君と、A列車で行こう。

鉄道とシミュレーションゲーム「A列車で行こう9」を中心に綴るブログ。当面、東北地方太平洋沿岸の訪問をメインにしています。

宮城県東松島市・高台移転したJR仙石線野蒜駅へ

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JR仙石線野蒜駅。海の手前に震災伝承施設となった旧野蒜駅が見える。

2020年の冒頭に書いた通り*1、今年は、東日本大震災から10年となる2021年3月までを一応のメドとして、東北地方の太平洋岸を重点的に訪ねてみたいと考えています。

その一環として1月下旬、2月上旬にJR仙石線を訪ねました。

仙石線は仙台~石巻間の海岸沿いを結びます。その線形上、否応なしに東日本大震災で被災し、仙台近辺の一部を除いて運休を余儀なくされました。

特に、東名駅・野蒜(のびる)駅付近で高台に住宅地を造成し、そこに移転することになったため、この両駅を含む高城町~陸前小野間の運転再開は2015年5月30日となりました。その際に、仙台~(東北本線)~塩釜~高城町~(仙石線)~石巻というルートで快速列車を運転する、仙石東北ラインでの運行が始まっています。

仙石東北ラインで野蒜駅

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朝早く、仙台からその仙石東北ラインの列車に乗って野蒜駅へ。

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「野蒜ヶ丘」と名付けられた高台に移転したホームからは、奥松島の情緒ある海が見えます。

駅を出た後、「駅のホームの向こうに海が見える」というイメージで撮ってみようとしました。

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少し試してみたのですが、逆光なのでどうしても海が飛んでしまいます。あんまりいい感じには撮れないなあ、と思いつつ、本来予定していた行動に戻ります。

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JR野蒜駅の駅舎。暖かみのある縞模様がいいなあ、と思います。

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駅前の観光物産施設。奥松島イートプラザと名付けられています。

風が強くて寒い日だったので、移動時間を短縮するためにこちらでレンタサイクルで自転車を借りて行きます。

ただ、こちらで借りられるのは、どちらかというと本格的なサイクリング向けのスポーティなタイプで、籠が付いていません。そのため、荷物を入れて近場をブラブラ、という用途には少し向いていないように思います。

野蒜駅東松島市震災復興メモリアルパーク)へ

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向かった先は移転する以前の野蒜駅。駅舎は東松島市震災復興伝承館として利用され、ホームは震災遺構として残されています。

この旧野蒜駅を含む一帯で、震災復興メモリアルパークとして整備が進められています。

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旧ホーム。ほぼ原形をとどめたまま残されています。高台移転していなければ、整備してそのまま使えそうではあります。

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野蒜駅の正面側。

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外壁には、津波が到達した高さを示す表示があります。

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正面から撮影した旧野蒜駅の外観。

3.7mという数字や、駅舎やホームの構造がそのまま残っているのを見ると、完全に破壊された気仙沼線大船渡線の駅に比べると大したことないな、と思ってしまいますが、ある意味感覚が麻痺してしまっているのかもしれません。

内部は、1Fは地域交流センターとして機能している他、野蒜駅の被災状況のパネル展示や当時の機器類などの展示があります。

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震災の時、野蒜駅で上下の列車が交換して、それぞれの方向に発車したばかりでした。

それぞれの列車の乗務員・乗客がどう行動し、どうなったかが示されています。

それぞれの結果から、「上下の列車で明暗を分けた」という言われ方をすることがありますが、ちょっとこの辺の表現は要注意かなと思いました。

車両についていえば、上り列車は津波に呑まれたという点で明暗を分けたというのは確かです。

ただ、乗務員・乗客についていえば、

  • 下り列車の乗務員・乗客は、一人の乗客が「避難所よりここの方が安全」と判断し、それに従ったことで津波に呑まれずに済んだ。
  • 上り列車の乗務員・乗客は、所定の避難所まで到達することができた。ただ、そこまで津波が来ることは(他の避難者も含めて)予想することができず、津波に襲われることになった。

ということで、上り列車の乗務員・乗客もともかく所定の避難所まで到達できていたので、そこまでは明暗を分けてはいなかったのです。

むしろ明暗を分けたのは、避難所が本当に安全なのか、という一瞬の判断だったのだと思います。

この場所に限らず、決められた避難所で津波に襲われた人がいた一方で、極限状況での一瞬一瞬の判断で、避難所も危険だと判断してより高いところに逃げ、生き延びた人もいます。

その判断は、知れば知るほど、とても難しいものだったと感じます。結果的にはさらに逃げないといけなかったとはいえ、その時点で指定避難所を信頼してとどまった判断が間違っていたかというと、そうとも言い切れない。別の言い方をすると、その避難所に津波が来るという事の予見可能性がどの程度あったか、という観点になるし、「とにかく高いところに逃げろ」と言われても、富士山まで逃げるわけでもなく、どこまで逃げたらいいのかは程度問題でもあります。

語り部活動の重要性を知る

2階は、東松島市での被災状況と復興の様子についての展示。明確に記憶がないのですが、撮った写真がないということは撮影禁止だったはずです。

フロアでは映像がリピートして流されていたのですが、その中で、震災で奥さんを失った高齢の男性が出ておられて、被災した時の経験と、その後の暮らしについて語っておられました。

