君と、A列車で行こう。

旅行などで訪問した場所に関することを綴るブログ。鉄道などの交通に関することが多めです。主にX(旧twitter)では書きにくいような長文を書きます。当面は大阪・関西万博がメイン。かつてはシミュレーションゲーム「A列車で行こう9」のことをメインに書いていました。

映画「サンセット・サンライズ」と三陸沿岸での165日(がっつりネタバレ)

三陸沿岸の日の出(2020年1月1日、宮城県南三陸町

東京のサラリーマンがコロナ禍によってリモートワークとなり、これを機会に南三陸へ移住してみることにした、というところから始まる映画「サンセット・サンライズ」が、今年1月17日から公開されていました。

wwws.warnerbros.co.jp

原作は楡周平さんの同名の小説で、宮藤官九郎さんが脚本を手掛け、監督は岸善幸さん、主演は菅田将暉さんです。

映画は普段めったに見ないのですが、この映画の撮影が宮城県気仙沼市岩手県大船渡市で行われ、どちらもよく訪ねている場所ということもあって、なんとか時間を作って見てみました。

ネタバレしない範囲での感想は先に下記の記事で書きました。

a-train.hateblo.jp

要点としては、

  • この映画が特に刺さりそうなのは三陸沿岸の地元の方々と、主人公と同じ目線で三陸のことをよく知らないという方々ではないか
  • 私はこれまでの約6年間でのべ165日、三陸沿岸を訪ねていた日があって、その中でいろいろな体験をしたり考えたりしていたので、映画が提示していたものにあまり新鮮な驚きや発見がなかった

ということでした。

この記事では、その165日で経験したり考えたりしたことも含め、がっつりネタバレを含む感想を書きたいと思います。

(ですので、ネタバレを回避したい方はここで引き返すことをお勧めします

2月20日に映画を観て、数日後には6割ほど書いていたのですが、2月26日に、この映画のロケも行われた岩手県大船渡市で大規模な山林火災が発生。ずっとライブカメラを見て心を痛めているうちに日が経ち、その後もいろいろと忙しくてなかなか続きが書けませんでした。

映画の中のさまざまな出来事は記憶していても、時系列があやふやになっている部分もあります。セリフなどの劇中の表現もうろ覚えで、映画と一致しない記述があるかもしれませんが、多少は大目に見ていただければと思います。

 


モモちゃんの幸せを祈る会

三陸沿岸にある宇田濱町(という架空の自治体)の空き家に移住することになった主人公の西尾晋作(演:菅田将暉さん)が、「釣った魚と焼酎を交換します」という貼り紙に釣られて入った居酒屋にたむろしているのが、店主を含む4人組が自称する「モモちゃんの幸せを祈る会」です。

「モモちゃん」というのは、宇田濱町役場の職員で、町内に30戸あるという空き家問題の担当になった関野百香(演:井上真央さん)のこと。自身も比較的新しい空き家を持っているということで、手始めに家賃を月6万円に設定してネットで入居者を募集したところ、晋作がすぐにそれに食いついてきたのです。

「可憐なヒロインを取り巻くオッサンたち」みたいな設定は何となくクドカンらしいな、と思っていましたが、やはり原作では、個々の登場人物はいるものの(全員いるのかどうかは不明)、「祈る会」という設定はないようです。

この「祈る会」の活動の主旨をまじめに書くと結構重い話になってしまうので、最初はユーモアを混ぜて軽く見せるあたりは宮藤さんのセンスなのかな、と思いました。

コロナ禍と地方の警戒感の重ね合わせ

新型コロナウィルスが蔓延し、厳重な感染症対策が実施されていた時期をドラマとしてどう扱うか、いろいろな試みがされています。

とても印象に残っているのは、NHK仙台放送局が制作した宮城発地域ドラマ「ペペロンチーノ」です。2021年3月、震災から10年ということで集まった人たちの中で、一人だけマスクを着けていない人物がいて、それが物語の重要な伏線となっていたのでした。

