東日本大震災以降、一部区間で運転見合わせが続いていたJR常磐線ですが、9年の年月を経て、今年3月14日に全線での運転再開を迎えることになりました。
常磐線(富岡駅~浪江駅間)の運転再開及びおトクなきっぷの発売等について(水戸支社)
http://www.jrmito.com/press/200117/press_02.pdf
常磐線全線運転再開について(仙台支社)
https://jr-sendai.com/upload-images/2020/01/202001174-1.pdf
これに伴い、これまで常磐線の南北の運行区間をつないできた代行バスの運転も終了となります。
最初に常磐線列車代行バス(竜田~浪江~原ノ町間)に乗車したのは下記の記事。2年半ほど前になります。
この時には、震災被災地の姿を初めて見るということで、まだ十分に向き合う覚悟ができていなかった感があるのですが、代行バスも終わりを迎えるということで、改めて乗車し、運転再開直前の地域の姿を見てみることにしました。
常磐線代行バス(富岡~浪江間)のルート
常磐線代行バスは、常磐線に沿って走る国道6号線を走行しています。
上の図では、富岡~浪江間の青線のルートが代行バスのルートになります。
なお、下りの一便のみ浪江から原ノ町まで延長運行しています。これは、浪江で接続する列車がなく、原ノ町始発の仙台行き列車に接続するためと思われます。
図の赤線は、避難指示区域を示すラインで、上下の赤線の間、駅でいえば夜ノ森駅、大野駅、双葉駅の部分は現在も避難指示区域となっています*1。
3月4日以降に、避難指示区域のうち、常磐線部分と各駅周辺の一部の避難指示が解除されることから、常磐線の運転再開が可能となりました。
あくまで、解除されるのはごくわずかな領域であり、その他の広大な部分は引き続き避難指示区域として残り続けることになります。
なお、「避難指示区域」は人の行動を制限するための区域設定ですが、それとは別に、放射能汚染の程度によって設定された地域区分として「帰還困難区域」「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」があります。
「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」の多くは避難指示が解除され、現在では、基本的には「帰還困難区域」=「避難指示区域」ですが、その他の区域でも一部避難指示が継続しており、また、今回避難指示が解除される常磐線と駅周辺は、地域区分としては「帰還困難区域」のままとなります。
さて、この辺を予備知識として持っていただいた上で、乗車記に進むことにしましょう。
浪江駅にて
原ノ町から浪江行き列車に乗車し、浪江駅に到着。
浪江駅では、駅舎側の単式ホーム1番線と、島式ホーム2・3番線があり、現在使用されているのは3番線のみ。1・2番線はホームの高さが嵩上げされ、利用再開を待っていました。
おそらく、全線での運転再開後は3番線の利用を一時停止し、1・2番線同様の嵩上げが行われるのではないかと思います。
富岡から南の常磐線各駅でも、嵩上げを進めている風景が見られました。
無人駅化の案内と、運転再開後のために更新された運賃表。
冒頭に紹介した水戸支社のニュースリリースでは、浪江駅を含め、いくつかの駅で「Smart Station for EXPRESS」(話せる指定席券売機、多機能券売機、簡易Suica改札機、どこトレモニターなどの総称)を整備することが紹介されています。駅を無人化するとは書かれていませんが……。
浪江駅の外観。全線運転再開を祝う装飾がありました。
駅前の風景。
代行バスは地元のバス会社「浜通り交通」による運行です。運転士と、アテンダント1名が乗務します。
2年半前に初めて乗車した時は、私と同様、「試しに乗ってみた」的な旅行者が多かったのですが、今回は地元の方と思われる年配の方が多く、そんな中で目立つところで写真を撮るのも気が引けたので、後ろの方の席に座り、静音シャッターにして目立ちにくいようにしました。
最初にアテンダントの方から、帰還困難区域を通るため窓を開けないように、などの案内があり、出発します。
浪江駅 10:30発→富岡駅 11:00着の4便です。
浪江町
浪江町は「なみえまち」と読みます。自治体名としての「町」は、東日本では「まち」が多く、西日本は「ちょう」が多いようで、私はつい「ちょう」で読んでしまいそうになります。この後の双葉町・大熊町・富岡町もすべて「まち」です。
浪江町のルート。地図上のP1~P4は、写真を撮影したおよその場所を示しています。なお、これから紹介する写真は、進行方向に向かって右側の車窓です。
P1地点、国道6号線に入ったところ。
浪江町は西側の多くのエリアが帰還困難区域で避難指示が継続していますが、駅周辺は避難指示が解除されているため、町の再建が進んでいます。
P2地点付近。新たに建築されようとしている建物もあれば、近くのパチンコ屋は今も打ち棄てられたままになっていました。
P3地点。この堂々たる建物は結婚式場。まだ休業中のようです。
このすぐ先で双葉町へと入っていきます。
双葉町
双葉町はそのほぼ全域が帰還困難区域で、上の地図で双葉駅の東にある「大字中野」と書かれた一帯のみ避難指示解除準備区域です。
