年をカウントするイベントがあると、それをきっかけに流れる歳月を感じさせられたりしますね。
私も、数はわずかですがニコ鉄の動画を作ったことがあるのです。
完コピとはいかなかった部分も多々あるのですが、9年前のニコ鉄動画の雰囲気を、まとめて味わうにもよいのではないでしょうか。
年をカウントするイベントがあると、それをきっかけに流れる歳月を感じさせられたりしますね。
私も、数はわずかですがニコ鉄の動画を作ったことがあるのです。
完コピとはいかなかった部分も多々あるのですが、9年前のニコ鉄動画の雰囲気を、まとめて味わうにもよいのではないでしょうか。
この記事を読んで気になったこと。
記事の中に、JRの大都市近郊区間の制度について説明した後、以下の記述があります。
ここまでは便利な制度だが、年々この範囲が広まってきた。その原因は、IC系交通カードの拡大にある。ICカードは「途中下車」という概念がなく、自動改札機からの「入場」と「出場」だけであり、入場の有効期間が「当日」のみであるためだ。
ところが、JR東日本はSuicaの普及を背景に、利用エリアを徐々に拡大、2014(平成26年)年4月に中央本線の松本まで利用できるようになった。これにより、中央線の「松本」から常磐線の「いわき」、宇都宮線「黒磯」、上越線「水上」、房総地区の「安房鴨川」までが、東京近郊区間扱いになってしまった。
東京近郊区間でエリア内相互発着の場合は、前述したように「途中下車はできない」というルールが適用されるため、「松本~いわき」間は約451kmあるのにもかかわらず、普通乗車券の有効日数は当日限りで途中下車もできない。鉄道事業者からすれば、「Suicaの利便性を考えた」という言い分であろうが、おかしなことである。
これ、当然のように受け入れる人も多いかと思いますが、実は、この説明が通用するのは「JR東日本だけ」ということに注意する必要があります。
他のJR各社は、大都市近郊区間以外であっても普通にICカードが使えます。
JR西日本は、富山県から山口県までを一つのICOCAエリアに統合し、代わりに200kmの距離制限を基本とした駅別のエリア設定を導入しました。
JR東日本が大都市近郊区間の中にICカードエリアが含まれるようにし、整合性をとろうとしているとしたら、他の各社はどういう風に整合性をとっているんだろう、と思いました。
例えば、JR西日本の姫路~岡山間は山陽本線経由と赤穂線経由の2つの経路があり、大都市近郊区間内でも、「特定区間の運賃計算(経路にかかわらず常に短い側の距離で計算する)」の適用区間でもないので、本来は乗車した経路に応じた運賃となるはずです。
でも、ICカードで姫路駅で入場して岡山駅で出場すれば、例え赤穂線周り(運賃計算キロ91.1キロ)で乗車しても、山陽本線経由(営業キロ88.6km)で運賃が計算されてチャージから減額されるはずです。
これは、大型時刻表の「ピンクのページ」に載っているような規則では導くことができません。
では、何を根拠にしているのか、ということでWikipediaを見てみると、「ICカード乗車券取扱約款」(http://www.jr-odekake.net/icoca/pdf/covenant_iccard.pdf)があるようで、その中にこのような条文があります。
第19条 2(前略)減額する片道普通旅客運賃の運賃計算経路は、(中略)片道普通旅客運賃が最も低廉となる経路とします。ただし、最も低廉となる経路が複数ある場合は、営業キロ(幹線と地方交通線を連続して乗車する経路の場合は運賃計算キロ)が短い経路とします。
第20条
