君と、A列車で行こう。

鉄道とシミュレーションゲーム「A列車で行こう9」を中心に綴るブログ。当面、東北地方太平洋沿岸の訪問をメインにしています。

まだ見ぬ銚子を巡る 銚子ポートタワーと復元されたデハ801

※本記事は2018年1月の記録になります。

2018年の元日。犬吠埼で初日の出を見た後、それまで行ったことがなかった場所を中心にめぐってみることにしました(銚子の主だった観光スポットについては、過去の訪問記として別記事で紹介したいと思います)。

初日の出については下記の記事をご覧ください。

a-train.hateblo.jp

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犬吠駅にて、銚子行きの電車。デハ2502は、「きぼう」のヘッドマークを掲げたデハ2002と2両編成を組んでいます。

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銚子駅に戻り、駅前近くで行われていた元旦イベントを少し見た後に銚子ポートタワーへ。銚電沿線から少し離れていることもあり、これまで訪れたことがありませんでした。

この時には、この銚子ポートタワーを含む、海岸沿いを走る観光向け路線バス「岬めぐりシャトルバス」があったのですが、財政が厳しい銚子市が補助を打ち切って今は休止しているとのことで、とても残念です。

www.keiseitaxi-narita.com

※上のページは、運行されていた時点の情報になります。

www.city.choshi.chiba.jp

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銚子ポートタワーから北側、茨城県との境となる利根川の河口付近。

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ポートタワーから南側。中央付近に、犬吠埼灯台がちょんと突き出しているのが見えます。

併設している市場施設「ウオッセ21」にて昼食をいただいた後、岬めぐりシャトルバスに乗って再び犬吠へ、そして銚子電鉄に乗り継いで外川へ向かいます。

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犬吠駅に飾られていたオブジェ。「銚子電鉄銚子商業高校」とあります。

仲ノ町駅舎の修繕、脱線事故で損傷した車両の修理代調達、デハ801の修復(後述)など、今、銚子電鉄を支えているのが銚子商業高校の学生さんだと言っても過言ではありません。

犬吠駅には、銚子商業高校の学生さんが作ったという、キャベツメロンパンやトマトの果汁を練り込んだ甘食なども売られていました。メロンパンは売り切れだったので甘食の方を買いましたが、トマトの風味もしっかり利いたやさしい味わいで、かなりおいしかったです。

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犬吠駅ホームから西側。奥の森を超えたあたりに「地球の丸く見える丘展望館」があります。

この写真は何かというと、あの道路沿いのコンビニは以前からあったっけ?という感じで撮ったもの。

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犬吠駅ホームから北側、君ヶ浜方面の風景。線路が下り勾配になっているのが見えます。

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列車の行き先表示には「犬吠埼温泉号」とあります。

犬吠駅の副駅名も「OTS 犬吠埼温泉」ですが、正直なところ、温泉というイメージはあまりなく……。

そりゃあ地面を掘ればどこでも温泉ぐらい出るのかもしれませんが、「温泉」をアピールすべきなのは、町全体として湯けむりの情緒を大切にしているところではないか、という気がします。

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外川駅にて。未明にも見た、「きぼう」のヘッドマークを掲げたデハ2002。

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外川駅の副駅名「ありがとう」が表示された駅名標。本物の駅名標はまた別にあります。

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使わなくなった入替線を利用して展示されているデハ801。

営業運転から退いた後、昭和レトロなミニ博物館として使われていましたが、雨ざらしのために次第に朽ち果て、銚子商業高校や協力企業によって往年の姿が復元されたのでした。

外川駅の「デハ801」
http://www.choshi-dentetsu.jp/detail/railway/63

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復元されたデハ801と、外川駅の駅舎。

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この日は、外川駅から東、長崎方面へふらっと歩いて行きました。住宅街を抜け、森を抜け、海岸通りを歩き、長らく謎だったバス停「国民宿舎」から発車するバスに乗って銚子駅に戻りました。

実際には国民宿舎はすでになくなっていて、その跡地にあるバスの回転場に過ぎなかったのですが……。

銚子駅に着いたのが14時過ぎ。もう少し時間を取る予定ではあったのですが、夜明け前からの活動で想像以上に疲労がたまっていたらしく、直近で発車する特急に乗って帰宅することにしました。

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銚子半島・犬吠埼の初日の出

※本記事は2018年1月の記録になります。

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「日本の平地で最も早い初日の出」とされる犬吠埼の日の出

はてなブログ今週のお題「海」に寄せて。まるで時期外れではありますが。

千葉県の東の端にある銚子市には何度か足を運んでいて、「電車修理代を稼がなくちゃ、いけないんです。」のフレーズで有名になった銚子電鉄のぬれ煎餅騒動の時にもだいぶ応援していたりしました。

その銚子市にある銚子半島の東の突端、犬吠埼付近が、「(山頂・離島を除く)日本で最も早く初日の出が見られる場所」として知られている場所です。

年が変わる時期には家でのんびり過ごしていることが多く、それまで初日の出のために遠出するということはなかったのですが、この時には初めて犬吠埼へ出かけてみました。

JRからは、都心方面から銚子行きの臨時特急3本が運転されていて、他に成田発の快速もあります。成田発は成田山新勝寺で初詣を済ませた後に向かうのに適しています。

乗車した特急列車は、今となっては離脱してしまった貴重な189系での運転だったのですが、ダイヤ乱れのために乗車時の乗り継ぎに余裕がなかったこと、到着した銚子駅ではすぐに銚子電鉄に乗り換えないといけないことから、写真を撮る余裕はなく。

