「もこもこ鉄旅部。」の結城しげくに (id:yukisigekuni)さんから、最近流行っているらしいブロガーバトンを回していただきました。ありがとうございます。
まあ、こういうのはいずれ飽和するものだし、今、ブログの紹介や自己紹介的なものを書きたいかと言えばそうではないので*1、ブロガーバトンそのものを書くわけではないのですが、せっかく回していただいたので、それをきっかけとして考えたりしたことを綴っておきたいと思います。
バトン。渡す者と受け継ぐ者。そして続く物語。
このブログを紹介していただいたコメントが以下の通りでした。
片翼の人さんは、とにかく圧倒的な頻度で三陸に行っていらっしゃいます。BRTについてもかなり詳しく書かれております。写真がとても印象的で、三陸にこんな面白いスポットがあったのかと驚かされます。
じゃあなぜ三陸なのか、ということを考えた時、ふと、「ああ、バトンだなあ」と思ったのです。
このブロガーバトンのような意味でバトンという場合、物理的にイメージするのは短距離リレー走で受け渡す棒だと思います。
それが長距離走、つまり駅伝ではタスキになります。特に箱根駅伝での、タスキの物語性をこれでもかと強調した番組作りは皆さんご存知かと思います。
そこでは、単に複数の区間をそれぞれのランナーがつなぐ、つまり距離をつなぐということだけではなく、過去から現在に至る各大学の伝統、つまり時間軸をつなぐということも含めて、タスキがその象徴となっています。
時間軸をつなぐ、ということに目を転じてみます。
2011年の東日本大震災は、被災地から多くのものを奪い去りました。
でも、その奪い去られたものを受け継ぐもの、受け継ごうとしているもの、新たな姿で蘇ったもの、いろいろな形で物語は紡がれています。
それを見る、現場で感じる、ということが、三陸を旅する大きな目的の1つになっているのです。
入口が鉄道趣味なものですから、沿岸部がBRT(Bus Rapid Transit=バス高速輸送システム)に転換されたJR気仙沼線、JR大船渡線に乗ってみるというのが最初のテーマでした。
けれども、現地を巡ってみると、鉄道とバスだけではない、いろいろな形で物語を受け継ごうとしている姿を目の当たりにするのです。
もちろん、話は気仙沼線・大船渡線とその沿線だけではありません。
原発事故で分断を余儀なくされていたJR常磐線、JR山田線の一部区間を継承して運行を続ける三陸鉄道などもまた、同じように物語を受け継ごうとしているのだと思います。
東日本大震災の被災地で受け継がれるバトン。喪失したものがあまりにも大きかったからこそ、時間軸をつなぐ、物語をつなぐということの意味を考えさせられます。
……と、半ば無理やりですが「バトン」に絡めて書いてみました。
*1:それを書いたところで読者が増えるとも思えないですし。