(3) (中略)乗車区間の経路については、当該乗車区間に対する片道普通旅客運賃の運賃計算経路にかかわらず、利用エリア内に限り他の経路を乗車することができます。
(4) 途中下車の取扱いはしません。
(5) 入場後は、当日に限り有効とします。
つまり、別に大都市近郊区間の制度を準用しなくても、別にICカード用の規定を定めることで対応できるようなのです。
とすれば、冒頭のJR東日本に関する説明は常識的なことではなく、むしろJR各社の中では例外的な扱いだと言えます。
ならば、「なぜJR東日本だけがこんなにおかしな制度なのか」という主張も、あってもよいと思うのです。
それはともかく、鉄道について書かれる記事の中には、JR東日本のあり方を前提に、それを世の中の常識であるかのように書く記事が結構見受けられます。
時として「JR東日本の常識は世間の非常識」というケースがあることを気に留めておくと、記事にツッコミを入れられたり、こうしてブログのネタにしたり、いろいろと楽しいのではないか、という風に思います。
上記の記事からの続きになります。
函館本線と根室本線が接続する滝川駅。外観からは想像つかなかった小さな改札口でした。
次に来るオホーツク2号は数分しか時間がなかったので見送って、その次のライラック16号で札幌へ戻ることに。
帰るルートを決めていなかったので、珍しく特急券も乗車券も買っていませんでした。みどりの窓口で指定券を買うと、「もう窓側は空いてないです」とのこと。
「これはもしかしたら、自由席の方が空いているパターンなのでは……」という疑念を持ったりもしましたが、列車が到着してみれば、さすが札幌~旭川間の都市間特急。自由席も含めてだいたい席が埋まっていて、納得の結果でした。
まあ、これは車窓目当ての乗車ではないので、特に気にはなりません。
さて、話を戻して。
改札前に待合室があり、発車10分ほど前に改札の案内があるという、昔ながらの駅の姿ではありましたが、でもそこにあるのは自動改札機。改札があろうがなかろうが通りたい放題です。
ホームへ出て、風景を眺めます。
こちらは駅舎側。
こちらは反対側。
この風景を見て「札沼線の車窓に似てる…」と思ったのですが、考えてみれば、札沼線の車窓から遠くに見えていた景色を、今は近くに寄って見ている、ということになるんでしょうね。たぶん。
岩見沢行きの普通。721系3連。
今調べてみたら、前面に「F-1」と書かれているので、F-1編成、つまり721系最古の編成のようですね。
721系も初期車はそろそろ廃車が始まるという話が出てきていますが、製造初年度が1988年であれば30年選手なので、確かにそういう時期なのかもしれません。
今回乗車したライラック16号。もともとは津軽海峡線用の特急電車として製造され、北海道新幹線にその座を譲って新天地へやってきた車両。
昔、キハ281系のフォルムが好きで、A列車でもよく使っていたのですが、それと似たこの前面フォルムはやはりカッコいいと思う。
そして札幌へ到着。到着したはいいのですが、この先数時間の行程が全く決まっていません。
本来は、14:45発のスーパー北斗16号で出発し、新函館北斗で新幹線に乗り継いで北海道を出る予定でした。なので、それまで札幌で何かしようと思っていたのですが。
思考に作用したのは、今後天気が下り坂に向かうという予報であり、実際に雲がどんどん厚くなってきている、ということでした。もはや雨が降り出すのも時間の問題でした。
それなら、雨が降る前に少しでも南に向かっておきたい。
そして、間にちょうど室蘭までの盲腸線があり、もしかしたら乗りつぶせる時間があるんじゃないか。
時刻表をめくってみると、案の定、室蘭に1時間以上滞在できるダイヤになっていました。
