場面がありました。

「話したいなら聞くし」というモネに、「違う、そういう意味じゃない」とモネの腕を掴んで身体を引き寄せ、「わかってんでしょ」と告げる亮。

その時モネは、先に紹介した菅波とデートに行く間柄になっていて、そのことは亮も知っていました。それでいて、言葉ではないものを求めたのでした。

「何でもするって、思ってきたよ。りょーちん(亮のあだ名)の痛みが、ちょっとでも消えるなら……。でもこれは違う。私はりょーちんのこと、かわいそうとか、絶対に思いたくない

そう静かに、でも決然と語ったモネ。

この場面は、心情説明がほとんどなく、セリフと演技と演出から解釈する部分のため、見る人によって捉え方が変わるシーンでもありましたが、私は、かけがえのない友人への揺るぎない信頼を示した言葉として印象に残りました(ただ、モネはそれゆえに彼の力になれなかったことに、また苦しさを抱えることになります)。

 

果たして、鉄道が廃線になることは本当にかわいそうなのか。

諸々の事情で鉄道を復旧することが困難なら、別の道を進んでもいい。

鉄道と別れることになった町のことを、私はかわいそうな町とは絶対に思いたくないし、そう思われるべきではないと考えます。

 

「おかえりモネ」は、今なお横たわる大きな問題を題材としていることもあり、ドラマとしてありがちな展開に回収することを慎重に避けていました。

例えば及川新次のように、「ドラマなんだからきっとこうなるだろう」という予想をことごとく裏切り、そしてそれに意味がある、という物語でした。

地方ローカル鉄道の行く末を考えることもそうですし、その他の諸々の問題でもそうですが、自分が常識だと思い込んでいることを、一度疑ってみる。そして違うありかたがあるのではないか、と考えてみる。

そこに新しい道があるかもしれない、ということを、ドラマ全体を通して受け取ることができたように感じています。