銚子電鉄はこの時間、JRの列車の到着を受けて銚子~犬吠間の運転です。満員となった列車に揺られて、およそ20分で犬吠へ到着しました。

犬吠駅から犬吠埼

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犬吠駅に到着した列車。5:21の撮影。デハ2002には「きぼう」のヘッドマークが掲げられています。

犬吠駅にはちょっとした駅前広場があり、軽食を提供する出店がいくつか出ていました。

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とにかく寒いし、日の出までには1時間半あるので、身体を温めるものをいただいていきます。

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千葉県のキャラクター「チーバくん」(横から見ると千葉県の形に見える)と、JR東日本千葉支社のキャラクター「駅長犬」がなにやらイベントをやっていました。

5:40ごろ、そろそろ犬吠埼へ向かいます。犬吠駅から犬吠埼は歩いて10分ほどです。

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犬吠埼周辺は交通規制が敷かれ、車両の進入が止められていました。

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夜の闇に美しく浮かび上がる犬吠埼灯台

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6:05。東の空が少しずつ朱く染まり始めてきました。

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犬吠埼周辺はかなりの人だかり。すでに営業している食堂兼土産屋も一部ありました。

出店の焼きそばのソースの匂いに誘われ、パックに入りきらないぐらいの大盛焼そばを食べながら、日の出を待ちます。

日の出を迎える

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6:14。さらに明るくなった東の空。幻想的な美しさがあります。

海面付近は東の方が厚い雲に覆われていて、海面からの日の出は厳しそうな感じです。銚子付近は快晴ですが、遠く離れた東の海はまた別。この辺はどうしようもありませんが、そういえば前日は雨が降っていたので、その辺から察することもできたのかもしれません。

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6:17。犬吠埼から南の方、長崎・外川方面の夜明けの風景。

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6:18。だんだんと東の空が明るくなってきます。まだ光が届かない部分とのコントラストが美しい、夜明けならではの光景。

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6:25。最初に通った時にはほとんど人がいなかった場所ですが、この時間になると多くの人が集まってきています。

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6:37。ほぼ同じアングルですが、空の色が明らかに変わったのがわかります。

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6:46。犬吠埼の日の出の時刻とされる時間です。

海面近く、雲の切れ間に赤い光が見えます。

f:id:katayoku_no_hito:20180101064822j:plain6:48。雲の向こうで真っ赤に光る太陽。

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その姿は厚い雲に覆われ、いったん隠れてしまいます。

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待つこと10分以上。7:02になって、雲のてっぺんが輝き出しました。

上空を舞うのは、この日、別のイベントで配られていた風船。

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その光はだんだんと強くなり……

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7:04。日の出の時刻から18分後、ついに太陽が雲の上から顔を出しました。

その風景を彩る岩場の波しぶきもまた、犬吠埼の景観の特徴です。

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7:06。太陽の光を受けて輝く海。

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朝日を浴び、すっかり明るくなった犬吠埼。日の出が終わり、付近を埋め尽くした人々が次々と去っていきます。

 

この後は、銚子市内をいろいろとめぐってから帰宅したのですが、お題の「海」とも少し外れてくるので別記事としたいと思います。

a-train.hateblo.jp

「海」を中心にした記事としては、以下のようなものもあるのでよろしければご覧ください。

a-train.hateblo.jp

旅程の組み方を考える ゆとりと二重化のすすめ

もうすぐ夏本番!ということで、旅行に関する話も界隈では賑やかになってきました。

JR全線の普通列車等が定額乗り放題の「青春18きっぷ」が7/1より発売されており、そのノウハウに関する話も盛んです。

trafficnews.jp

上記の記事を見て、私なりの旅程の作り方を書いてみようかなと思いました。「青春18きっぷ」の話ではありませんが、制限が違うだけで考え方は一緒です。

一直線に進むだけだったり、行って帰ってくるだけの旅程では面白みに欠けるので、昨年10月、北海道で札沼線に乗り、室蘭に行って本州へ抜けた周遊型の旅程を題材にしてみようと思います。

当時の記録としては下記の記事をご覧ください。

a-train.hateblo.jp

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JR札沼線学園都市線)の普通列車

まずは「外せない列車」を挙げる

この日の出発は札幌駅、ゴールは本州の宇都宮駅です。必須なのは「一日1本の札沼線石狩当別新十津川間)の列車に乗ること」と、「指定席を取ってある帰りの特急・新幹線に乗ること」です。

上の記事では「本数の少ない区間」から決めるとあり、それも重要な要素ですが、さらに重要なこととして、

  • 予め指定席を取ってある列車
  • 旅行の目的となる一日1本とかの限定的な列車(観光列車や臨時列車含む)

があります。

まずはそれを書き出します(ダイヤ、列車名は2018年10月時点のものです)。

事前には昼間に札幌で滞在時間を取る予定でした。

 (札幌→石狩当別

石狩当別 7:45-9:28 新十津川

新十津川→札幌)

(札幌で昼食+何かする 市電、すすきの、藻岩山 etc.)

札幌 14:45-[スーパー北斗16号]-18:09 新函館北斗

新函館北斗 18:36-[はやぶさ42号]-21:29 仙台
仙台 21:47-[やまびこ60号]-22:52 宇都宮

これを核に、旅程を決めていきます。

乗り継ぎ・滞在時間にはゆとりをもって

朝は札幌から石狩当別へ向かうのですが、候補となる列車を2本挙げておきます。

札幌 6:39-7:18 石狩当別
札幌 6:58-7:38 石狩当別

石狩当別 7:45-9:28 新十津川

新十津川→札幌)

(札幌で昼食+何かする 市電、すすきの、藻岩山 etc.)