そうと決まれば、すぐにみどりの窓口で指定席の取り直しです。
スーパー北斗16号の指定席を東室蘭からに変更し、札幌~東室蘭間は12:16発のスーパー北斗12号の指定席を確保。
ついでに、東室蘭~室蘭間の往復乗車券も買っておきます。
残りの時間、おみやげを物色していたら発車時間が近づいてきました。
それなりに時間は取っていたのに、結局何もできなかった札幌からおさらばです。
千歳線をグングン走り抜けて、高架の千歳駅を過ぎると南千歳に停車。
この駅では、新千歳空港に向かう単線に向かって、空港行きは右側の島式ホームに入り、札幌方面行きは左側のホームに入る(一般的な左側通行とは逆になる)。そうすることで、函館・帯広方面←→新千歳空港の乗り継ぎが同一ホームでできる、という運用になっています。
初めて北海道に来た時に、これを見てとても感心したのを覚えています。
そしてしばらくして、新千歳空港が車窓から見えてきました。
この辺から、ぽつぽつと、雨が降ったりやんだりといった天気になってきます。
この頃、胆振東部地震からの復旧作業のため、南千歳~沼ノ端間は徐行運転をしていました。
車内放送でも、15分から20分程度の遅れが見込まれるとのことで、苫小牧から先の到着時刻は20分遅れとして案内されていました。
定刻だと、東室蘭での室蘭行きへの接続は14分しか時間がありません。まず大丈夫だろうと思いますが、念のために通りかかった車掌に、接続は取れることを確認しておきます。
列車同士の接続ということで印象深かったのは、2度目に北海道に行った時のこと。
大阪から特急白鳥→青森で急行はまなすに乗り継いで、さっぽろ雪まつりとオホーツクの流氷を見て、そして同じルートで帰ってくる、という、何かいろいろなものを度外視した企画でした。
しかし、その日は日本海側が大雪に見舞われており、大阪を発車する時点で約20分の遅れ。その後、遅れは徐々に積み重なっていき、青森に着いた時点では2時間近い遅れになっていました。
通常ダイヤでピッタリ乗り継げることになっている急行はまなすへの乗り継ぎは、さすがに無理だろうと思っていました。
もし乗り継げなかった場合はどうしよう。青森に泊まってさらに北を目指すのか、青函連絡船なら行けたりするのか、それとも諦めて戻るのか。そんなことを考えていました。
ところが、青森で降りてみれば目の前に急行はまなすの客車が待っていて、とても驚きました。
盛岡からの特急から乗り継いだお客さんは、もうすっかりお休みモード。そんな中、どうにか座席を確保して予定通り札幌に向かうことができました。
その時の経験もあって、JR北海道は「待つべき時は待つ」はずで、通常ダイヤで乗り継げることになっている列車の乗り継ぎについては、ダイヤが乱れてもあまり心配する必要はない、と思っています。
(※もちろん、列車本数が少なく、乗り継ぎできなかった場合の影響が大きい、ということもあると思いますが)
列車は速度を落として慎重に進んでいきます。おかげで、車窓をじっくり眺めることができました。
今は信号場となった、旧美々駅。
植苗駅。
ホームの駅名標が見えないので、「あれ?廃止になったんだっけ?」と思ったのですが、たぶん「しかし こっちは うらがわ。 書いてある文字が 読めない。」というやつなのでしょう。
この区間は駅付近以外は原野を走る部分も多く、途中、線路わきにエゾシカが佇んでいるのが見えたりしました。徐行運転のおかげでした。
沼ノ端を過ぎるとぐんぐんスピードを上げ苫小牧へ。
その先は、時折古めかしい巨大な工場が姿を現しつつ、中央競馬でよく聞くような地名が続々と登場します。この区間は単線だと思い込んでいたのですが、実は複線だったのですね。
