宮城県北東部の前谷地~気仙沼間を結ぶJR気仙沼線は、東日本大震災以降、鉄道での運行は前谷地~柳津間のみとなり、そこから北、気仙沼まではBRT(Bus Rapid Transit=バス高速輸送システム)での運行となっています。
その境目となる柳津駅は、登米市津山町の観光物産館「ゆうキャビン」と一体となった駅舎で、ログハウス風の木のぬくもりを感じます。
中には窓口があり小さな待合室がありますが、そこにかつての気仙沼線の写真や、震災後のありさまを収めた写真が展示されていました。
被災した気仙沼線とBRT専用道化
被災した気仙沼線の写真は縦に並べて展示されていたので、上から順に紹介します。
上2枚は陸前小泉駅付近。


1枚目で言及されている「長い鉄橋」は、BRTの専用道として再建され、2019年11月1日に供用が開始されました。
その上を一直線に、鮮やかな青の橋桁が際立つ三陸自動車道がオーバークロスしていきます。
陸前小泉駅も、ダークブラウンと赤の駅舎が青空に映える駅となっています。
次の2枚は本吉駅と歌津駅。


どちらも、かつて鉄道のホームがあった部分にBRTの乗り場が整備されました。
本吉駅は、以前は駅前広場とつながる部分に乗り場がありましたが、専用道上の乗り場の供用開始は陸前小泉駅と同じ2019年11月1日。
歌津駅の専用道への移行は2019年6月15日になります。
残る3枚は、小金沢駅付近の第4種踏切跡、清水浜(しずはま)駅、そして陸前小泉駅の残骸。
小金沢駅付近は、2019年12月末に訪ねた際もまだそのままでした。……と思いきや、よく見ると踏切部分の線路が取り払われていました。
この踏切の先、特に何があるというわけではありませんが、視野いっぱいに広い海岸風景が展開します。
陸前小泉駅の写真は、背後にうっすら写る木々の様子を見ると、このアングルかもしれません。
今の視点から見れば、在りし日の被災した気仙沼線、ということになるし、当時から見れば、綺麗に専用道が整備されてバスが走るようになった、ということになります。
当時と言っても展示されていたのは主に2年前ぐらいの写真ですから、震災被災地の風景はどんどん変わっていくことを改めて感じさせられます。
タイトルの「その後」というのは、被災した後、という意味でもあり、撮影された写真のその後、という意味も込めています。
一番下に掲出されていたのは、気仙沼線全線開通当時の何かの記事だと思います。日の丸とヘッドマークを付けた誇らしげな車両が印象的です。
BRT化された気仙沼線(大船渡線も含めて)を、「鉄路が失われた」と捉えるか、「形はともあれ路線として残った」と捉えるか、それは人それぞれだと思います。
これらを撮影された方は、地元の登米市で写真を撮り続けておられて、「星と写真の部屋」というブログを書かれています。
1枚目の雪の中の写真は下記の記事に掲載されたもので、それで見覚えがあって気づいたのでした。
この柳津駅で2018年に気仙沼線の写真展をされていた頃のものですが、BRTというものをどのようにとらえるのか、その迷いや心境の変化が感じられ、とても心打たれたのでした。
写真展が終わり、当然作品は撤去されて見ることはできず残念に思っていたのですが、おそらく一部とはいえ見ることができたのは思いがけない出会いでした。
この日、天気予報では三陸地方が朝から雪マークだったので、雪景色を撮りたいなと思って始発のBRTに乗ったのですが、泊まっていた大船渡を出て、陸前高田、気仙沼、南三陸町と来てもすっかりあてが外れ、運よく自動運転の実証実験が見れたらいいなと思いつつ柳津まで来てもハズレ。
それでもこういう発見があって、すべて報われたような気がしました。