札幌 14:45-[スーパー北斗16号]-18:09 新函館北斗

新函館北斗 18:36-[はやぶさ42号]-21:29 仙台
仙台 21:47-[やまびこ60号]-22:52 宇都宮

本線は札幌 6:39発の列車です。石狩当別での乗り継ぎ時間が27分あり、余裕をもって希望する座席を確保できるのではないかと思われるのと、万一朝から体調がすぐれずにトイレに行きたい時などにも対応できます。

ただ、朝が早いこともあり、寝坊の恐れもないではありません。万一、若干寝坊してしまった場合でも(2本目にも乗れないぐらい寝坊したら論外ですが)落ち着いてバックアップができるよう、あらかじめリストアップはしておきます。こうしておくと、当日予定外の何かが発生した際にもあまり慌てずに済みます。

旅程は二重化しておくと便利

新十津川から札幌に戻るには、鉄道では2つの方法があります。

事前にはどちらにするか決めかねていたので、当日の流れで判断できるよう、両方書き込んでおきます。

札幌 6:39-7:18 石狩当別
札幌 6:58-7:38 石狩当別

石狩当別 7:45-9:28 新十津川

<滝川ルート>

新十津川役場 9:50-10:04 滝川駅(バス)
新十津川役場 9:56-10:07 滝川駅(バス)

滝川 10:32-[ライラック 16号]-11:25 札幌

札沼線ルート>

新十津川 10:00-11:18 北海道医療大学
北海道医療大学 11:29-12:15 札幌

(札幌で昼食+何かする 市電、すすきの、藻岩山 etc.)

札幌 14:45-[スーパー北斗16号]-18:09 新函館北斗

新函館北斗 18:36-[はやぶさ42号]-21:29 仙台
仙台 21:47-[やまびこ60号]-22:52 宇都宮

新十津川での滞在時間が読めないこともあり、候補となるバスが2本あることも確認しておきます。ここまで決めておけば、当日どうなってもだいたい対応できると思います。

事前にはこんな感じで決めておき、当日になりました。

現地で予想外のイベントが

朝は予定通り札幌6:39発の列車に乗ることができ、石狩当別で余裕をもって乗り継ぎができました。

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石狩当別で乗り継いだ新十津川行き普通列車

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新十津川駅前で行われていたイベント

新十津川に着いてみると、閑静な終着駅かと思っていたら、3連休ということでイベントが催されていて予想外の人だかりが。

取材に来ていた道新の記者にインタビューされたりして(実名を出したいというので記事化は断りましたが)楽しんでいるうちに、折り返しの列車は窓側の席が埋まってしまったので、滝川ルートを選ぶことに。

そして、2本挙げていたバスのうち、1本目には間に合いませんでしたが、その分、役場前の町の様子を眺めたりしてゆとりをもって2本目を迎えることができました。

札幌 6:39-7:18 石狩当別
札幌 6:58-7:38 石狩当別

石狩当別 7:45-9:28 新十津川

<滝川ルート>

新十津川役場 9:50-10:04 滝川駅(バス)
新十津川役場 9:56-10:07 滝川駅(バス)

滝川 10:32-[ライラック 16号]-11:25 札幌

札沼線ルート>

新十津川 10:00-11:18 北海道医療大学
北海道医療大学 11:29-12:15 札幌

(札幌で昼食+何かする 市電、すすきの、藻岩山 etc.)

札幌 14:45-[スーパー北斗16号]-18:09 新函館北斗

新函館北斗 18:36-[はやぶさ42号]-21:29 仙台
仙台 21:47-[やまびこ60号]-22:52 宇都宮

雲行きがあやしい! 急遽予定を組み替えるのに時刻表は便利

さて、予定ではこの後、札幌で昼食をとって何かをするはず(たぶん市電に乗ったかな)だったのですが、翌日、北海道に台風が襲来すると報じられる中ですでに雲行きが怪しくなっており、いつ降り出してもおかしくない、雨のにおいに満ちた空気感になっていました。

特急スーパー北斗の車窓も楽しみにしていたのですが、雨の中ではその楽しみも半減です。

なので、雨が降る前に南に向かおう、ということを思い立ちます。

そして時刻表をめくりながら考えていると、未乗のまま残りそうだった室蘭本線東室蘭~室蘭間にも乗れるんじゃないか、ということを思いつき、調べてみると実際にかなり時間が取れそうだったので、急遽予定を組み替え、特急券も取り直しました。

札幌 6:39-7:18 石狩当別
札幌 6:58-7:38 石狩当別

石狩当別 7:45-9:28 新十津川

<滝川ルート>

新十津川役場 9:50-10:04 滝川駅(バス)
新十津川役場 9:56-10:07 滝川駅(バス)

滝川 10:32-[ライラック 16号]-11:25 札幌

札沼線ルート>

新十津川 10:00-11:18 北海道医療大学
北海道医療大学 11:29-12:15 札幌

(札幌で昼食+何かする 市電、すすきの、藻岩山 etc.)