一瞬見えた牧場を撮ったつもりが失敗。
そして登別あたりまで来ると、左手は太平洋、右手は登別の山々という、晴れていれば絶景だっただろうという風景になってきました。
見出しの時刻は定刻で記載しています。実際の発着時刻まで記録していなかったので。
東室蘭でそそくさと普通列車に乗り換えて室蘭へ。写真を撮る暇がなかったので、室蘭に着いてから撮りました。
乗ってみて気付いたこととして、東室蘭~室蘭間は、札幌圏以外では珍しい「市内電車」なのですね。
いや、乗ったのはディーゼルカーなのですが、電化されてるし札幌と直通する電車も走るので……。
駅を出たら町が終わる、という車窓が多い中、この区間は線路沿いに幹線道路が走り、それに沿ってずっと町並みが展開している。
本州では別になんてことのない車窓ですが、北海道ではかなり珍しいと思いました。また、特急すずらんが、この区間では普通列車として各駅に停車するのも納得できるような気がしました。
室蘭駅はもうすっかり雨でした。
下記の記事へ続きます。
多くの人にとっての3連休の初日。雲は多めながらもまだ晴れ間がのぞくような札幌の朝でした。
2日目はまず、北部の廃線が事実上決まった札沼線(学園都市線)へ。
JR西日本のJR宝塚線や嵯峨野線のようなイメージで、北海道医療大学までが「学園都市線」だと思い込んでいたのですが、実は終点の新十津川までが「学園都市線」なのでした。
札幌からは、1本後の6:58発の列車でも、新十津川行きに乗り継ぐことはできます。
ただ、石狩当別での乗り継ぎはわずか7分。今の新十津川行きの状況を考えれば、席を取れるかも怪しいと考えざるを得ません。
そういうこともあって、普段から、こういう10分以内の乗り継ぎは極力避けるようにしています。
もう1つは、朝一番の場合、万一寝坊しても1本後に乗れれば何とか旅程として成り立つ、という冗長化でもあります。
札幌駅の10番線にやってきたのは、予想外だった721系6両編成。快速エアポートでも運用されている、uシート付の編成でした。
昨日の小樽発の快速エアポートと同じ構図ですが、使い回しじゃないです。その証拠に、こちらは慌てて撮ったせいでピントが酷いことになっています。
普通列車として運行される場合、指定席料金は不要。たぶんロングシート車が来るんだろうと思っていたので、これは嬉しい誤算です。
ただ、別の旅行記では、同じ列車が731系のロングシート車になっていました。なので運用が固定されているわけではなく、6連の電車ならなんでもいいという感じなのかもしれません。
札幌を出て西へ。確か桑園を出て、函館本線と離れるあたり。
車窓を見ていると、札幌の街のすぐ南にはもう山々が連なっている、ということを改めて感じさせられます。
それからはずっと、ひたすら住宅1~8、たまにマンション・団地系や低層雑居ビル(A9的表現)といった車窓が続いていたのですが、石狩川を越えると景色は一変し、広大な田畑が広がる車窓となります。
街を出てもなんとなく谷筋に沿って家並みが細々と続いていく本州の景色と異なり、街が終われば田園地帯だったり原野だったり、きっぱりと景色が一変するのも北海道の大きな特徴だろうと思います。
やがて石狩当別駅に到着。
到着したばかりの721系の列車。
721系の行き先表示幕。
先発の札幌行きとして待ち構えていたのは、最新鋭の733系でした。
新十津川行きは、対照的にキハ40形の1両編成。
ボックスシートは、国鉄時代そのままの濃い青のモケットでした。
そうこうしているうちに、1本後の列車が石狩当別駅に到着。この列車も、uシート付の721系6連でした。