コロナ禍の初期、感染者が都市部を中心に発生していた頃は、「地方はまだ医療体制が整っていないのだから、都会の人間は地方に行って迷惑をかけるな」みたいなことも言われたりしていました。

この「サンセット・サンライズ」の前半は、都会からの移住者に対する地方の人々の警戒感が描かれていますが、下手に描くと閉鎖性というか排他性というか、ネガティブな面が強調されてしまうかもしれません。そこにコロナ禍の風潮や「ソーシャル・ディスタンス」「2週間の自主隔離」といった当時の感染対策を重ね合わせて、「消毒液をいきなりぶっかける」というコミカルな表現も混ぜつつライトな見せ方にしようとしたのかな、という気がします。

2020年3月、大船渡市で行われた東京オリンピック関連イベントでの感染症対策

「残置物」と「瓦礫」

主人公の西尾晋作が勤めている、シンバルという大企業が参画して始まった空き家プロジェクト。近くに一人で住んでいた高齢の女性が急死してしまい、空き家となった家を改装して活用しようと、晋作と百香は遺族に家を案内してもらいます。

家に残っている家具や道具などの「残置物」について、最初は「全部捨てちゃってください」と言っていた遺族の男性。でも、家のそこかしこに家族として暮らしていた頃の思い出が残されているのを改めて確認し、やっぱりこのまま残しておきたい、年に1~2回、帰省してこの家に泊まるぐらいでいい、と心境が変化します。

とはいえ、使わなくなった家はすぐにダメになってしまう。そこでなんとかしたいと考えた晋作は、「思い出は可能な限り残す。そして、たまに家主が使う時は入居者には出てもらう」という意外な提案をして受け入れてもらうことになります。

ここでいう「残置物」という言葉には、震災の「瓦礫」という言葉と似たニュアンスがあるなと思いました。

気仙沼市には、リアス・アーク美術館という博物館的な役割を兼ねた美術館があり、震災後の2年間、学芸員が被災状況を調査してまとめた資料を中心とした「東日本大震災の記録と津波の災害史」という常設展示があります。

rias-ark.sakura.ne.jp

そこでは、「被災した人は『被災者』と呼ぶのだから、被災したものは『瓦礫』ではなく『被災物』と呼ぶべき」という考え方が示されています。

展示の中でも、物的資料については単に物を展示するだけではなく、その資料にまつわる被災者の記憶を抽出したようなテキストが付けられていて、単なる物ではないということが強調されています。

いくつか、「リアス・アーク美術館常設展示図録 東日本大震災の記録と津波の災害史」(2017年、リアス・アーク美術館)より引用させていただきたいと思います。

記憶……≪ガレキ≫

瓦礫(ガレキ)とは、瓦片と小石とを意味する。また価値のない物、つまらない物を意味する。

被災した私たちにとって「ガレキ」などというものはない。それらは(略)大切な家であり、家財であり、何よりも、大切な人生の記憶である。例えゴミのような姿になっていても、その価値が失われたわけではない。(略)大切な誰かの遺体を死体、死骸とは表現しないだろう。ならば、あれをガレキと表現すべきではない。

記憶……≪被災物≫

被災した人を被災者と呼ぶように、被災した物は被災物と呼べばいい。ガレキという言葉を使わず、被災物と表現してほしい。

この「被災物」の概念は一般的に広く共有されているわけではありませんが、近隣の震災伝承施設では、同じように「被災物」の言葉が使われているのを見ることができます。また、宮城県の女川町では、同じ意味で「我歴」という文字を当てている人もいます。

「家」についての記述も、この映画で描かれている空き家(百香が持て余していた空き家も含めて)について考える上でも参考になると思います。

家……≪家≫

(略)東日本大震災津波によって、多くの人々が家を失った。それは「住む場所としての建物を失った」というだけのことではないのだ。

家は、その家がある場所とその一帯、家族や友人と共に日々営まれる暮らしなどが全て融合し、積み重なってできている。(略)

家には記憶が宿っている。その記憶は家そのものと、家に納められていた様々な物と、周辺の環境と、そこで積み重ねられた時間でできている。家を失うということは、そういう記憶の拠り所を失うということである。

