気仙沼線BRTの歌津駅前には、8店舗からなる駅前商店街「南三陸ハマーレ歌津」があります。
震災から9か月後に開業した「伊里前(いさとまえ)福幸商店街」にはじまり、観光交流拠点の機能も持った「ハマーレ歌津」として2017年にリニューアルされたものです。
「はまれ」(仲間になろう)、「浜」、「マーレ」(イタリア語で「海」)に由来するユーモラスなネーミングが印象に残ります。
観光交流拠点となる施設「かもめ館」。
商店街の看板と、建ち並ぶ店舗。看板の奥にはちょっとしたイベントスペースがあります。
店舗部分は、新国立競技場や、鉄道でいえば西武鉄道の「旅するレストラン 52席の至福」でおなじみの隈研吾氏のデザインによるもの。同じ南三陸町にあるもう一つの復興商店街「南三陸さんさん商店街」と共通する、張り出した庇によって形成される縁側に特徴を持たせているそうです。
初めて訪れたのは昨年(2019年)の12月終わりの時期で、朝に東京を出て一ノ関から気仙沼へ、そして昼頃にこちらに到着しました。
南三陸町は、チリ地震津波がきっかけでチリとの交流が始まり、それに由来するモアイ像が町の名物になっています。この商店街では木彫りのモアイ像があちこちに置かれていました。
ぷりぷり牡蠣が美味しい!カキ天丼
昼食は、この商店街で唯一の定食屋となる「うたつがね」さんを訪ねました(他に、カフェや居酒屋があったり、衣料品店で飲み物を出してくれたりします)。
注文したのはおすすめメニューというカキ天丼。三陸名産のカキはプリプリかつ身が締まっていて食べ応え充分。それが4粒と、野菜等の天ぷら三品が山盛りにされた天丼。魚のダシがおいしいあら汁、そしてこれも三陸名産のめかぶと、三陸らしい料理を堪能できて大満足でした。
「奇跡の」フラッグ
時系列が前後しますが、昼食の前に、以前から車窓で気になっていたものを見てみることにしました。
商店街のBRT側に、何本ものカラフルな旗が並べられているのです。
水たまりを見たら鏡と思え、という感じで、カメラを水面ぎりぎりに近づけて水鏡にして撮影。
風が結構強くて、旗がはためいているのですが、それでいて水面には風が当たらず波立たないという、願ってもない状況でした。
さて、この旗はJリーグ各チームのフラッグなのですが、なぜここにJリーグの旗が? と思って調べてみると、そこには復興にまつわるストーリーがあったのでした。
要約すると、2011年12月に復興商店街ができ、その後、一時期は大漁旗を借りて飾ったものの、それは漁師さんに返却する必要がありました。
そこで、大漁旗の代わりに飾るものが欲しい、Jリーグやプロ野球球団のようにカラフルなものがいい、ということをツイートしたところ、Jリーグ各チームのサポーターが旗を持ち寄ってくれたそうです。
上の記事を読むと、その時の興奮が伝わってきます。
「奇跡のフラッグ」という言葉には若干違和感を感じますが、それだけ、応援してくれる人たちがいるのがとても嬉しかったということなのだと思います。
あれから何年もの時が流れ、復興の興奮の時期は過ぎ去りました。防災やインフラ整備はまだまだ終わりませんが、人々の暮らしとしては、立て直した日常を着実に営んでいくという時期になりました。
今、掲げられている旗の中には、風雨にさらされて傷んでいるものもありますが、それでもずっと掲げられているのは、当時受けた応援を忘れないようにしたい、ということなのだろうと思っています。
イルミネーションツリー、そして夜のとばりへ
商店街を離れ、近くの神社の石段へ記事冒頭の写真を撮りに行った後、戻ってくるとすっかり日は沈んでいました。
かもめ館の隣の樅の木にはイルミネーションの装飾がされていました。
とはいえ、商店街は続々と店じまいをはじめ、もう訪れる人もいません。
夕食はまたうたつがねさんでいただこうと思ったのですが、行ってみると、10人ほどで2つの鍋を囲む貸し切り状態だったので見送りました。なんとなく、歌津に住む老夫婦のところに子どもさん、お孫さんが帰省してきて、みんなで食事をしている、というような感じのとても心温まるシーンでした。
観光機能を持たせているとはいえ、あくまでもともと地元にあった店が、震災後も地元の人のために営業している商店街なのです。
歌津は星がよく見えます。適当にカメラを置いて長時間露光をするだけで、これぐらいの星空になります。
歌津に限らず、復興が進むところは町明かりが少ないので、星が見えやすいのかもしれません。
一度、もっとちゃんとした形で星空を撮ってみたいな、と思っています。
気仙沼行きのバスに乗って、この日の活動を終了。ヘッドライトに照らされて輝くガードレールが印象的なシーンでした。