この乗り換え客で、だいたい座席定員ちょうどぐらい。ただ、相席を嫌って立っている人も結構いました。
そして、1日1本の新十津川行きが発車。
ひとつひとつ駅に停車していき(駅間は、昨日の「山線」ほど長くない感じ)、石狩月形へ。
ここでは22分の停車時間があり、また対向列車との行き違いがあるということで、「新十津川行き列車」というアトラクションの途中にある、大きなイベントになっているようです。
今乗車中の、新十津川行き列車。
多くの人が車外へ出て、写真を撮ったり付近を見て回ったりしています。
今回の旅行の中で目に付いたのが、鉄道用の標識の類にことごとく巻き付けられたピンクのリボン。これは例えば積雪の中でも存在を目立たせるためのものなのでしょうか。
北へ向かってまっすぐに延びる線路。
対向列車が来た時にこの角度で撮るのが定番のようですが、そういう定番の写真はきっと世の中にありふれていることでしょう。
ちなみに、この写真は構内踏切近くで撮っていますが、最近は、列車が近づいてきた時は構内踏切近くの撮影は禁止で、ホーム上から撮影してくださいとのこと。これから乗車する方はご注意ください。
やがて対向列車が到着し、石狩月形駅を後にします。
線路だけではなく、道路もひたすらまっすぐに延びる。
ススキも美しい秋の車窓。
札比内駅。
駅舎が古いのはともかく、「学園都市線」と愛称が記された、それほど古くないはずの駅名標も、朽ちゆくままに放置されている感が少し切ない。
広大な田園地帯の向こう、霞の上に山並みが浮かび上がる幻想的な風景。
その構図は基本的に変わらないまま、手前の風景が次々と移り変わり、変化を生み出していきます。
はるか遠くに見える工場が、勢いよく白煙を立ち上らせていました。
「ふれあいステーション」と一体となった浦臼駅の駅舎。
実りの秋。
昨日の噴火湾沿いとは別の趣があり、飽きもせずずっと見ていたくなる、という車窓でした。
長い年月を経てすっかり焼け切った、という感じの於札内駅の駅名標。
南下徳富のローマ字表記が、「MINAMISHIMOTOOPU」=みなみしもとーぷ になってました。
間に2つハイフンが入るのですね。
かなり余談ですが、駅名にハイフンが入る場合、それに続く文字はこのように小文字であるべきだと思っています。
ハイフンは「前後をつなげて1語として扱う」という意味であり、また、「固有名詞は最初の文字を大文字にする」というルールを踏まえると、ハイフンの後、つまり語の途中の文字を大文字にするのはおかしいはずなのです。
ただ、大手の鉄道会社ではハイフンの後を大文字で記載しているところが多く(JR東日本、JR東海、JR西日本等)、むしろそちらの方が一般的になっちゃっている感じもしますね。
その対立から超越した立場にいるのが南海で、「大阪狭山市」「林間田園都市」といった長い駅名ですらハイフンを使わない、という独自路線を取っていたりします。正確には林間田園都市は「RINKANDEN-ENTOSHI」なのですが、これは「DENEN」を「でねん」と読まれるのを避けるためのハイフンなので、用法が違います。
……どうでもいい余談が過ぎました。
まもなく終点の新十津川駅。
手前の踏切近くには撮り鉄が何人かいました。
せめて一度、その車を置いて列車に乗ってあげてください、と言いたいのですが、一度乗ってしまうともう戻ってこれない罠。
……いや、滝川駅から戻ってくることはできるのですが。
新十津川駅は静かにたたずむ終着駅で……と思っていたら、全然違っていました。
3連休ということもあってか、駅前には鉄道グッズや「駅弁」や軽食、飲み物などを売る出店がいくつも並んでいました。
ホームから駅前を撮影。「1/2 76」の標識は……?