空き家プロジェクトを進める中で、空き家をリストアップして保存状態でABCのランク分けをしたところ(Aがもっとも保存状態がよく、すぐにでも住めるような状態)、B判定された人が激怒して役場で暴れるという場面がありましたが、保存状態という理屈ではなく、上記のような家が持つさまざまな蓄積をランク付けされたような、そういった感覚だったのかもしれません。

リアス・アーク美術館にはこれまで2020年と2022年の2度訪ねたことがありますが、震災について知る目的があって気仙沼を訪ねるのであれば、必ず行くべき場所だと思っています。

(左)リアス・アーク美術館の外観(2022年3月)
(右)リアス・アーク美術館常設展示「東日本大震災の記録と津波の災害史」より

クライマックスの芋煮会。そもそも三陸沿岸で芋煮会はメジャーなの?

「モモちゃんの幸せを祈る会」の居酒屋の店主・倉部健介(演:竹原ピストルさん)が、モモちゃんの幸せのために「『祈る』がダメなら『芋る』だ!」と開催した芋煮会が、この映画のクライマックスになります。

そこになぜか、シンバルの空き家プロジェクト担当社員もついてきています。

芋煮会については公開直後に行われた舞台挨拶でも触れられているので、あわせてごらんください。

www.nhk.or.jp

まずちょっと疑問なのは、三陸沿岸で芋煮はそんなにメジャーなのか、というところです。というのは、個人的な経験で言えばこの6年間、宮城や岩手で一度も芋煮を食べたことがないからです。

上の記事によれば、宮藤さんは子どもの頃によく川辺でやる芋煮会に連れていかれたそうですが、宮藤さんは栗原市の出身であって沿岸ではない。芋煮は県ごとの具材の違い(特に宮城と山形)が話題になりますが、県の中でも地域によっていろいろ違いがあっても不思議ではありません。

岩手県では「いもの子汁」というそうですが、農林水産省によればその伝承地域は「北上川流域」とされています。それは昔からさといもが作られているからだそう。考えてみれば、芋が取れるから芋煮にするのであって、芋が取れない地域であえて芋煮を作る理由もありません。

www.maff.go.jp

もちろん、今はどこでも芋は手に入りますから、芋煮を作って食べることも当然あると思いますが、「腹を割って話す場」として定着しているような、地域の食文化とまでは言えないのでは……? という感じもします。でも、実際は私が体験したことの幅が狭かっただけかもしれないので、何とも言えないところはあります。

それはさておき、この芋煮会では、物語の核となる重要な内容がいくつか語られます。

ただ宇田濱が好きで、百香さんが好きで、その他のことはどうでもいい。ついでに言えば、震災だってどうでもいい

「震災だってどうでもいい」は、「あ、それ言っちゃうんだ」と思ったし、劇中でも直後に「それは芋煮会でも言っちゃいけないヤツ」と突っ込まれていた言葉。

震災から14年という時期だからこそ意味がある言葉かもしれません。

この映画の劇中の時期とだいたい同じ2020年5月、コロナ禍の緊急事態宣言で県外に出ることができなかった時期ですが、観光客として震災があった地域にどう向き合えばいいか、と考えたことを書いたりしていました。

a-train.hateblo.jp

要旨としては以下のようなことになります。当時はまだインフラの復興工事があちこちで進んでいたので、その影響もだいぶあります。

  • 他の観光地と同列に扱う。「被災地だから遠慮した方がいいのでは」ということを考える必要はないし、逆に「震災の被災地をちゃんと見ておくべき」という押し付けもふさわしくない。
  • 震災はその土地の歴史の一部と考える。復興が進む町は、未完成なのではなく今日この時点での完成形。そして今後も変化していくもの。
  • 現地の人とは一線を引く。どうやっても今さら同じ体験はできないのだから。

晋作がこの後、「震災のことを持ち出されると、どうすればいいかわからなくなる」と戸惑いを語っていたのですが、たぶん同じような戸惑いに対して、自分なりに答えを出そうとしていたのだと思います。

