千葉県の東の端、銚子市内を走る銚子電鉄に「奇跡のぬれ煎餅」と呼ばれるようになったブームがあったのは、ご存知の方も多いと思います。
奇跡のぬれ煎餅 ~小さな煎餅が銚子電鉄を救った~
http://www.choshi-dentetsu.jp/detail/vspot/31
経緯は上記のページに書かれている通りですが、2006年秋、銚子電鉄が資金調達に困窮し、大きな文字で「ぬれ煎餅を買って下さい。電車修理代を稼がなくちゃいけないんです。」というメッセージがWebサイトに掲示されていたことは、まず当時の2ちゃんねる掲示板で急速に広まりました。
ぬれ煎餅の注文の殺到を受けて、当時の銚子電鉄の次長がブログを開設して連日発信を続けたことも評判を呼び、その他の支援活動も急速に広まっていきます。
- 車内に掲出する広告画像の作成
- 広告企画を取りまとめての銚子電鉄との交渉
- 現地訪問と情報発信
- 沿線清掃、美化などのボランティア活動
中にはありがた迷惑なものもあった……というのも振り返ってみれば否めないところもありますが、そうした動きが次第にマスメディアでも取り上げられるようになり、以下のようなブームになりました。
- 直接的支援として、「桃太郎電鉄」のラッピング車が運転された。
- 「銚子電鉄サポーターズ」が組織され、千葉ロッテマリーンズの小林投手が第1号の会員として登録された(実際に多額の寄付をしたとのこと)。この会は計1882万円を銚子電鉄に寄贈し、2008年5月に活動を休止。
- 春にかけての各種旅行商品に、銚子電鉄の乗車やぬれ煎餅体験が続々と組み込まれるようになった。
以前に家族と醤油工場見学などで訪問したり、友人と犬吠埼に行ったりしてそれなりに銚子に縁があった私も、その動きの中でわずかながらの支援をしていて、その中で2回、銚子を訪問したことがありました。その際の記録を場所ごとに分けて書き残しておきたいと思います。
※本記事は2006年12月、および2007年5月の記録になります。
銚子駅にて
大阪から新幹線と特急を乗り継ぎ、久々に銚子駅に降り立った際の写真。
2番線の211系が、今となっては209系に置き換わってしまって見られなくなった存在。どこに行ったんでしょうね。もしかしたらもう廃車になっているかもしれませんが。
今ももしかしたらあまり変わっていないかもしれない、銚子駅構内の案内表示類。
JRの2番線・3番線ホームの先にあった銚子電鉄の駅舎。上には風車が回っていたらしいのですが、老朽化して取り外されていました。
上の写真は2018年のものですが、銚子電鉄の駅舎自体はあまり変わっておらず、ICカードを処理するためのカードリーダーが手前に設けられている点だけが変わっている感じでしょうか。
駅舎の内部。
銚子電鉄の列車が進む仲ノ町方面。醤油工場の施設群に突っ込んでいくような感じです。
3番線ホームには113系横須賀色の姿が。この時はまだ残っていたのですね。
銚子駅前。夜はこんな感じでイルミネーションで装飾されていました。
当時の銚子電鉄の車両
当時の主力車両だったデハ1002。デハ1001、デハ1002がメインで、ほかにデハ801(2019年時点では外川駅で展示されている)、デハ701が稼働していました。
2006年冬の時点ではまだラッピングされていなかったデハ1001と、夏に電車に連結して運転されていたトロッコ車両「澪つくし号」。トロッコ車両はこの後運転されることはなく廃車となったようです。
その後、桃太郎電鉄のラッピングがされたデハ1001。正面は水色一色なのでよくわかりませんが、側面に社長さんや貧乏神などのキャラクターが描かれています。
たい焼き屋があった観音駅
今は犬吠駅に移りましたが、当時は駅構内にたい焼き屋さんがあり、北側の銚子銀座にあった藤村ベーカリー(2016年閉店とのこと)のあんパンや、今も営業している「さのや」の大判焼きとあわせて「あんこロード」と個人的には呼んでいました。
その「たい焼」が強調された観音駅の看板。
観音駅までは平坦な路線を進んできますが、その先は20パーミルの勾配となって本銚子へ向かっていきます。
駅入り口から線路を挟んで反対側に、改札用と思われるブースが置いてありました。
付近のゴミ捨て場として使われていたようでした。
駅舎が改装される前の本銚子駅
駅舎は日本テレビの24時間テレビの企画でリニューアルされましたが、こちらはその前の駅舎。
観音方面へ出発していく列車。
受験期に向けて売り出される、毎年恒例の「合格祈願切符」の当時の宣伝。
駅舎内の待合室には、当時の2ちゃんねるの中で制作された画像がポスターとして掲示されていました。
冷静に見ると誰が誰に向けて作ったものか正直よくわかりませんが、そんなことより、広告費用として少しでも銚子電鉄にお金が入る、ということが重要だったのです。
もちろん、車内にも同じようにポスターが掲出されていました。
本銚子駅の東側には、線路をまたぐ歩道橋があり、そこが絶好の撮影スポットになっています。ただ、私が行った時には、歩道の両側の金網の一部に、カメラにぴったりな感じで開けられた穴があり、とても残念な気持ちになったのを憶えています。
当時の路線の状態
枕木の姿がちゃんと確認できないような路盤。
警標など一部が真新しい踏切(上)と、警標がボロボロに朽ちた踏切(下)。
経営危機の直接の問題は車両検査費用の捻出でしたが、劣化した路盤や枕木、朽ちて交換されていない踏切警標など、いたるところに修繕が必要な個所が見受けられました。
駅舎もいろいろと傷んでいて、後述する君ヶ浜駅もそうだったし、メディアで好んで取り上げられた犬吠駅も、外壁のタイルがボロボロ剥がれ落ちて無残な状態になっていました。
笠上黒生駅のタブレット交換
今も車両が変わっただけで同じように続いているかと思いますが、絶滅危惧種となっているタブレット交換が行われていました。
上下線の列車は運転席が隣り合うようにして停車。
停車したのを見て、駅長が線路に降りていきます。
両列車の運転手が、駅長を介してタブレットを交換。確認を行って完了となります。
今では2両編成がメインのため、このような配置で停車することができず、駅長が両運転席の間を行き来しているようですね。
朽ちたアーチのあった君ヶ浜駅
南国リゾートをイメージして設置されていたアーチ。これも当時は朽ちてボロボロになっており、立ち入り禁止にされた後、ほどなくして撤去されました。
後の記事では、残っている写真を以下のように分けて2つの記事でまとめましたのでご覧ください。
- 君ヶ浜海岸の風景
- 犬吠埼の風景
- 外川・長崎の風景
- 「地球の丸く見える丘展望館」の風景