君と、A列車で行こう。

鉄道とシミュレーションゲーム「A列車で行こう9」を中心に綴るブログ。当面、東北地方太平洋沿岸の訪問をメインにしています。

気仙沼線BRT・大船渡線BRTを追った半年間 (3)「被災地を観光する」ということ

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気仙沼駅前に建つ、来訪を歓迎する灯台型モニュメント

あれから9年たった今も、まだ復興が続く東日本大震災の被災地。

下の記事で書いた通り、この半年で何度も訪れましたが、別にBRTの写真だけひたすら撮っていたわけではなく、各地の商店街や震災遺構、復興祈念公園などを訪ねたり、三陸の海の幸を堪能したり、毎回それぞれ満喫させていただいていました。

a-train.hateblo.jp

それまで、鉄道の乗りつぶし(乗ったことがない路線に乗る)をガイドラインに全国をあちこち訪れていた私が、ひたすら三陸を訪れることになったのは、基本的にその場所がとても楽しいからです。辛いのに繰り返し行く必要はありません。

訪れる場所、目にする風景、食べるもの、行き交う人々……その1つ1つに、震災を乗り越えようとしてきた歩みを感じ、とても心動かされるものがあります。それは他の地域ではなかなか得られない経験なのです。

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陸前高田市の復興のシンボルとなった奇跡の一本松

まだ被災地を訪れたことがない方には、もしかしたら「どういうスタンス、心構えで行けばいいのか」という戸惑いがあるかもしれません。

そこで、あくまで個人的な考え方ですが、私が心持ちとして整理していたことを書き記しておきたいと思います*1

単純に一言でまとめると「特に何も気にすることないよ」ということになるのですが、少し具体的に、以下の3点にわけて書いておきます。

  1. 他の観光地と同列に扱う
  2. 現在は歴史の積み重ねの上にあるもの、と考える
  3. 現地の人とは一線を引く

1.他の観光地と同列に扱う

観光を構成する要素は、ざっと大別すると以下のようになるかと思います。

  • 自然・景観:豊かな自然、風光明媚な風景、特徴的な景観を楽しむ
  • 伝統・文化:寺社を訪ねたり、地域の歴史、文化などに触れる
  • 食・宿泊:土地ならではの食を堪能し、温泉などの滞在を楽しむ

三陸沿岸は、言うまでもなくすべての要素が揃った魅力的な観光地の1つです。

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大船渡湾の日の出と、南三陸町のカキ天丼

津波に流された場所では、伝統・文化を感じられる要素は少し弱くなりますが、人の営みとして捉えると、逆に「震災復興」という要素が加わります。

それらを考慮して、他の観光地と比べて行ってみたいと思えるようであれば、訪れてみればよいかと思います。

あれから9年たった今、「被災地だから遠慮した方がいいのでは」ということを考える必要はないし、逆に「震災の被災地をちゃんと見ておくべき」という押し付けもふさわしくないでしょう。

あくまで、他の観光地と同列に並べて比較すればよいと考えています。

2.現在は歴史の積み重ねの上にあるもの、と考える

ここは少し抽象的な話になりますが、基本的には、1.と同様、他の観光地と同列に扱うための考え方になります。

実際に現地を訪ねると、海岸には巨大な防潮堤が築かれ、その内側では嵩上げや整地などの工事が続き、道路は仮設状態で、再整備された中心市街地は空き地が目立つ……といったところが多くあります。

「地域と自然が一体となった美しい景観」のようなイメージを持っていくと、がっかりする面もあるかもしれません。

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防潮堤工事が進む気仙沼市大谷海岸付近。左上に気仙沼線のトンネルが。

日本の各地には、歴史の積み重ねによって形成された、その地域ならではの景観や文化があります。

同様に、被災地の復興の様子もまた、東日本大震災も含めた歴史の上にある、地域独特のありようです。例えば上の写真のような工事風景も、未完成なのではなく「今日この時点での完成形」であり、そして今後も急速に変わり続けていきます。だからこそ訪れる価値があると私は考えています。

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江戸時代からの歴史を未来に受け継ぐため、再生を目指す高田松原

東日本大震災を「歴史の一部」と捉えるのはまだ早いのかもしれませんが、観光客という立場で、他の地域と比べて過剰にポジティブにもネガティブにも考えないために、そうした捉え方をしています。

ただ、その辺の価値観、観光に何を求めるかは人それぞれでしょう。「工事でごちゃごちゃしてる風景をわざわざ見に行っても……」というのもまた、1つの考え方だと思います。

3.現地の人とは一線を引く

一番悩ましいのは、「震災で苦労した(している)人の前で物見遊山してていいのかな?」という点かもしれません。特に震災遺構や伝承施設を見たりすると、そう感じるところがあるかと思います。

これはもう、観光客として一線を引いて割り切るしかないです。どうやっても今さら同じ体験はできないのだから。

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多くの犠牲者が出た南三陸町防災対策庁舎の遺構と、供えられた花束

ただ、「一線を引く」というのはまた別の意味もあって、線の向こうの人の思いは自分と必ずしも同じではないことを認識しておく、という意味でもあります。「震災の時はどうだったか」という話は慎重になる方がいいと思います。まあ、「むやみに相手の傷口をえぐるような話は避ける」という一般的な配慮の範囲ではあるのですが。

どうしても何か後ろめたさがつきまとうようであれば、下記の記事の最後で書いた内容も参考になるかもしれません。

a-train.hateblo.jp

正直なところ、見ていて葛藤もあったのです。

あれから8年、歯を食いしばって暮らしてきた人たちを前にして、自分はたった1日、物見遊山でこういう展示を見て回ったところで、何を知ったと言えるんだろう、という。

ただ、こうして一度行けば、そこは自分にとって無縁の場所ではなく、「行ったことがある場所」という縁ができる。

縁ができれば、その土地に関するニュースなども、他と同等ではなく、ちょっと気になって見るようになる。

現地を見た分だけ、そのニュースも情報に頼るだけではない理解ができる。

こうして震災遺構を見ることも大事ですが、美しい風景を見て、おいしいものを食べて、楽しい経験をして、そうすればその土地に縁ができる。そういうことが重要なんだろうと思います。

これは、初めて気仙沼を訪れたちょうど1年前に感じたことですが、まさにここに書いた通り、最初の縁がきっかけとなって、その後何度も訪れることになったわけです。

 

今はまだ訪問を自制しないといけませんが、もしちょっとためらいがあるという方がおられるようでしたら、少しでも何かの役に立てばと思っています。

*1:本稿では、主に津波で被災した地域を対象にしています。福島第一原子力発電所の事故によって避難を余儀なくされた地域は少し違う整理が必要な気がするので、ここでは除外して考えます。