ひとつ付け加えるとすれば、私にとっては、三陸沿岸の地域の今の姿が好きなのであって、震災前がどうだったかはわりとどうでもいい、ということもあります。むしろ、震災後に今の感覚で作り直された町があるからこそ、新しい町と以前から受け継がれるものが融合している豊かさに魅力を感じます。

その土地に暮らし続けた人には、震災前の地域のあり方を懐かしく思ったり、まるで変わってしまった現状が寂しくなったりということはあると思います。それは絶対に否定はできません。でも、今の地域のありようは外から見てとても魅力的で、だからたくさんの人が訪ねてきているのだから、決して卑下しないでほしい、とも思っています。

ただ見てればいい。ただ来て、おいしいもの食べていくだけでいいんじゃないか

戸惑いを告白した晋作に対して、芋煮会を主催した倉部が言った言葉(※うろ覚え)。

これに続くのが、次のようなセリフです。

自分たちはずっと、東京で作られたもので暮らし、東京のことを見てきた。でも東京の人が自分たちを見ることはなかった。まずは見ることから始めたらいいんじゃないか。

この芋煮会に招かれたシンバルの社員が、最初の雑談の中で「東北6県ってどこだっけ?」という話をして、正しく言えなかったというシーンがガツンと効いています。

ただ見てるだけ、おいしい物を食べていくだけ、というのは私が三陸沿岸を訪ねる時のスタンスそのもので、ああおんなじこと言ってるなあ、などと感じたのですが、そのスタンスに至るまでにいろいろ考えたこともあったのです。

気仙沼市、大船渡市、陸前高田市のおいしいものの数々

最初は、被災から立ち上がり、復興に向けて頑張っている地域の様子を見て、何か役に立てることはないかと思っていました。

でも、どう考えてもそんなものはない。役に立つような技術も知恵も経験も、何一つ持ち合わせていないのです。それに、今がそうであるように、いずれは遠く離れざるを得ないだろうということも見えていました。

だからといって、それをネガティブに捉える必要もない、とも思いました。被災地のために直接役に立てることはなくても、平日1日8時間の仕事をして、小さくても社会に役立つことをしている。そして親の面倒を見る必要が出てきたらちゃんと見る。それを恥じる必要は何もないはずです。

一方で、「ただ見てるだけ」というところから安易に踏み込まないのも大事だと思うようになりました。

恥を忍んで書くと、確か3年半ほど前、三陸沿岸の某所でバス停のベンチの下にゴミがたくさん放置されているのを見て、写真を撮ってSNSにアップしたことがありました。でも、その後ずっとモヤモヤして、結局1時間ぐらいで削除しました。

その時の自宅のそばには、明け方まで営業している居酒屋があって、そこで泥酔した人が歩道にもんじゃを残していくということも珍しくなかったのです。それをいつもスルーしていながら、なんで旅先で見たささいなことをあげつらったりしているんだろう。そう考えるととても恥ずかしくなったのです。

だから人のことは言えないのですが、各地域が抱える問題が報じられると、無責任な立場から居丈高な意見を書いたり、何ならその問題にかかわる人を攻撃したりするような風潮がずっとあるのは、あまり良くないことだと思っています。

外部の人間の無責任な言動が、その地域の人たちを傷つけるということはよく言われていることです。そういったこともあって、「ただ見ているだけでいい」と抑制をかけておくことも必要なのだろう、と思います。

芋煮会の謎のオチ。そもそもなぜ「シメジのない芋煮汁」だったのか

シメジを忘れてしまい、「味が締まらない」と言っていた芋煮汁。晋作たちが本音を吐露しあった後、なぜかクマがこっそりその場にやってきて、寝ていたシンバルの社員を横目に、口に咥えたシメジを鍋に落として去って行ったのです。

