4月13日、2025年大阪・関西万博が開幕を迎えます。
何の因果か万博の開催を地元民として迎えることになり、さあどうしようかと思っていましたが、10月13日までの会期中、いつでも入場できる「通期パス」を購入し、できるだけ万博に通ってみることにしました。
幸いなことに気軽に行ける距離なので、やろうと思えば、平日の夜、仕事終わりから行って、1つ2つパビリオンを見て帰ってくるということもできます。
遠方の方はなかなか訪ねる機会もないだろうし、絶対に万博には行かないと決めている方もおられるでしょう。万博のパビリオン等の施設はすべて、テーマである「いのち輝く未来社会のデザイン」を踏まえ、それぞれの設計者や運営者の思想が込められているものなので、そういったものをできるだけ汲み取りながら、自分なりに感じたことを伝えられればと考えています。
「未来」を提示するのが難しい時代
大阪・関西万博は同じ大阪で55年前に開催された大阪万博とよく比較されますが、高度経済成長の真っただ中、物質的な進歩が目に見えてわかりやすかった時代とは違い、今は万博の意義をわかりやすく提示するのが難しい時代なのでしょう。
まだ海外旅行もそこまで普及していなかった55年前とは違い、今は行こうと思えば世界のだいたいのところには行くことができるし、逆に世界の人々がたくさん日本を訪れています。そして、インターネットで世界中の様々な情報を知ることができます。そもそも世界中のものを物理的に1か所に集める必要があるのか、という点がまずあるでしょう。
また、万博が提示する可能性について、これまでのさまざまな情報に接する限りでは、今回の万博で2つ大きなジャンルがあるとすれば「AI」と「持続可能な社会」だと思います。
AIは2次元のデジタル映像での表現には多用されているものの、モノを動かすという意味では発展途上で、例えば今回の万博でも、会場までのシャトルバスや会場内の周遊用バスの中で、自動運転バスの導入はごく一部にとどまっています。まだ、万博という形態との相性はいいとは言えません。
「持続可能な社会」については、おそらくいろいろな手法や可能性が提示されるだろう反面、半年間という短い期間で大規模な建物をいくつも作っては壊すという万博のあり方がそもそも矛盾している、という指摘も当たっていると思います。
本来は、もう1つの目玉として「モビリティの進化」があるはずでした。無人の自動運転バスが、会場内の輸送や会場へのシャトルバスとして行き交い、空飛ぶクルマも輸送手段として活躍し、水素燃料電池船が大阪市内と会場を結ぶ水上輸送手段として実用化されるというような理想像がありました。
でも、自動運転バスはわずかな台数で、運転士を乗せた運行にとどまり、空飛ぶクルマはデモンストレーション飛行を行うのみとなり、水素船はかろうじて商用運行は実現したものの、わずかな距離で片道3000円という、とても実用的とは言いがたい設定になりました。ある意味、日本の最先端技術の限界点を露呈させるような形となっています。
さらに、今の日本人にとっては、未来とは必ずしも明るいものとは限らないということもあります。予測以上の速度で進む人口減少や少子高齢化。近い将来に発生する可能性が高いとされている南海トラフ巨大地震や首都直下地震。福島第一原発事故の後始末としての廃炉作業。いずれも55年前にはなかった重大な課題です。
そうした難しさの中で行われる万博とはどういうものなのか。これを見届けることに意味はあるのではないか、という気がします。
見ないままで語りたくはない
そもそもなぜ万博を招致したかと言えば、大阪府・大阪市としてはIR(一部にカジノを含む統合型リゾート)と並ぶベイエリア開発の一環であり、国としては、1964年の東京オリンピック後に発生したような建設需要の急減による不況を再度招かないよう、2020年に開催されるはずだった東京オリンピック・パラリンピックに続く大規模プロジェクトを用意したいという意向もありました。
IRの実施計画に対する国の認可が大幅に遅れたことや、コロナ禍でオリンピック景気も不況も全部吹っ飛んだことで、当初思い描いていた展開とは大きく変わってしまいました。当初は2024年開業を目指していたIRが、万博の後に整備される流れになったことで、「IRのための万博」という、事実とは異なる批判もされるようになりました。
また、コロナ禍や労働時間規制の影響もあって建設業や運送事業者の人手不足が顕在化したこと、ロシアのウクライナ侵略がきっかけとなった世界経済の変化による物価高騰が直撃したこと、これらが海外パビリオンの建設遅れや開催費用の増加といった形で2023年に表面化し、一斉に批判を浴びることになります。2021年に延期された東京オリンピック・パラリンピックが、コロナ禍でもどうにかやり遂げたというところで終わっていればよかったのですが、開催後に発覚した汚職によって、こういった大規模プロジェクトに疑念の目が向けられるようになったことも痛手でした。
さらには、大阪の政治的な特殊性も万博が批判にさらされる一因になりました。
ご存じの通り、大阪府や府下の自治体では地域政党「大阪維新の会」の首長が多く、大阪府・大阪市・堺市では議会の過半数も占めています。その勢いで、国政政党「日本維新の会」が兵庫県や奈良県などにも勢力を広げようとしています。
要は、国政における自公連立政権が大阪における大阪維新の会であり、国政において政府与党が浴びせられるのと同じような攻撃が、大阪維新の会にも浴びせられているということです。維新が選挙で推薦した兵庫県の斎藤知事をめぐる内部告発の問題をきっかけに維新への批判がさらに大きくなり、万博も漏れなく被弾することになってしまいました。
こうして書き出してみると、万博が多くの批判を受けているのは、
- 万博の現代的な意義を提示するのが難しいこと
- 国としての開催意義(五輪不況の回避)が吹っ飛んだこと
- 隣接地にIRが計画され、それが大きく遅れたために反カジノの標的になったこと
- 人手不足や物価高騰という構造的な急変が直撃したこと
- 東京オリンピック・パラリンピックの汚職によって、大規模プロジェクトに疑念の目が向けられるようになったこと
- 大阪における維新対他政党という構造の中で、兵庫県の問題をきっかけに維新への批判が高まったこと
といった理由が挙げられます。だいたいは万博にとってはとばっちりとも言えるような状況でありながら、それらを跳ね返せるほど、万博自体の意義をアピールするのも難しかったということなのだろうと思います。
正直なところ、私もこの万博にどれだけの意義があるのかというのは現時点ではよくわかっていません。ただ、4月5日・6日の一般招待のテストランに参加した人は概ね好意的な感想を残していて、行けば何かしら有意義な体験が得られるのだろうと思っています。見てもいないものについて的確に書くのは難しい。やはり、何を語るにしてもしっかり見た上で書きたいと思います。
万博をじっくり見届けることができるのも、近隣に住む者の特権でしょう。ひと頃よく言われたことですが、開催にかかる費用について、国民・大阪府民・大阪市民として三重の負担をしているわけだから、そのぐらいの役得はあってもいい気がします。
そんなわけで、今後半年間の会期中は、「大阪・関西万博」カテゴリにて万博を記録していきたいと思います。