君と、A列車で行こう。

鉄道とシミュレーションゲーム「A列車で行こう9」を中心に綴るブログ。当面、東北地方太平洋沿岸の訪問をメインにしています。

動画のBGMについて 前編:BGMの選び方

動画を彩り、その演出に大きな役割を果たすBGM。
しかし、使い方を誤れば、役に立たないどころか、邪魔にすらなってしまうものでもあります。


ニコニコ動画で「A列車で行こう」関係の動画を見ていると、BGMの使い方が残念な動画が結構目立ちます。そこで、このエントリーでは、BGMの「選び方」について、動画での表現に慣れていない方を対象に、普段考えていることを書いてみようと思います。
基本的なことしか書きませんので、基本を踏まえたうえで逸脱を楽しめるような、熟練した方は対象外です。ご了承ください。

1.BGMの基本は、「使いたい曲より適した曲」


BGMとはBackground Music、つまり映像の背景ですので、映像に適合したものにするのが基本です。
よく、「気に入った曲を選んで使った」というのを見ますが、自身の好みを基準にするのは二の次です。
まずは、「その場面に適した曲かどうか」をよく吟味すべきです。


どの場面にどういった音楽が適しているか、というのはバリエーションが広すぎてとても書ききれませんが、例えば列車の走行シーン1つとっても、

  • 新幹線などの超特急
  • 在来線の観光目的の特急
  • 在来線のビジネス特急
  • 急行・快速電車
  • 都会の各駅停車
  • 地方ローカル線の各駅停車
  • 昼/夜、晴れ/曇り/雨/雪などの天候の違い

など、列車種別や沿線の特性、そして天候によって、似合う音楽というのも変わってきます。
もちろん、動画の構成に統一性を持たせるために、「走行シーンはこの曲」と決めるのも、良い選択と言えます。


また、場面によっては、BGMをオフにする、という方法も当然ありえます。
例えば、拙作「はるかとラピートが鉄道路線を作るようです」の第1回では、「駅がポツンとあるだけで周りに何もない世界」を表現するために、音楽を使わず、鳥の鳴き声だけを挿入している場面があります。これは別に手を抜いたわけではなく、それがもっとも適した演出であろうと、私なりに考えて行ったものです。


もちろん、場面に適しているという前提であれば、好きな曲、思い入れのある曲を使うのは一向にかまいません。が、その場合も、作者コメントなどで思い入れを前面に出すのは避けたほうがいいでしょう。
あくまで背景なのですから。

2.「何に焦点を当てるか」でBGMは変わる


先ほど、列車の走行シーンのバリエーションをいろいろと提示しましたが、ある1つのシーンでも、何に焦点を当てるかによって、適合するBGMは変わってきます。


例えば、晴れた昼下がり、観光特急に乗って、自然豊かな山の中を、観光地に向かって走っている、というシーンがあるとします。


特急列車のスピード感に焦点を当てれば、速いテンポの、疾走感のある曲が似合うでしょう。
周囲の自然に注目すれば、ゆったりとした、雄大な曲が似合うかもしれません。
観光地に向かうという期待感をテーマにすれば、ワクワクするような曲もいいと思います。
特急列車の「くつろぎ」を表現するのであれば、「G線上のアリア」のようなクラシックすら、候補になりえます。
先ほども例示しましたが、動画の構成上、「開発シーン」と「走行シーン」の対比を明確にしたいならば、シーンの特徴は無視して、「走行シーン用」と決めたBGMで統一するのもひとつの方法です。


したがって、BGMに「正解」といえるものはありません。
何を表現したいかを考えながら、それに合うBGMをつける、という作業も楽しいものです。

3.BGMに避けたほうがよい音源


BGMとはBackground Music、つまり背景になるものであって、いつの場合でも主役にはなりえません。そのため、自己主張が強く、映像の邪魔をするような音源は、原則として避けるべきです。
一例として、音系MAD作品(複数の音を切り貼りして、面白みのあるひとつの作品として仕上げたもの)が挙げられます。


よく見られる大変よくない選択に、「大変な途中下車シリーズ」の音系MAD、例えば、「ナイツ・オブ・ナイツ」などの音楽に、鉄道に関するさまざまな音(機械動作音、アナウンス、ベルなど)を切り貼りして上乗せしたものがあります。
確かに、その動画を見て面白いと思い、人にも聴いてもらいたいという気持ちはわかります。しかし、これらのMADは、音の自己主張が強すぎる上に、映像とのシンクロの上に成り立っている作品であって、音だけ取り出しても、聴く側にはその意味はきちんと伝えられません。


同様に自己主張が強いものとして、ネタ性が強い曲も、そのネタに引っ張られがちになるため、避けるほうが無難です。
ただし、そのネタが、映像やストーリーと効果的に合わさっているなら話は別です。その好例が、新鳩急電鉄の「酒が飲めるぞ〜」でしょう。


また、不快感を与えかねない音楽も、できるだけ避けるべきです。


ひとつは、音痴など歌や演奏が下手な曲です。
「ヘタウマ」と言われるように、映像と組み合わせた作品として、下手な演奏もひとつの表現である場合があります。しかし、音だけを取り出した場合、その意味は他人には伝わりません。ただ、不快感を与えかねないだけの音になってしまいます。


演奏下手のバリエーションとして、ボーカロイド曲も慎重に用いる必要があります。
ボーカロイドが好きだから、ボーカロイドの曲ばかり集めてみました」という考え方には、基本的には賛成できません。
ボーカロイドは、以前と比べて飛躍的に表現力が増したとはいえ、まだまだ人間のプロの歌声には及ぶべくもありません。発音が聴きづらかったり、声が機械的であったり、作曲者が、聞き苦しい高音域を無理に使っていたり、聴き心地を阻害する要素はたくさんあります。
ボーカロイドを使った作品」という制約のもとでは、できのいい、いわゆる「よく調教された」作品は数多くあります。しかしBGMとして使う場合、「ボーカロイドだから」という言い訳は無意味です。ボーカロイドよりも、人間の声で歌われた、同じような曲調の曲のほうが、BGMとしてはよっぽど適合します。


私も「はるかとラピート」シリーズのイントロと場面転換に、ボーカロイドのアカペラを使っていますし、ボーカロイドを一律に否定するものではありません。既存の曲にない歌詞やメロディで歌わせられるというメリットもあります。
しかし、その使用にあたっては、「ボーカロイドだから」という言い訳なしで、一般の音楽として、きちんと聴ける曲であるかどうかをよく吟味してください。


また、ある曲の原曲ではなく、それをアレンジしたり、加工したりした曲を用いる場合、それが原曲を尊重したものであるかどうかにも、できる限り気を配ってほしいと考えています。
アレンジには、いわゆる「原曲レイプ」といわれるようなアレンジもあります。原曲のよさを殺し、自分勝手に改変してしまうようなアレンジを指します。そうしたアレンジは、原曲を知っている人には不快感を与えかねません。
「原曲レイプ」かどうかの判断は、場合によっては音楽的センスが要求される難しいところではありますが、その判断がつかないのであれば、使わないほうが無難であるといえます。



以上、BGMの選択という観点で、長々と書いてきました。



もちろん、上記のようなことを理解したうえで、演出上どうしても必要だからあえて逸脱してやる、というのもありです。そうしてよく考えられたものであれば、効果的な演出になりえる可能性があります。
しかし、自信がないのであれば、無難なBGMでまとめるほうが、下手にマイナスイメージを与えるよりはマシと言えるでしょう。



今回は前編になりますが、後編では、ケーススタディーをもとに、映像とBGMのあわせ方について触れてみたいと思います。