その映像を見ていると、隣に座ってこられた年配の方が。

「これわしなんです。」

えええええええ! まさかの展開です。

最初は、映像に出てる年齢が間違ってるとかいうツッコミを入れながら、軽いノリで一緒に見ていたのですが、

  • 奥さんは映像では明言されていないが今も行方不明
  • 遅れて避難してきた近所の人との会話で、まだ津波は来ないと思って、家に置いてきた犬を連れてこようとして津波に呑まれたらしい
  • 遺体が上がった知り合いを見たが、頭がなくなったり、とても見ていられないようなひどい状態だった
  • 以前は大工をやっていて、付近の家も40軒以上建てたのに、全部流されてしまった

そういうお話を聞くと、とてもいたたまれなくなるのですが、ご本人はいたって明るく話をされているので、どう反応していいのかよくわからない。今、明るく話をされているその心の中で、9年間とても多くのものを乗り越えて来たんだろう、ということは想像はつくのですが、古傷をえぐるようなことをいう訳にもいかず、かといって世間話のように軽く応えられる話でもなく。

でも、自分の経験を多くの人に伝えたい、という思いはひしひしと伝わるのです。だからこそ映像にも出て、自宅での取材にも応じ、経験を語っておられるのでしょう。その言葉を聞き漏らさないよう、数分間でリピートされる映像はもはやそっちのけで、しばらく耳を傾けていました。

被災地の各地で、震災伝承施設が整備されています。この場所もその1つです。

でも、展示で伝えられることには限りがあって、さすがに展示としては出せないような生々しい部分(遺体の損壊状況など)や、被災者個人個人の思いというところにはなかなかスポットが当てられないわけです。

震災の語り部として活動されている方が各地におられますが、展示では表現できない部分を補うために、語り部の存在は重要だということを認識させられました。

野蒜駅へ戻る

野蒜駅に入ったのは10時前だったのですが、出た時には12時手前でした。

付近の様子をスナップしながら野蒜駅へ戻ります。

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野蒜~陸前小野間、付け替えられた新線を進む仙石東北ラインの列車。

付近に建物がないので、高架橋を進む列車は遠くから見ることができるのですが、車体の青の部分が遠くからでも非常によく目立つ、というのが意外な発見でした。

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野蒜駅の下側にある、海側のロータリーから。町を俯瞰すると、まだまだ整備途上であることが見て取れます。

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野蒜駅の海側にある歩道から、野蒜駅と、駅下のロータリーを撮影。

でも、この歩道から直接野蒜駅に行くことはできません。

ではどうすればいいかというと……

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ワープトンネルがあります。

……というのはもちろんそんなわけはなく、ロータリーと野蒜駅前を結ぶ真新しい連絡通路が用意されています。

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しかし、普通の色味で載せても、やっぱり異質感はぬぐえないですね。

高台移転先となる野蒜ヶ丘の整備の際、土砂を海側に運び出すためのベルトコンベアが設けられていて、それが不要となって撤去された後、こうして通路として整備されたそうです。

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野蒜駅に到着する、石巻行きの仙石東北ラインの列車。

この日はこの後、松島海岸へ向かって松島の景観と牡蠣料理を楽しんできました*2

最初に諦めた構図に再チャレンジ

さて、野蒜駅に着いて最初に撮った、「野蒜駅の向こうに海が見える」イメージの構図ですが、午後になれば順光になるので海が綺麗に映るはずで、しかもよく見ると旧野蒜駅もちゃんと構図に入るので、別の日に再チャレンジしてみました。

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その結果がこの写真になるのですが、この構図を得るのが結構大変だったのです。

このシーンでは、石巻行きの列車が右側から入線してきているのですが、午後の日中はダイヤ上、手前側のホームに仙台方面行きの列車が先に入線してきてしまうのです。

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それならそれで、ということで、仙台方面行き列車の入線時や、石巻行き列車が出発する際に撮ってもみたのですが、どうも手ごたえがありません。

時刻表を見ると、16時台以降はこのパターンが崩れるようです。そして、野蒜駅前やその付近には屋内で時間が潰せるところが乏しいので、それなら車内の方がいいと思い、野蒜~石巻間を往復してきました。JR東日本南東北から南側が乗り放題の「週末パス」を使っているので、こういう時は助かります。

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左は石巻駅。右は折り返してきて野蒜駅。夕陽が車体に反射するところを狙うのはいいのですが、どうせならもっとちゃんとした構図で撮りたいところです。

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撮れた写真の構図を調整し、現駅と旧駅の対比を強調するため、とにかく旧野蒜駅が目立つようにモノクロにしてみました。

列車はもう少しブレている方がいいなあ、と思い、もう一本待ってみようとしたのですが、陽が沈んで海側も影になってしまったので断念。

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帰りの列車に乗ろうとしたら、空には満月に近い月が浮かんでいました。

*1:下記記事の冒頭をご参照ください。 

a-train.hateblo.jp

*2:続きは下記の記事になります。

a-train.hateblo.jp