今は町の全域に避難指示が出ていて、役場機能はいわき市に、住民は全国に避難しています。3月4日には、双葉駅周辺と合わせ、避難指示解除準備区域や、その区域と駅をつなぐ道路についても避難指示が解除される予定です。
撮り鉄には絶好のポジション!と思ってしまいますが、避難指示が解除されるのは常磐線部分だけなので、このあたりに立ち入ることはできません。運転再開後、勝手に侵入する撮り鉄が出てこないことを祈るばかりです。
P5地点。踏切部分に何か茶色いものが見えます。
線路部分の除染作業の際に、周辺に立ち入らないように設けた仕切りなのかな? などと想像したりします。
P6地点。JAの施設ですが、閉鎖されたままです。
P7地点付近。町の中心部の商業施設ですが、閉鎖され荒れ果てています。
P8地点付近。こちらも沿道は閉鎖されていますが、作業員の方やショベルカーなどの姿も見られます。双葉駅周辺は町の再生のための「特定拠点」と位置付けられており、2022年春ごろの避難指示解除を目標にしているようです。そのための除染作業なのかもしれません。
P9地点。植物が伸び放題に絡みついた双葉郵便局と牛踏交差点。このあたりでも作業が進んでいます。
この後はさらに南へ進み、大熊町へ入っていきます。
大熊町
上の図の右上、双葉町とまたがる海岸沿いにあるのが福島第一原子力発電所です。
事故から9年、まだ核燃料デブリを力づくで抑え込んでいるという状態であり、廃炉への道筋は見えていません。
大熊町で避難指示が解除されたのは西南側エリアのみで、大野駅周辺の平地から海沿いまでは帰還困難区域に指定されています。
今回の避難指示解除によって、すでに避難指示が解除されたエリアと、大野駅との行き来が自由にできるようになります。
P10地点。双葉町との境界付近で何やら建築が進められています。
大熊町の復興計画によればリサイクルセンターが設けられる場所となっているので、その建築工事かもしれません。
P11地点付近。除染と思われる活動が行われていますが、閉鎖され、荒れ果てた店舗も目立ちます。
P12地点。同じく閉鎖された中に建つ料理屋の建物。
P13地点、熊川を渡るところ。
初めて代行バスに乗った時、深く印象に残ったのは、本来であれば豊かな農地が広がっていたであろう場所が、すっかり荒野と化してしまっていることでした。この右の写真も、一面の荒れ地の中に電柱や電線、農道らしき道も見え、かつては農地であったことをうかがわせます。
富岡町
富岡町は、富岡駅周辺など多くの場所で避難指示が解除されていますが、夜ノ森駅周辺やその東側は避難指示が継続しています。図の赤線から上側が避難指示区域になります。
今回、避難指示が解除されるのは夜ノ森駅付近のごくわずかなエリアのみです。
P14地点、大熊町との境界付近。おそらくは地震で被害を受けたまま打ち棄てられたガソリンスタンドと、沿道の除染と思われる作業。
同じくP14地点付近。富岡町の入口として看板が設置してありました。
P15地点。夜ノ森駅に続く道路も閉鎖されたまま。
P16地点付近、夜ノ森駅東側の市街地だったと思われる場所。
P17地点。避難指示区域を抜けると、荒廃した建物は姿を消して真新しい建物が目立つようになり、再建に向かう町の様子が見えてきます。
P18地点。ここで国道6号を離れ、富岡駅に向かいます。2017年4月1日の避難指示解除からもうすぐ3年。ショッピングモールや商店地区が整備され、生活基盤を取り戻しつつあるように見えました。
富岡駅へ
2017年の運転再開(竜田~富岡間)に合わせて整備された富岡駅。
駅舎の内部。こちらも無人化の案内がありました。
この付近ではあちこちで線量計を見かけます。避難指示が解除されたとはいえ、警戒はまだまだ続いています。
代行バスを降りて、すぐに接続するいわき行きの列車もあるのですが、1本見送って町の様子を見て行くことにしました。
駅前には真新しい住宅が立ち並ぶほか、ホテルも整備されていますが、高台に行ってみると、使われていない家、整備されず荒れた道路などもまだまだ目立ちます。
代行バスと接続する651系のいわき行き普通列車。この651系の姿も見納めになりそうです。
駅前のバス停。JRの代行バスの他、富岡町・大熊町のコミュニティバスが発着していますが、いずれも日曜日・祝日は運休でした。
大熊町の生活循環バスは、大野駅の利用が再開されれば、そちらに発着するようになるのではないかと思います。
富岡駅には、売店と飲食を兼ねた「さくらステーションKINONE」が併設されています。
651系が出発するのを見送った後、こちらで昼食をいただきました。
KINONE 浜鶏(はまど~り)ラーメン。浜通りだから浜鶏です。駅付近のショッピングモールに出店している「浜鶏(はまど~り)」さんのラーメンをベースにしたメニューのようです。
スープのベースは鶏ガラですが、魚介をアクセントにしているらしく、潮の香りが感じられます。炙った鶏肉の香ばしさと、刻んだネギと玉ねぎのシャキシャキ感、添えられたゆずの皮の風味で爽やかな一杯でした。
常磐線が全線で運転を再開するというのは、もちろん復興の歩みの一つであり、喜ばしいことではあるのですが、一方で、それはまだごくわずかな歩みに過ぎないということも、代行バスから帰還困難区域のありさまを見ると思い知らされます。
3月14日の全線運転再開日には、この再開した区間の駅を訪ね、付近の様子なども見てみたいと考えています。