そして、参加者はみんな、なぜシメジがあるのか不思議に思いつつも、味が整った芋煮汁を喜んで賞味したのでした。

ここがなんか全然腑に落ちなくて、なんでこんな話にしたんだろう、ということを考えていますが、未だによくわかりません。

そもそも、「シメジのない芋煮汁」に何か意味があるのかといろいろ深読みしていたので、なんか拍子抜けしたというような感じもありました。

芋煮会のシーンは原作にはないそうなので、脚本の宮藤さんのネタのセンスということになるのでしょうが、単純にそこについていけていないのかもしれません。

勝手に深読みしていた内容を吐露してしまうと、震災の被災地では、復興のあり方や現状についていろいろと言われたりします。例えば防潮堤のあり方のことや、浸水被害を受けた中心市街地に空き地が多くあること、災害公営住宅や集団移転地域でのコミュニティづくりが難しいことなどです。

でも、そもそも何の問題もない完璧な復興なんてあり得ないと思うし、被災地以外には何の問題もないかというとそういうわけでもありません。例えば空き地の問題は、もちろん被災地特有の事情もありますが、他の地域では空き家の問題や、シャッター商店街の問題として語られることとある程度共通しています。

町の姿が完全に満足できるものではないということと、その町が好きだということは矛盾するものではありません。晋作が「宇田濱が好き」だと叫んだことと、味が整わない芋煮汁が何かそんな感じで絡むのかな……? などと思いを巡らしていたのでした。

感情が迷った最後の展開。でも考え直してみると

芋煮会の後はエンディングに向かう流れ。結局、晋作が一度住んだ百香の空き家に今度は永住し、関野家と一緒に暮らすことになります。

「それぞれが自分のことを考えた結果」として、晋作と百香は籍を入れず、百香の義父である章男とも、形としては養子であるものの実質的な親子関係はなく、三人とも独立したような形で一緒に暮らすということのようです。

この物語の結末がどうなるのかと考えた時、晋作が意図せず「百香さんと結婚して……」と言ってしまった流れでプロポーズした段階で、そのまま勢いに任せてすぐに結婚するのもありだと思ったし、その後、晋作が東京に戻り、百香も役場で仕事をしているシーンでは、「1年間のお試し移住の記憶」として、余韻を残した形で終わるのもありかと思っていました。

でも最後は、新型コロナが5類に移行し、町長選挙で新しい町長が誕生した頃、百香がまた家賃6万円で空き家の入居者を募集し、晋作がまた同じように食いついて一緒に暮らすことになるのです。

いろいろ振り回されて感情の置きどころに迷ってしまうような感じがしたし、なんだかんだやって結局一緒に暮らす結末というのは、晋作が勢いでプロポーズした時の百香のセリフにある「そこは普通なんだね」「みんなありきたり!」というようなことを感じてしまいました。

でも、この記事を書きながら考え直したことがあります。

最後の晋作と百香の形は、上の方で書いた「現地の人とは一線を引く」ということだったのかな、と。百香が大切にしている震災前の記憶の領域に、無理に踏み込んでいくことはしない。一線を引きつつ寄り添うというのが晋作の選択であり、そのことを描くためにこの結末に着地させる必要があったのかもしれません。

まとめ

長々と書いてきましたが、結局、いろいろと経験をしていた分、エンタメとして純粋に楽しめなかった面はあるかもしれません。一方で、自身の体験や考えたことと重ね合わせて見たり、こうして文章を書いている間にも新たな気づきがあったりして、そういう意味では有意義だったと思います。

1度目は手探りで見て、なんか波長が合わなかった点を感じたら、周波数をアジャストしてもう1回見てみる、というようなこともできると思います。ただ、熱心な映画ファンのように何回も見に行くという習慣がないので、その辺は録画したり見逃し配信で繰り返し見られるテレビドラマとはちょっと違いますね。

前の記事にも書いた通り、変に予備知識がなければ、三陸の風景やグルメへの驚きもあり、後半の展開に考えさせられることもあり、とても有意義な映画だろうと思います。

気仙沼市の観光施設「海の市」では、映画「サンセット・サンライズ」展が6月末まで実施されています。

開催されている頃に訪ねたいとは思うのですが、今は遠出が難しくてちょっと無理そうなのが残念です。

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