札幌 14:45-[スーパー北斗16号]-18:09 新函館北斗

札幌12:16-[スーパー北斗12号]-13:39 東室蘭
東室蘭 13:53-14:05 室蘭
東室蘭 14:59-15:12 室蘭


室蘭 15:47-16:00 東室蘭
東室蘭 16:10 -[スーパー北斗16号]-18:09 新函館北斗

新函館北斗 18:36-[はやぶさ42号]-21:29 仙台
仙台 21:47-[やまびこ60号]-22:52 宇都宮

この時点では、どこで時間を取ることになるかわからなかったので、東室蘭→室蘭の列車は2パターン挙げておきます。

この時には大型時刻表を持っていったのですが、使い慣れているとこういう大きな予定変更には便利ではないかと思います。

時刻表を持っていくかどうかはいつも考えるところで、荷物になるのは確かなので、シンプルな旅程だったら持たないことも多いです。

特急に乗車後、雨が本格的に振り出したのは東室蘭付近で、そこまでは窓が濡れることなく、牧場が広がる風景や線路沿いに佇むエゾシカなど、道央の車窓を楽しむことができました。

この少し前の地震の影響で、苫小牧付近で列車が徐行運転していたりしたこともあり、とにかく室蘭まで先に行こうと考え、東室蘭ではすぐに列車を乗り継いで室蘭へ。

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室蘭駅普通列車

そして室蘭で地元の回転すしを堪能して、札幌以外では珍しい市内交通としての鉄道の様子も眺めつつ、予定通りに北海道を抜けることができました。

最終的な旅程はこんな感じ。

札幌 6:39-7:18 石狩当別
札幌 6:58-7:38 石狩当別

石狩当別 7:45-9:28 新十津川

<滝川ルート>

新十津川役場 9:50-10:04 滝川駅(バス)
新十津川役場 9:56-10:07 滝川駅(バス)

滝川 10:32-[ライラック 16号]-11:25 札幌

札沼線ルート>

新十津川 10:00-11:18 北海道医療大学
北海道医療大学 11:29-12:15 札幌

(札幌で昼食+何かする 市電、すすきの、藻岩山 etc.)

札幌 14:45-[スーパー北斗16号]-18:09 新函館北斗

札幌12:16-[スーパー北斗12号]-13:39 東室蘭
東室蘭 13:53-14:05 室蘭
東室蘭 14:59-15:12 室蘭


室蘭 15:47-16:00 東室蘭
東室蘭 16:10 -[スーパー北斗16号]-18:09 新函館北斗

新函館北斗 18:36-[はやぶさ42号]-21:29 仙台
仙台 21:47-[やまびこ60号]-22:52 宇都宮

 まとめると、

  • 「外せない列車」から決める
  • 乗り継ぎ・滞在時間にはゆとりをもって
  • 経路の二重化(ルートの二重化、列車の二重化)

ということになるでしょうか。

特に二重化ということに関しては、早めに移動できるパターンと、ギリギリまで粘った場合のパターンを把握しておくといいと思います。

状況によっては、二重化どころではなく、一番遅いパターンまで全パターンを列挙してどれでも選べるようにしておくこともあります。

そうしておけば、当日予想外の出来事にでくわしたり、何らかの事情で予定を組み替えたいと思った時にも対応しやすく、満足度の高い旅行ができるのではないか、と思います。

特に「青春18きっぷ」を利用する際は、列車に乗る時間が長くなり、どうしても詰め込みやすくなりがちですが、適度にゆとりをもって、楽しい旅ができるとよいですね。

いざという時には、18きっぷにこだわらない方法(新幹線や特急などの利用)も予め調べておくと、何かの時に役に立つかもしれません。

2017年夏の女川 初めて降り立った津波の被災地

※本記事は2017年7月の記録になります。

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東日本大震災で被災後、再建されたJR女川駅

東京から常磐線、仙石東北ライン、石巻線を乗り継いでやってきた女川駅

震災から6年4か月後、津波で被災した地域に降り立った初めての場所でした。

福島第一原発事故による帰還困難区域を含む、女川までの道中については下記の記事をご覧ください。

a-train.hateblo.jp

女川について遠く離れた関西の地で伝えられたのは、事故を起こさずに停止した女川原発で多くの人が難を逃れたというニュースでしたが、それは山一つ隔てた高所に建つ原発の話。

現地でいろいろな情報を見ると、海沿いの町にはやはり筆舌に尽くしがたい甚大な被害があったことを知ることができます。

女川駅も大津波で流された後、嵩上げののちに再建されたのでした。

駅周辺を見ても、山を切り崩して高台を造成している現場があちこちにありました。

女川駅前から海岸へ

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女川駅のホームの隣にある駐車場と、その奥にある色とりどりの簡素な建物。

これを見た時、仮設住宅だと思っていたのです。「他に用地がないのか、こんなところに晒されて暮らさないといけないなんて、まだまだ大変だなあ……」という感想でした。

ところがそれは大ハズレ。

この訪問の翌日に移転工事が完了し、1週間後に営業を開始したトレーラーハウス宿泊村「ホテル・エルファロ」の、移転開業直前の姿なのでした。

hotel-elfaro.com

震災直後から、宿泊施設の再建のために駅の北側のエリアで営業を開始し、当該エリアの嵩上げ工事などもあって駅前に移転したそうです。

ただ、本来であればきっちりとしたホテルを建てたいところだったのではないかと思うのです。それが叶わなかったという点では、「仮設」という直感だけは、間違っていなかったような気がしないでもありません。

駅前からは海へと続くなだらかな下り坂となっていました。

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嵩上げされた土地をどのように活用するかは腕の見せ所。港町に暮らし、海と交わり生きてきた人たちにとって、海とのかかわりを完全に絶って生きる、という道はないのだろうと思います。

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駅前にあるのは「シーパルピア女川」という、プロムナードと左右の店舗で構成された商業施設。この海側には、海産物を中心に扱う「地元市場ハマテラス」があり、それを過ぎると海岸に出るという構成でした。

そのハマテラスで、遅くなった昼食として海鮮丼をいただいた後、海側へ向かってみます。

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まさに復興工事の最中でした。

後で調べてみると、この海岸一帯はメモリアルパークとして整備される予定とのことでした。

そのメモリアルパークの重要な施設となるのが、津波の引き波の力で根元からなぎ倒され、駅前から海岸まで運ばれた女川交番の遺構。

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この訪問時点ではまだ、保存するかどうかも最終決定にはなってなかったのですが、半年後に、保存して震災遺構として活用することが決まったそうです。