後で時刻表を見てみると、桑園-新十津川間の営業キロが76.5キロなので、関係ありそうな気がします。
新十津川駅前にある空知中央病院。
駅前だからというより、おそらく町役場に近く、街道に近いというのがここにある理由なのでしょう。
なお、これとは別に、駅前から少し離れたところでも、他のイベントをやっていたようです。
せっかくなので「駅弁」を買うことにしました。
後で捨てる前に撮った写真ですが、掛け紙はこんな感じ。ちゃんと日付が入っているのがチャームポイントですね。
ちなみに、中身はよくできた幕の内弁当で、十分満足できる内容でした。
新十津川駅とキハ40形。
駅舎の片隅にあった、毎日の乗車人数を記録したカレンダー。誰がつけているのでしょうか。
さて、車窓が相当気に入ったので、帰りも学園都市線にしようかな、と思って乗り込んだのですが、すでに窓側の席は埋まっていたのであえなく退散。滝川経由で札幌へ戻ることにしました。
下記の記事へ続きます。
※2019/6/7 改題、および写真・本文を追加しました。
上記の記事からの続きになります。
新函館北斗を出たスーパー北斗は、最初はスピードを落として走り出します。
http://www.jrhokkaido.co.jp/CM/Info/unkou/pdf/20180423_KO_sawarapuresu.pdf
にある、渡島砂原周りの徐行運転の影響なのでしょうか。
出発してしばらくして、車窓から見えた函館山。北海道新幹線から見えたのと比べると、もうだいぶ小さくなっていました。
大沼を通過して大沼公園に停車。昔、夏にレンタサイクルを借りて、確か小沼の方だったと思いますが、ぐるっと回ったことがあります。涼しい空気と静謐な雰囲気に浸りつつ、当時の悩み事について考えを巡らせていたりしました。
そして車窓に現れた駒ヶ岳。雄大な姿にただただ見惚れるばかり。
新函館北斗駅で買ってあった駅弁は、場合によってはこの車内で食べることを考えていましたが、そんな暇はありません。
森駅が近くなり、遠くに内浦湾が見えるようになってきました。こういうチラリズムがたまりません。
森駅で発車を待つ機関車。
こういう光景はできれば車内から出て撮りたいですね。
森駅を出てすぐ、鳥たちが集まる水辺。
天候もよくなり、車窓の素晴らしさに夢中になっていました。
ガラス越しであることが残念でなりません。
時折こうして海岸から離れ、陸側の景色が変化するのも楽しいのです。
そうして、ひたすら車窓を堪能していたらあっという間に長万部。
出発する特急列車を見送り、この先は「山線」と呼ばれる小樽方面へ進みます。
次の倶知安行きの発車までは50分ほどあります。
もし、この付近にめぼしい食べ物屋があるなら、駅弁よりそちらを優先したい感じ。
そんな感じでふらっと歩いてみると、すぐ近くによさげなカニめし屋があり、立ち寄ることにしました。
注文したのはおすすめメニューのかにめし。
後で調べてみると、昔は長万部駅構内で駅弁として売っていたとのことで、確かに、カニ身を甘醤油味で煮て水分を飛ばした、駅弁向けの料理になっていました。
まだ時間があったのでもう少し駅前を歩いてみます。海岸へ向かうと、久しぶりに見た標識が。
要は、積雪したら路面の標識は役に立たないということで設置されている標識。別に北海道に限った話ではないはずですが、こういうところに、普段住んでいるところとの違いを感じます。
海岸から北方面の眺望。
そうこうしているうちに、次の列車の発車時間が近づいてきたので駅へ。
キハ150形の1両編成。車内には2人ほど乗り込んでいました。
かにめしは腹八分目よりやや少ない感じだったので、ここで、新函館北斗駅で買った駅弁を開けることに。
ああ、こういう駅弁は大好きです。
いずれも大ぶりな身欠き鰊の煮つけと、数の子がそれぞれ3切れ、ドンドンドンと配置され、漬物や煮物が添えられただけの、シンプルな力強さ。
最近の駅弁は、1つ1つの食材を小さくまとめ、たくさんの種類の食材を盛り付けることで豊かな彩りを出す、というのが主流なのですが(前の記事のグランクラスの弁当などが典型的)、それと対極を行くこういう弁当には、いつまでも残ってほしいと願わずにはいられません。
