JR気仙沼線BRTの陸前戸倉~志津川間に、「海の見える命の森」と名付けられた場所があります。
国道45号線沿いの丘の上にあり、志津川湾一帯を見渡せる展望台には、津波の教訓を伝える碑や、鎮魂の大仏「南三陸大仏」が置かれています。
このブログでは、2020年の初日の出を見た場所として一度記事にしていました。
JR志津川駅や、付近にある「南三陸さんさん商店街」からは、歩いて行くと30分ほど。南三陸さんさん商店街にはレンタサイクルもあります。
国道45号線を南に進み、左手に海が見えてきたら、右手の山側に入口があります。下の手作りの看板が目印です。
この2枚、左は初めて訪れた11月上旬、右は2回目の12月下旬のもの。最初は危なっかしく見えた入口も、2回目には手摺が整備されていました。後で、管理者の方が「今朝午前中に整備したんです」(!)と言っていました。
この森はボランティアが主体となって整備が進められていて、展望台までにはいくつも、手作りの案内板が置かれています。
どんどん登っていきます。
「ファイト!」と励まされるぐらい、結構急な坂道です。足場がそれほど良くないこともあり、短い割には案外たいへんです。
上の方の視界が開けてくると、展望台はすぐそこです。
眼下には広大な志津川湾。目の前には気仙沼線BRTの専用道があり、その時々で変わる海の風景をバックに右に左に走っていきます。
展望台から海を見渡すと、リアス海岸の美しい風景や、盛んに行われている養殖漁業、港に整然と並ぶ漁船など、南三陸町の風土と暮らしを見てとることができ、また、この美しい海が突如として襲いかかった、東日本大震災のことにも思いを巡らせずにはいられません。
12月下旬、登ってみるとこの場所を管理されている方が居合わせたので、少しお話を伺いました(以下、聞いた記憶を頼りに、やや意訳が入っている可能性があります)。
復興支援のために多くのボランティアに来てもらっているが、被災した跡の片付けのような作業は終わっていて、今はみんなで一つの場所を創り上げていく、という活動になっていること。
それは、南三陸町で交流を深めたボランティア同士の集まる場所、にもなっていること。
大仏は被災地の様子を見たミャンマーの方から寄贈されたもので、この場所に運び込むために、山の裏側に車が通れる道を切り開いたこと。
町はインフラの再構築や防災対策に手一杯で、こういった復興事業には手が回っておらず、他のいくつかのスポットも含めて、町民同士の協力で進めていること。
そして、「3月には桜の植樹祭をやるので、宣伝しておいてください」と言われていたのですが、記事にするのが今日になってしまいました。
後で調べてみると、南三陸町の震災の犠牲者842名と同じ数だけ桜を植樹することを目標にしているそうです。
こうした場所をそれこそ千年万年維持していくには、有志の力だけでは限界があり、早晩行政の管理が必要になってくるのではないかと思います。
当面は町民有志やボランティアで整備していくとしても、町としての復興事業が一段落した段階で、行政との連携も必要だろうな、と思いました。
町内に6か所、同じような場所があるそうで、他の5か所のうちの1つは何度も訪れている歌津駅近くの「鎮魂の森」ですが、残りの場所もゆくゆくは訪ねてみたいと思っています。
歌津地区の鎮魂の森についてはこちらをご覧ください。