 

他にもいくつか店舗を訪ねたりして、わずか1時間半ほどの滞在でしたが、初めて見た津波の被災地のありようとして、深く印象に残った時間でした。

あれから2年、今はどのようになっているでしょうか。

今度、もう少し時間を取って再訪してみたい場所です。

帰り道の風景

女川からは石巻線陸羽東線で古川へ出て、新幹線で一気に東京へ戻りました。

石巻駅で20分以上停車時間があったので、途中下車して外に出てみます。

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石巻駅の駅舎。宮城県出身の漫画家石ノ森章太郎の「石ノ森萬画館」が石巻市にあることにちなみ、キャラクター像があちこちに置かれています。

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駅に停車していた、仙石線を走るマンガッタンライナー

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駅前にある石巻市役所。ショッピングセンターに入居しているように見えますがそうではなく、閉鎖したショッピングセンターを再利用しているもの。1階には通路の両側にいくつか店舗がありましたが、何しろ休日で市役所自体が稼働していないので閑散としていました。

石巻の先、前谷地にて気仙沼線に乗り換えができます。この時には、後ろ髪をひかれつつも再訪することを誓って見送ったのですが、今年になって乗車することができました。それは下記の記事をご覧ください。

a-train.hateblo.jp

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前谷地駅を出発する、小牛田行きの石巻線列車(2019年5月撮影)

上の写真は、気仙沼線で前谷地まで来た時のものになります。

 

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小牛田駅にて、東北本線の上り列車岩沼行きと、乗ってきた石巻線の列車。

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乗り継いで古川に向かった陸羽東線のキハ110系。汎用型とは少し塗装が違っていました。

仙石東北ラインと石巻線 震災後に生まれた輸送ルート

※本記事は2017年7月の記録になります。

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仙石東北ラインで運行されるHB-E210系気動車石巻駅にて

午前中、東京から常磐線を乗り通してきた後、仙石東北ライン、石巻線を乗り継いで女川へ向かいました。

常磐線については下記の記事をご覧ください。

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仙石東北ラインを初体験する

常磐線から仙台に着いたのが13:10。仙台駅を13:16に発車する仙石東北ラインの列車に乗るため、わずか6分での乗り継ぎです。昼食とか写真とか言っている余裕はありません。

乗車したのは仙石東北ラインを走るHB-E210系の4両編成。どうにか座席を確保して発車しました。

ご存知の通り、仙石東北ラインは、東日本大震災仙石線が被災したのを契機に計画が一気に進み、仙石線が全線で運転を再開した2015年5月30日に運行を開始しましたが、計画自体はJRの発足直後ぐらいからあったようです。

東北本線が交流電化、仙石線が直流電化という制約があった中で、当時、ハイブリッド気動車の導入が進んでいたことも追い風になったのでしょう。

車内は電源装置を設置している分、乗客用のスペースが少なくなっています。その装置にはモニターがあり、ハイブリッドシステムにおける電気の供給・使用状況がリアルタイム更新で表示されています。これは眺めているとなかなか楽しいです。

列車はまず東北本線を進み、塩釜駅から先で仙石線に移ります。

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仙石線東北本線連絡線のルート(Googleマイマップで作成)

上の図で、オレンジの線は東北本線内の上下線の渡り線、青の線は仙石線東北本線の連絡線になります。

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東北本線下り線から。隣の上り線の先に、仙石線用の架線柱が見えています。

渡り線を渡り、連絡線に入ったところで停車。

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仙石線あおば通行き列車が通り過ぎるのを待ちます。仙石線はこの部分はすでに単線なので、ダイヤにもそれなりに制約があります。

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連絡線から見る東北本線の上下線。複線がなんだか逞しく見えます。

しばらくして列車は発車し、仙石線へ乗り入れて石巻へ向かいます。

仙台ではほぼ満席だった乗客は、仙石線内の停車駅で次第に減っていきました。

仙石線の車窓で気になったのは、「真新しい戸建て住宅と空き区画がとても目立ったこと」でしょうか。古くからの街並みとは明らかに異質な感じ。震災で仙石線のどの部分がどういった影響を受けたのか、事細かに把握しているわけではないのですが、浸水被害を受けた後、建て直した家が多数あるような感じに見受けられました。

 

仙石東北ラインは確かに便利で、仙台~仙石線北部の高速化に貢献しているのはわかるのですが、惜しむらくはその配線上、仙石線の松島海岸駅、東北本線松島駅をどちらもスルーしてしまい、松島観光には使えないという点があります。松島海岸まで行く仙石線の列車は、日中は各駅停車が1時間に2本しかありません。

せめて、仙石線に乗り入れて最初に停車する高城町での乗り継ぎが便利ならいいのですが、「仙石線高城町行き→仙石東北ライン快速石巻行き」の乗り継ぎは考慮されているものの、「仙石東北ライン石巻行き→仙石線あおば通行き」の乗り継ぎはほとんど考慮されておらず、一部列車がたまたま便利に接続している程度だったりします。

この辺はもう少し何とかならないのかなあ、と思わなくもないです。

 

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上の2枚は別の時期にあおば通駅で撮っていたものですが、仙石線の列車は誤乗を避けるためか、「仙石線経由」の表示をしているようです。

 

そんなこんなで14:17に石巻へ到着。石巻線へ乗り換えます。

石巻線で女川へ

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4分乗り換えで乗り継いだ石巻線の列車は、JR東日本の汎用型気動車としておなじみのキハ110系。