接続する函館行きのスーパー北斗が、以前の大地震の影響で遅れていたこともあり、完食して発車を待つことになりました。
停車中、日本語と交互にずっと繰り返されていた、「This is a local train, bound for, くっちゃーん」の、最後の「くっちゃーん」のフレーズが耳に残ります。
車窓派として辛いのは、窓が雨だれで一面汚れていたこと。
一般車両の掃除をそこまで細かくやっていられない、ということなのでしょう。
それは、今のJR北海道の状況を考えても、やむを得ないのだろう、とは思いますが。
細かい車窓の変化はありつつ、基本的には木々の間を走り抜けていく形で、広い視界の眺望というのはあまり望めない感じでした。
周りが見えないので、なぜそこでカーブして、なぜそこに勾配があって、なぜそこで加速して減速して、ということがよくわからないまま、ひたすら前へ前へ進んでいき、そしていつしか列車本来の役目を忘れかけたころに、「ピンポーン」とチャイムが鳴り、停車駅のアナウンスが流れることで、これが普通列車だったことを思い出す、ということを、何度も繰り返していきます。
そして視界が開けてきたら、終着の倶知安駅へ。
かつてはたくさんあった側線がすべて剥がされた、というように映る広大な空間。
よく見れば、本来上り本線があるべき1番線にも、線路がありません。
詳しい歴史はわかりませんが、かつてはこの駅も、貨物列車や旅客列車がもっと頻繁に走り、活気が溢れていたんだろうなあ、と想像してしまいます。
倶知安からは2両編成に。やはり小樽近郊ではそれなりに乗客が増えるということなのでしょう。
電動の行先表示幕は後から追加されたのか、使われないサボ受けが残ったまま。
さっきの件があるので、窓の汚れ具合を確認して比較的綺麗な部分に着席。
1両目はまんべんなく雨だれの汚れがあり、2両目は、進行方向右側は黄色い汚れも付着してほとんど視界が望めないのに比べ、左側はあまり汚れがない、という具合で、1つの車両の中でも差があったりしました。
ただ、基本的には長万部~倶知安間とあまり変わらない感じの車窓。
やがて余市からは乗客が増え始め、遠くに日本海が望めるようになってきたと思ったら、ほどなく小樽に到着しました。
下記の記事へ続きます。
まず、何のためらいもなく北海道へ向かいます。
当初は、まずは北上で下車し、北上線→奥羽本線→五能線(リゾートしらかみ)と経て青森へ至り、北海道入りは翌日の予定でした。
というより、最初に確保したのはリゾートしらかみの指定席であり、翌日以降はついでに北海道に行ってみよう、という程度の話だったのです。
ところが、台風25号が7日に北海道を直撃する予報となり、どのように旅程を組み替えるか悩んだ結果……なぜか北海道の方が優先度が高くなってしまい、2度目のトライだったリゾートしらかみはまたも断念せざるを得なかった、というのはこのブログにも書いていた通りです。
まあ、リゾートしらかみは当面いつでも乗れるし、距離的に遠く、廃線が事実上決まった区間もあるので、それを優先したという意味もあります。
旅程を検討する際、だいたい以下のようなことを重視して決めています。
乗りつぶしは一つ大きな指標ではあるのですが、とはいえ、何の発見も見込めない、ただ義務的に乗るような乗車はしたくないのです。
さて、新幹線は定刻に発車。
1度やろうと決めていた、東京-新函館北斗間のグランクラス乗車を決行する時が来ました。
特急料金よりもはるかに高い、グランクラス料金。
内訳を見ていただいたらわかる通り、合計26,720円という金額は、運賃別なのです。
グランクラスは、以前に東京-金沢間で乗車したことがあります。碓氷峠を越えたあたりで、あまりに快適過ぎてぐっすり寝てしまい、気が付いたら富山でした。
今回は、盛岡から先は乗ったことがない区間ということもあり、そこから先はできるだけ起きているのが目標です。
大宮を過ぎ、首都圏からの乗車が完了した時点で軽食の提供がありました。和洋選べる中でチョイスした和軽食は、秋らしい彩りとなっていました。
