君と、A列車で行こう。

鉄道とシミュレーションゲーム「A列車で行こう9」を中心に綴るブログ。当面、東北地方太平洋沿岸の訪問をメインにしています。

「ゲームプレイ記」と「架空鉄道」の境目

A列車で行こう」のほとんどの作品は、プレイヤーが「鉄道会社の社長」という立場でプレイを行います。
A6系(2001、21C)には会社経営的な要素はほとんど存在しないので、ちょっと違うようにも思いますが、一応、資金を稼ぎ、その範囲内で鉄道を敷設し土地を購入する、という程度には制約があるので、広い意味で経営ゲームに入れておきますか。

A列車で行こう」はゲームのジャンルで言えばシミュレーションゲームになりますが、同時に、「鉄道会社の社長」というロールプレイングゲームであるとも言えます。

つまり、動画の作者はゲームのプレイヤーであり、架空の鉄道会社の社長でもあるわけで、その境目というのは実にあいまいなものです。そのどちらに軸足をおくこともできますが、一方で、そのあいまいさのために、どちらにも軸足を置けていない、中途半端な作品というのも見受けられるように思います。


最初に「ニコニコ鉄道株式会社」のシリーズを公開したかすみん氏の動画は、あくまで「プレイヤー」の立場に立脚したものでした。たぶん(最後までちゃんと見てないので、明確には断言できないですが)。
プレイヤーとして演じる立場が「鉄道会社の社長」ですから、「ニコニコ鉄道」と名前をつけるのもプレイの範疇。敷設される建物に「ちゅるや百貨店」などと名前をつけ、MAD動画で魅せるのも、プレイに彩を加える、プレイヤーとしての思い入れの範疇と言えるかと思います。
Loasさんの「春日野支社」「臨空支社」も、架空世界の作りこみにはあまり注力せず、プレイヤーとしての立場に立脚したシリーズという印象を持っています。


一方で、ゲームで表現しきれない設定を積み重ね、ゲーム以外のコンテンツを活用し、架空の世界を作りこめば込むほど、その軸足は「プレイヤー」よりも、「架空鉄道の表現」に近づいていくように思います。

動画を見ていて、「これはゲームプレイではなく架空鉄道の表現なんだ」ということを強く感じるのは、列車の走行シーンや画像に、A列車のものではなく、実車の走行シーンや画像を使うのを見た時です。確かに、架空鉄道の表現としては、A列車はとても表現力が乏しい。アングルが鳥瞰固定のA7はもとより、自由にカメラを設定できるA8ですら、「プラレール」と揶揄されるようなちゃちい3Dモデルでしか表現できないのですから。ただ、それを自覚してやっている分にはよいのですが、なんとなく無自覚に、あるいは列車の撮影が好きだからとりあえず、という感じで、実車の映像を使っているように見えることも、ないわけではありません。

現在進行中のシリーズで、もっとも、「架空鉄道の表現」の立場に近いと思うのは「笹瀬川鉄道開発記」シリーズでしょうか。随所に挿入される実際のローカル線の風景やきっぷの制作など、A列車を含めて、いろいろなコンテンツでローカル鉄道の情景を表現しようとしている、というのを感じます。


「プレイヤー」と「架空鉄道の表現」、どちらに立脚することがいい悪いという話ではないのですが、もし「架空鉄道の表現」に力点を置くのであれば、プレイヤーとしての視点を捨てるぐらいのつもりで、中途半端ではなく、とことん作りこんでほしいという思いはあります。「プレイヤー」気分のまま、架空の設定をいたずらに積み重ねると、表現力に乏しく視聴者に伝わらないものになってしまいがちです。


私も当初は、どちらの方向性で行くのか整理できていませんでした。今は「プレイヤー」寄りで進んでいるはずですが、当初の形式を根底から覆すわけにもいかず、中途半端な部分は残ってしまっているかと思います。
動画を作成されていて、もし方向性に迷っているとしたら、「ゲームプレイ記」としてなのか、「架空鉄道の表現」としてなのか、立脚点を見つめなおしてみるのもいいかもしれません。