仙石東北ラインの副産物として、運行されたのがハイブリッド気動車だったため、女川への直通が可能になりました。当時、および現時点(2019年7月)でも直通列車が設定されているのは朝の女川発の始発と、夜の女川行きの最終のみですが、例えば観光に使いやすい時間帯などに増発できれば便利だと思います。

ただ、そのためにはHB-E210系を増備する必要があり、そこまでするほどの需要があるかというと……結局は復興次第、ということになってくるのでしょう。

列車は女川へ向かって海沿いを進んでいきます。ローカル線あるあるで窓が汚れていたので、あまり綺麗な写真ではないですが……

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沢田~浦宿間。震災後に再建されたと思われる真新しい堤防が見えます。

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女川湾に広がる養殖ブイ。

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女川駅に到着したのは15時手前。ここからそそくさと女川の町(というより駅前)を見て回ったのですが、それはまた記事を改めることにします。

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2017年夏の常磐線 7年目の現実を見た

※本記事は2017年7月の記録になります。

以前から早めに書いておきたかったネタなのですが、下記のニュースが出たので、話題になっているうちに書いてしまうことにしました。

JR東日本ニュース 常磐線全線運転再開にあわせた特急列車の直通運転について
https://www.jreast.co.jp/press/2019/20190709.pdf

 東日本大震災の影響により運転を見合わせている常磐線富岡駅~浪江駅間については、2019 年度末までの全線運転再開に向け、国や関係自治体等のご協力をいただきながら復旧工事を進めています。
 このたび、2019 年度末までの常磐線全線運転再開にあわせて、東京都区内と仙台市内を直通で結ぶ特急列車を運転することとしましたので、お知らせします。 

 

ちょうど2年ほど前、2017年7月の話になります。

この日の旅行の概要は

  • 常磐線を東京~仙台間(代行バス含む)乗り通し
  • 仙石東北ライン乗り通し
  • 石巻線で女川へ
  • 女川から石巻・小牛田を経由して古川へ
  • 古川から新幹線で東京へ

というかなり無謀な日帰り旅行だったのですが、これでも個人的にはいろんな期待が詰まった行程だったのです。

  • 常磐線特急のE657系初乗車
  • 651系特急車による普通列車(乗車する1週間ほど前に運用を開始したばかりでした)
  • 原発事故エリアの通過
  • 仙石東北ラインの初体験
  • 津波の被災地の見聞

特に、この年の初めに関東某所に引っ越し、ようやく東日本大震災の被災地を訪れる機会を得た、ということが重要なのでした。

本記事では行程のうち、常磐線部分について書きたいと思います。

なお、この時点での常磐線(いわき~仙台間)の運転状況は下の図の通りでした。

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この時点の状況としては、浪江~小高間が4月に運転を再開したばかり。富岡町は避難指示が解除されて竜田~富岡間の運転再開の準備が進んでおり(この年の10月に運転再開)、竜田~富岡間の代行バスが増発されていた、というものでした。

特急「ひたち」でいわきへ

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品川始発のひたち1号に東京から乗車し、いわきへ向かいます。この、常磐線特急に東京から乗るという経験自体がなんだか新鮮でした。

車内の席ごとの発券状況を示す赤・黄・緑のランプが駅ごとに自動的に変わっていくのも、見ていておおお~っ、という感じです。

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途中、日立駅付近で太平洋が見えてきます。この日は午前中は雨がぱらつく天気だったので、眺望はあまりよくはありません。

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このブログでは何度も書いている気がしますが、海に続く道、その向こうに広がる海、という構図は大好物です。

それなりに車窓を楽しんだりしているうちにいわき駅に到着。

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お目当ての651系が対面に待っていました。

651系普通列車に乗る

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震災前の常磐線特急はそんなにたくさん乗ったわけでもないのですが、主に水戸・勝田までの短距離の「フレッシュひたち」で使われた、編成ごとにカラーリングを変えたポップなE653系に対して、主に「スーパーひたち」として長距離輸送を担い、それにふさわしい風格を漂わせていた651系は好対照だったのを憶えています。

この乗車の1週間ほど前から、いわき~竜田間で4両編成の普通列車として運用を開始していました。公式には明らかになっていませんが、東北本線黒磯駅の配線改良に伴い、直流・交流の切り替えポイントが黒磯駅の北側に移動し、黒磯~新白河間で交直流電車が必要になるため、常磐線から捻出する目的だったと言われています。実際、この区間では気動車による列車もあり、車両繰りには結構苦労しているように見受けられます。

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期間限定の幕。

車内はリクライニングシートをボックスシート状に配置していました。

以前、関西で転換クロスシート車ほぼ100%のエリアに暮らしていて、東日本ではほとんどボックスシートしか見かけないので、「そこまでしてボックスシートなんかい!」とツッコミたくなりましたが、これは特急ではなく普通列車。終着駅でサービスとして座席転換をする人員を割くわけにもいかず、いろいろ考えると現実的な策ではあります。転換クロスシートなら、乗客が好き勝手にバッタンバッタン向きを変えるのに任せればいいのですが、リクライニングシートでは周囲の協力も必要になりますし。

 

ただ、少し閉口したのは、そのボックスシート状の4席を独り占めする人が目立ったことでしょうか。

実際、利用客は「ボックス」に1人程度なのですが、向かいの席に足を延ばして座ったり、向かい側の席に荷物をどっさり置いたり。

それが許される程度の乗車率、と言ってしまえばそれまでかもしれませんが、特急からの乗り換え客が増えて、混んできても見直す人がいなかったのは、ちょっとどうかな、と思いました。

