
- とにもかくにも、巨大な祝祭をやり遂げた
- 愛・地球博から20年。「何気ない平穏な日常」を大切にするようになった
- 終わった万博。しかし成果や課題の検証は必要
- ひとまずはお疲れさまでした。そしてありがとうございました
とにもかくにも、巨大な祝祭をやり遂げた
2025年4月13日に開幕した大阪・関西万博は、184日間の会期を終えて10月13日に閉幕しました。
いろいろなことがありましたが、閉幕を迎えてまず思うことは、とにもかくにも、万博という巨大な祝祭をやり遂げた、ということです。
万博を祝祭と表現することが正しいのかどうかはよくわかりませんが、私が会場にいて感じた印象はまさに祝祭でした。
3年前の10月25日、万博のイメージとして動画が公開されていました。
この動画では、最後に会場周辺に無数の花火が打ち上げられます。

最初にこの動画を見た時、「画面が寂しいからといって、現実には存在し得ないような派手な花火で画面中を装飾するのは、ありがちで便利な手法だけどちょっと違うんじゃないか」みたいな印象を持っていました。
でも、実際に会場にいると、デザインに工夫を凝らしたパビリオンが会場を彩り、ポップアップステージや各パビリオンのステージでさまざまな音楽や舞踊が繰り広げられる。人々は往来してそれらを楽しみながら、世界中の食べ物を味わい、思い思いの時を過ごす。それはまさに巨大な祝祭空間であり、まるで無数の花火が空を彩るような華やかな場所だったのです。


(右)オープニングイベント「Physical Twin Symphony」(2025年4月18日)


(右)サンマリノ共和国ナショナルデー公式式典(2025年5月3日)




(右)ポーランドパビリオン主催のショパン・ガラコンサート(2025年8月31日)


(右)大阪ヘルスケアパビリオン(2025年9月25日)
1964年の東京でオリンピックの後の1970年の大阪万博。そして、2021年の東京オリンピックの後の2025年の大阪・関西万博。東京のオリンピックの後に大阪での万博、というパターンが繰り返されたので、なんとなく、イベントのレベルとしてはオリンピックの方が上位で、万博は2番手というイメージがありました。
でも、2024年のパリオリンピック・パラリンピックのチケット販売枚数が約1,300万枚だったのに対し、大阪・関西万博のチケット販売枚数は約2,200万枚。映像での全世界への配信という大きな違いはありますが、現場に動員した人数で言えば、おそらく万博の方が圧倒的に上なのです。大阪・関西万博は、万博の規模としてはそこまで大きくはないと言われますが、他のイベントに比べれば圧倒的に大きなものです。それをどうにかやり遂げたのです。
愛・地球博から20年。「何気ない平穏な日常」を大切にするようになった
前回、日本で万博が開催されたのは2005年の愛・地球博でした。
その後に2008年のリーマンショックに端を発する不況、2009年の民主党政権の誕生と失望、2011年の東日本大震災、そして2020年からのコロナ禍といったできごとを経て強まっていったのは、「何気ない平穏な日常こそが大切」「平穏を妨げるような変化など望まない」という風潮だったのではないかと思っています。おそらく私もその1人でした。
「朝起きられてえらい」「顔を洗ってえらい」「ご飯食べてえらい」と、平穏な日常を全面的に肯定してくれる漫画「コウペンちゃん」が流行ったのも、そういった風潮と無関係ではないでしょう。
2021年に開催された東京オリンピック・パラリンピックが激しい反対の声に晒されたのも、もちろん現実に開催ができるのかという観点もあったでしょうが、コロナ禍で日常を守るので精一杯という中、そこから遊離したような巨大なイベントに対する反発ということも強くあったはずです。
東京オリンピック・パラリンピックは結局、ほぼ無観客での開催を余儀なくされた上に、その後に汚職まで発覚し、日本人はイベントの成果を享受するどころか、ますます背を向けるようになっていきます。札幌が進めていた冬季オリンピックの誘致も、機運が高まらずに断念せざるを得なくなりました。
そして標的となったのが大阪・関西万博でした。隣接地に整備される、カジノを含む統合型リゾート(IR)とセットにして叩かれたのは、どちらも日常から乖離しているということが大きかったのだろうと思います。
終わった万博。しかし成果や課題の検証は必要
もし、大阪・関西万博が成功裡に終わったということになれば、そうした「変化を否定する空気」の打破につながるのかもしれません。
今のところ、そう言いたい気持ちはあるのですが、東京オリンピックの汚職が終了後だいぶたってから発覚したように、成功したと言えるのはまだ先だろうと思います。
万博の成果や運営に対する検証、未解決の問題として残っている業者間の未払いの件、建設した大屋根リングやパビリオン等の再活用など、万博の課題はまだ残っています。
今はなんとなく成功したかのような雰囲気になっていますが、もし文春砲がクリティカルヒットするなどしたらいっぺんに空気は変わるはずです。
残っている課題が一段落して、すべてがまずまずいい形で終えられたら、成功した万博だったと言えるのではないかと思います。
ひとまずはお疲れさまでした。そしてありがとうございました
とはいえ、個人的にはこの半年間、40回ぐらい会場に足を運び(半分ぐらいは仕事終わりに夜からでしたが)、1日たりとも物足りないような日はなく、簡単には語り尽くせないとてもいい経験をさせていただきました。
誘致の動きが始まったのは2014年から2015年にかけての頃。大阪が開催地に選ばれたのが、7年前の2018年11月23日。そして184日間の会期。そのすべてに関わられた方々に感謝します。
2025年日本国際博覧会、通称は大阪・関西万博でしたが、大阪や関西だけで成し遂げたのではなく、会場やパビリオンの建設にご協力いただいた方々、イベントの開催のために大阪を訪れてくださった多くの方々、バス輸送に駆けつけてくださった各地の事業者など、日本の力を結集して成し遂げたものだと思います。
このブログでは引き続き、まだ中途半端になっている各パビリオン等個別の振り返りの他、いくつかの論点についてのまとめ的な記事もできれば書いていきたいと思います。


