今回は最初に私のバックボーンを書いておこうと思うのですが、個人的に「鉄道ローカル線への郷愁や思い入れ」といったものは一切ありません。
生まれてから幼少期を過ごしたのも、家族の都合で引っ越した先も私鉄の郊外の駅のそばで、家の横を6両とか8両とかの通勤型電車が走っていました。
祖父母の家はどちらも大都市の同じ区内で、遊びに行く時は私鉄線で都心に出た後、地下鉄や市営バスで向かっていました。
母方の実家は山奥の集落でしたが、そこに向かう鉄道も、複線電化された私鉄線でした。
1度か2度、父方の実家に行ったことがあり、そこは国鉄ローカル線の沿線だったのですが、鉄道の記憶がほとんどありません。
そんな生い立ちだったので、短い編成の気動車が走るローカル線は、郷愁どころか日常からもっともかけ離れた存在で、出かけた先で見る物珍しい存在、という認識でした。だから基本的にローカル線に対する見方はドライです。
赤字であり、それを受容するだけの存在意義が見いだせないなら廃止すればいいのです(※個人の感想です)。
気仙沼線・大船渡線を含む三陸沿岸の鉄道が、「三陸縦貫鉄道」として大歓迎されたのは、道路が貧弱だった頃の話。並行して国道45号が通り、車社会化が進み、他のローカル線と同じように鉄道の地位がどんどん凋落していったのが、震災前の状況だったはずです。
鉄道が廃線になった後、多くの場合は代替バスが運転されることになりますが、イメージとして、住民の足の確保のためやむを得ず必要最低限の輸送を行うという感じで、あまり前向きなイメージはないのではないかと思います。
両線の東日本大震災で被災した区間がBRT(Bus Rapid Transit=高速バス輸送システム)として本復旧していたことや、鉄道部分を専用道に利用しているのが特徴であることは知っていましたが、初めて乗る前は、やはりそういうイメージで見ていました。
専用道のために架ける橋、そこに見たパラダイムシフト
ところが、昨年の5月3日、当時はまだ国道を通っていた清水浜駅付近で、その国道を跨ぐ橋を新しくかけ直しているのを見た時、事前に抱いていたイメージが一気に崩壊したのです。
「鉄道部分を活用した専用道」といっても、被災を免れた部分を利用するだけで、まさか新しく橋をかけ直してまで専用道を拡張しようとしているとは思っていませんでした。
どうやらJR東日本は、鉄道代行バスとしてBRTを運行しているのではなく、公共交通を担う事業者として、BRTという輸送サービスを本気で作り上げようとしているらしい*1、と気づいたのです。
これまで、鉄道事業者は基本的に鉄道を運行するものでした。鉄道の敷設が困難な場所、例えば海には鉄道連絡船を運航し、山にはケーブルカーやロープウェイを走らせたりしていますが、「通せる場所には鉄道を通す」のが当然でした。
そうではなく、鉄道を通せる場所であっても、それが最適ではない場合は地域に合わせて適切なサービスを導入する。そういう在り方へのパラダイムシフトを目の当たりにしたのです。
あくまで鉄道にこだわりを持つ人は、「気仙沼線・大船渡線でBRTを構築して、それを横展開して他のローカル線を潰そうとしている」と言うかもしれません。モノは言いようです。
もはや、何が何でも鉄道というわけにはいかず、採算が厳しい路線は鉄道であることの意味をしっかり考えないといけない時代です。公共交通を担う鉄道事業者が、鉄道以外の選択肢を持っておくのは、考えてみれば当然のことなのです。
全国で唯一無二のサービスとして
鉄道の廃線跡を利用したBRTとしては、最近の事例では鹿島鉄道の廃線跡を利用したかしてつバス、日立電鉄の廃線跡を利用したひたちBRTがありますが、いずれも鉄道事業者が撤退した後、自治体が公共交通政策を主導し、その中で廃線跡をBRTとして利用することになったものでした。鉄道事業者が、自ら鉄道からバスへの転換を主導し、そしてバス路線も自社路線の一部として、鉄道と同等の扱いで運行を続けているのはここだけです。
つまり、気仙沼線、大船渡線で実現しているBRTは、全国で唯一、今のところ他に例のない存在なのです。
被災してからの経緯を考えると、もしかしたら怒られるかもしれませんが、観光客の立場として、単純にすごい!面白い!と思います(※個人の感想です)。
そんなわけで、「鉄道の代わりに仕方なくバスが走っている」というようなネガティブな見方ではなく、ここには他にはない公共交通サービスができている! というポジティブな捉え方をしています。
とはいえ、それはあくまで個人的なもので、沿線の方々が鉄道であった気仙沼線・大船渡線をどう見ていたのか、BRTになったことをどのように捉えているのかは、実は今のところよくわかっていません。
今後、再度訪れることができる機会がやってきたら、そういったことも少しずつ知ることができればと考えています。