君と、A列車で行こう。

鉄道とシミュレーションゲーム「A列車で行こう9」を中心に綴るブログ。当面、東北地方太平洋沿岸の訪問をメインにしています。

大船渡市 2つの津波の記憶

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大船渡市の夕景

2019年5月のゴールデンウィーク気仙沼の震災遺構・伝承館、陸前高田の奇跡の一本松を見て、大船渡に着いたのは夕方でした。

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大船渡駅周辺

大船渡市もまた、津波で大きな被害を受けた場所。BRT大船渡駅の付近は更地が目立っていました。

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大船渡駅から盛方面

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大船渡駅から陸前高田方面

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おおふなぽーと(大船渡市防災観光交流センター)

駅の目の前には市民が利用できる交流センターが整備されていました。中からは、誰かが練習しているようなピアノの音が聴こえてきました。

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大船渡市内の歩行ルート(Googleマイマップにて作成)

南に進むと須崎川へ。護岸が再整備されると同時に、集客エリアとして「キャッセン大船渡」が整備され、多くの店が営業していました。

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BRT専用道を渡るための歩行者用の横断帯が用意されているのですが、当然、安全に注意する旨の注意書きがあります。「注意事項が守られない場合は利用できなくなります」的なことも書かれていて、ちょっと「JRこわい」という感じもします。

でもまあ、須崎川を渡るのにJRの専用道を歩いていく人もいたりして、実際そんなもんですよね、とも思いつつ。

大船渡はこうして憩いの場が整備され、それなりの賑わいを見せている他、大型スーパーや、ドトール・携帯電話ショップといった店も並び、これまで見てきた場所よりも復興が進んでいるように見受けられました。

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高台に行ってみる

さて、陽が沈み切るまでには若干時間があったので、ホテルに荷物を預けて少しだけ散策をします。高台で鯉のぼりが泳いでいるのがバスから見えた加茂神社へ向かいます。

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この鳥居の奥にある石段を登りきると神社前になります。

そして、少し登るとこんなプレートが貼ってありました。

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石段を登り切り、神社の境内へ。

街なかを歩いている時にはリズミカルな太鼓の音もかすかに聞こえていたのですが、この時にはもう静かな空間でした。

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高台からの眺め。これは東の大船渡湾の方向になります。赤く染まる稜線がとても美しい光景でした。

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これは南東方向の景色。複数の小さな島が浮かぶ、リアス式海岸の景観が特徴的です。

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北方向の眺め。大船渡湾の象徴的なランドマークとして、湾の最奥部にそびえる巨大な紅白の煙突があります。

別の記憶の証を見つける

しばらく眺望を堪能したのち、夕食をとるために高台を降りていきます。

その道中、地面にこんなプレートを見つけて、ちょっと何とも言えない気持ちになりました。

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このプレートがあった場所から、さっきの東日本大震災のプレートがあった石段方向を見ます。2本の幟が立っている場所になります。位置関係は上の方のルート図にもマーキングしているのでご参照ください。

おそらく、ここはチリ地震津波が到達した先端の場所。そして、あの石段に押し寄せた津波は、まだ5.5mもの高さがあった。いかに桁違いの津波だったかがわかります。

大船渡の人たちは決して過去の教訓をおろそかにしていたわけではなかった。にもかかわらず、その想定をはるかに上回る災害が襲い掛かり、大きな被害を出すことになってしまった。そのことを思い知らされたのでした。

 

チリ地震津波で、全国で最も多い犠牲者が出たのがこの大船渡市だったそうです。そんなこともあって、チリ地震津波を念頭に置いた防災が進められてきたのでしょう。

しかしながら、チリ地震津波を想定した湾口の防波堤は破壊され、津波で犠牲になった人の中には、チリ地震の時に津波が来なかった場所だから大丈夫だと思っていた人もいたといわれています。

湾口の防波堤は、明治三陸地震を想定した2倍以上の高さになって復旧されました。

過去の教訓に学ぶということがいかに一筋縄ではいかないかを、2つの津波の記憶が示しているように思います。

アワビの乗った絶品ラーメンをいただく

大船渡は飲食店がとても多く、どこにしようか彷徨い、選んだ店が満員で断られたりしつつ、決めたのがこちらのラーメン。

最初の方で紹介した「キャッセン大船渡」内にある「貝だしラーメン黒船 SECOND」になります。

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これだけチャーシューがトッピングされていながら上品な味で、アワビのうまみも堪能できる贅沢なラーメンでした。

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kyassen.co.jp

tabelog.com

翌朝、岸壁へ向かうと

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翌朝、日の出から少し過ぎたぐらいの時間。港の風景が見たいと思って散歩してみました。

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が、少し歩いた範囲では柵でブロックされていて近づくことができませんでした。

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防潮堤の上に上がれたりしないかな? と思ったのですがコーンでブロックされていました。

なので奥の方はよくわかりませんでしたが、立ち入りをさせるべきではない、守るべき産業がそこに復活しているのであれば、それはそれで素晴らしいことかもしれない、と思いました。