結局、写真撮影に出ていた鉄道ファンと思われる、1席だけ荷物だけが置かれた「ボックス」を見つけて、不在の隙にその前の席を回転させて着席しました(下車する時にはちゃんとボックス状に戻しておきましたよ)。

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いわきは内陸側にある駅ですが、海側へ進み、久ノ浜付近は海沿いを走ります。

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末続駅。曇り空と同化してしまっていて見えませんが、背後に太平洋が広がっています。

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そして、列車はほどなくして当時の終点だった竜田に到着しました。

代行バスから見た重い現実

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すぐにいわき行きに切り替えられた行先幕。

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当時の竜田駅はこんな感じ。

暫定的に3番線だけが使用され、駅舎とホームの間には仮通路が設けられていました。

現在は、JR東日本楢葉町によるリニューアルが進められています。

www.kahoku.co.jp

 

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代行バス原ノ町行きで2台編成。仙台方面に向かうための便はほとんど浪江行きになっていましたが、浪江駅で乗り換えられる列車がない便だけ原ノ町発着だったようです。観光バス型の車両で、その辺の普通列車の車両より快適です。

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周囲から浮いたカラフルで小さな建物があると思ったらトイレでした。そう遠くない時期に整備されたように見受けられました。

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だいぶ遠くになるのでボケているのですが、稼働している信号機の隣に、×印がつけられた信号機が。富岡までの運転再開時に稼働するものだったのでしょう。

代行バスは、帰還困難区域を通ること、絶対に窓を開けないことといったアナウンスをして出発しました。

そして、しばらくすると車内の誰もが言葉を失うことになります。

地震で窓ガラスが割れたり、内部が散乱したりした被害を受けたまま、打ち棄てられた店。とりあえずバリケードだけ張ったり、窓に板を打ち付けたりして閉鎖した店。植物が伸び放題絡み放題な建物。ゴーストタウンとしか呼びようがない現実がそこにありました。

写真を撮る音だけが響きます。

私は、そうした建物にカメラを向ける勇気がなく、こんな写真ばかり撮っていました。

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本来なら田園地帯としてよく手入れされ、作物が育ち、人の営みが感じられたはずの場所。それも野生の草原のような変わり果てた姿になっていました。

途中、立ち寄って停車した富岡駅は、3か月前(2017年4月)に避難指示が解除されたばかりの場所。駅周辺が復興拠点とされており、付近には定住用の住宅が大量に並べられていました。

駅前の震災以前からの住宅地にある建物は、ほとんどが打ち棄てられたもの。あるいは地震で損壊したもの。その中にごくわずかに、暮らしを取り戻そうとしている人の姿も見えました。

避難指示が解除されたと言っても、人はまだ小さな拠点を作ろうとしているにすぎず、周囲の広大な領域は取り戻そうとすらできていない、まるで進撃の巨人のような世界だということを感じさせられたのでした。

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廃棄物を保管するための囲い。奥の方には黒い袋がどんどん置かれていっていたようです。

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小高駅前。

この辺まで来ると、人の営みも感じることができて、ホッとするものがあります。重苦しい空気もだいぶ和らいできていました。

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真新しく整備されたばかりの常磐線の線路。

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原ノ町駅に到着。ここから鉄道に乗り継ぎです。

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701系と721系の混結編成でした。

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列車は移設された真新しい新線を進んでいくのですが、海側では防潮堤の工事中。この後、北に進むたびにずっと目にすることになります。これもまた、震災がもたらした新しい現実なのでした。

この辺は移設された線路や駅をほー、へーと見るぐらいで正直あまり興味がなかったので、特に写真を撮ったりすることもなくそのまま仙台へ。昼時でしたが、昼食をとる間もなく短時間で仙石東北ラインへ乗り換えて次へ進むことになりました。

この後については次の記事をご覧ください。

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走り続ける、変わり続ける。大阪環状線大阪駅

タイトルはOsaka Metroのキャッチフレーズなのですが、なんとなくピッタリな感じがしたのでそのまま使ってみました。

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新しい大阪環状線の顔、323系電車。

2019年6月に201系からの置き換えが完了した直後の訪問で、変わりつつある大阪駅の姿をいくつか垣間見ることができました。

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大阪駅外回りの発車案内。以前から見ている表示とちょっと変わっています。

  • この中に1つだけ、ロングシート車の列車があります
  • この中に1つだけ、新今宮へ行ける列車があります

と言われて、どれかすぐ特定できますでしょうか。

正解は13:04発の「京橋・鶴橋方面」の列車なのですが、以前は行き先は「環状」であり、また、201系の時は乗車位置は「〇1~8」で、明確に区別がついたのです。

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323系は、山手線のE235系などと同様に、キーとなる駅を決めて「〇〇・××方面」という表示をするようになりました。おそらく、それに合わせて行き先表示を変更したのでしょう。

しかし、これは改善なのかどうか、ちょっと疑問にも感じます。

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大阪環状線の列車の他、関空・紀州路快速大和路快速が発車する内回りホームの乗車位置案内。これも大きく変わりました。

 

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以前の乗車位置案内は、このように4ドア(〇印)と3ドア(△印)で分かれているだけでした(写真は弁天町駅のものですが、大阪駅もだいたい似たようなものでした)。

そのため、どちらも3ドア車で運転される関空・紀州路快速関空・和歌山方面)と大和路快速(奈良方面)の乗客が同じ待機列に混在し、しばしば混乱を引き起こしていました。

3ドアに統一することで、このように列車の種類ごとに区別した案内ができるようになったというのは大きな改善点だと思います。

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225系の普通天王寺行き。大阪までは関空・紀州路快速としてやってきた列車でした。