ひととおり堪能したら、おやすみモードへ。
仙台を過ぎ、盛岡で併結していたこまち1号を切り離し、さらに北へ。
車窓は見ていたのですが、正直なところ、見ている限りは「よくある新幹線の車窓」という印象。しかもトンネル区間が多く、八戸あたりからはトンネル内で電波も途切れる……という感じだったので、最初に提供されたスイーツやおつまみをいただく等、基本的には車内でまったりする方向で過ごしていました。
新青森に到着する少し前、北海道の胆振地方で最大震度5弱の地震が発生したという速報を見てびっくり。
それ自体で何か大きな被害が出るとは思わなかったのですが、当然、付近のJR線は運転を見合わせるだろうし、ダイヤの乱れによって今後の旅程に影響が出ないか、というのが心配でした。
まあ、その辺はなるようになる、としか言えないのですが。
新青森から北海道新幹線へ。JR東日本と違い、青函トンネルを中心にした情感あるアナウンスが特徴的。それぞれの路線の性格の差を反映しているようでもあります。
奥津軽いまべつ駅。ホームは極端に狭く、基本的には「乗降できるだけの設備はある」という状態。これが、この駅の位置づけを端的に表現しているかのようです。
いつかはこの駅を降りて旅をしてみたいです。
在来線との合流点あたり、でしょうか。奥には在来線の狭軌線、手前には三線軌道が見えます。
そして青函トンネルを経て北海道へ。
青函トンネルを抜けると北の大地。北海道らしい広大な風景が広がります。
青函トンネル自体は、乗客視点では「ただの長いだけのトンネル」という感じではありますが、出て風景が変わったのを見ると、やはり海を越えたという感慨があります。
木古内駅。ホームの構造としては奥津軽いまべつ駅と似たような感じ。
道南いさりび鉄道は、一応「乗車した」扱いではありつつも、昔の江差線だった時に夜行列車で行き来しただけなので、昼間にきちんと乗っておきたい路線ではあるのです。
それはまたいずれ……。
遠くに見えてきた函館山。新函館北斗に近づくと、短時間ではありますが、東側に函館山と函館市街を一望できる素晴らしい車窓が広がります。
なので、取れるなら東側の窓側がおすすめかと思います。
新函館北斗駅。今はまだ、行き止まりの線路。
12番線の発車(?)案内。そもそも発車する列車はあるんでしょうか。
これが札幌行きの発車案内に変わるのは、まだまだ先の話。
駅前の風景。
用地は確保したものの、誘致が思うように進んでいない、という話も出ていますね。「A列車で行こう The 21st Century」で誘致に失敗したかのような……。
この先に計画されている新八雲駅では、(公表されている資料では見当たらないですが)「新駅は市街地から離れており、従来型の整備は効果が見込めないため、駅前に牧場を展開し、極力視界を遮るものをなくすようにする」という案も出ているようです。
需要の少ない駅においては、「駅前に一大拠点を整備する」という従来型の整備から離れた発想が必要なのかもしれません。
地震の影響で定刻から少し遅れて到着したこともあり、写真を撮っていたら時間が無くなってしまったので、とりあえず売店で「鰊みがき弁当」を買って、次のスーパー北斗へ乗り込みました。
下記の記事へ続きます。
先にYoutubeで上がったのは見ていたので「あ、ニコニコは見捨てたのかな?」とか思っていました。
開発あるあるなネタと、221系パイセンの緩いツッコミがけっこう好き。
電停を引上線として使う発想はなかった。今作ってるマップは1両とか2両編成も結構あるので、最低3両の操車場は長すぎる時があるんですよね。
最近みた走行動画は、どれも路線図的なものの提示がなくて、駅名を出されても何がどこにあるのかよくわからない、というのが結構あったのです。
続編物は、以前の動画を見返すべきなんでしょうけど。
そんな中、きっちり走行区間と停車駅を出してくれているものを見ると安心感があります。
自分の動画でやろうとする時、画面に常時表示する情報量はどのぐらいが適切なのか、ということをいろいろ悩んでしまって、ここまではっきりとは出せなかったりするのですが。