大阪駅の構内は他に、大阪環状線に限らずいろいろ撮ったのですが、どれもイマイチ冴えない感じで、もう下の1枚で十分だという気がして、記事にするのはやめておこうかと思います。

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阪急京都線「京とれいん」新旧乗り比べ (2)「京とれいん 雅洛」河原町→梅田

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阪急京都線に新登場の観光列車「京とれいん 雅洛」

今年、阪急電鉄のうち大阪と京都を結ぶ京都線(梅田~河原町間)に登場した「京とれいん 雅洛」。宝塚線神戸線で運転されていた7000系電車をベースに、「ご乗車された時から京都気分」をコンセプトに大胆に改造された車両です。料金不要で運賃のみで乗車できます。

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「京とれいん」としては、2011年に登場した初代に続く2編成目になります。休日ダイヤでこれまで日中2時間間隔で運転していたのが、2編成あわせて1時間間隔の運転となり、ぐっと存在感が増した感じだと思います。

初代については下記に書きましたのでご覧ください。

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「京とれいん 雅洛」について

上述の通り、2019年3月に運転を開始した編成。初代と同様の6両編成です。

改造前は3ドアロングシートの一般的な車両だったため、中央のドアをつぶして円窓とし、座席配置も様々な工夫を凝らしています。

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ドアをつぶして円窓とした部分。

このように、ドアをつぶす改造をした車両は、その部分がドアをつぶしたのがみえみえな感じで残ることが多いのです。例えば、最近登場した車両でいえば京阪8000系の「プレミアムカー」やJR東日本日光線用の「いろは」、JR西日本の新快速の「Aシート」などです。

ところが、この「京とれいん 雅洛」は、ドアの痕跡をまったく感じさせずに、円窓と扇の絵など(絵柄は車両によって異なる)をあしらうことで、まるで元からそういったデザインであったかのような出来栄えになっています。料金を取らない車両なのに、その力の入れようは有料化した車両以上と言えます。

このドアをつぶした部分を車内でどう扱っているかも注目点ですが、車内を見て行きましょう。

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1号車・6号車は2人用+4人用のボックスシート。ちなみに梅田側が1号車です。円窓の部分もボックスシート用の窓として機能しており、まったく違和感はありません。窓の大きさという意味では前後の席より劣るかもしれませんが、京都らしい演出として、それはそれで1つの楽しみと言えると思います。

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運転席背後は2席分の横向きシート。ここは一般車両と変わりませんが、エントランスと格子で区切られているあたりがおしゃれです。

また、運転席と反対の車端部には、L字のソファ状に配置された座席もありました。

2号車・5号車には、ドアをつぶした中央部分に話題となった坪庭があります。

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上が2号車の枯山水の坪庭、下が5号車の京町家の坪庭です。

坪庭の向かいには畳座席(ロングシート)が配置され、坪庭を愛でつつ、円窓の向こうに西山や北摂の風景を眺めて楽しむという趣向になっています。

坪庭の両側はロングシートの座席ですが、座布団状のシートとなっており、柄にも工夫が凝らされ、和の雰囲気を高めるデザインとなっています。

3号車・4号車は、北側は2席分と3席分を組み合わせた窓向きの座席、南側は1席分のクロスシート(円窓を中心とした集団見合い型固定式)の座席となっています。つまり、円窓の部分は向かい合わせのボックスシートになります。

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窓向き座席の眺望については、同じ方向で車窓を撮影した下記記事も参考にしてください。

a-train.hateblo.jp

このように座席の配置がバラエティに富んでいる他、車内の数々の装飾も、初代にはない工夫が凝らされています。

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民家の横開きの玄関のようなドア。

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案内表示にも花の柄をあしらった装飾が。

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エントランス部分の竹状の装飾。

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円窓にあしらわれた梅の柄、両側に飾られた扇子。

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上部を彩る簾のような装飾と、木材を組み合わせた木造建築のようなデザイン。

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簾状の遮光幕。

全般的に、座席そのものの居住性としては転換クロスシートが中心の「京とれいん」の方が上かもしれませんが、窓向き、ボックス、1人掛け、ソファ状など多様な形状の座席を用意した上で、内外装にこだわり抜き、見た目の楽しさ、京都気分を味わえるという点で、これまでにない特色を持つ編成と言えるかと思います。

また、「京とれいん」と同様に無料Wi-Fiが使えるほか、この編成の独自サービスとしてスマホなどで前方展望が楽しめる「前方映像配信サービス」が用意されているなど、機能面でも充実しています。

「京とれいん」と比較してのメリットと注意事項は以下の面があります。

  • 多様な座席が用意され、1人~複数名までいろいろな利用シーンに対応可能
  • 車内の装飾にこだわり、見た目で京都の雰囲気を楽しめる。
  • ベースが一般の3ドア車両なので、十三駅に設置されたホームドアにも対応可能。宝塚線神戸線との乗り継ぎにも便利。
  • Wi-Fiの他、「京とれいん」にはない前方映像配信サービスが利用可能。
  • もともと、宝塚線神戸線で運用されていた車両なので、京都線専用ではなく直通運転が可能(京都線の車両は若干サイズが大きく、宝塚線神戸線に入線できない)。実際に2019年春の平日に西宮北口~嵐山で運転された実績も。
  • すべての座席は固定式。3・4号車の1人掛けクロスシートも集団見合い式なので、進行方向と反対向きになる席も。ロングシートも多く、クロスシートを期待すると不向き。

実際に乗ってみた

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この日、ひとしきり旅行を終えて河原町駅に戻ってきたのは、発車まで30分近くある16:14ごろでした。右側の特急の発車時刻の「16:18」がそのあたりの証明です。

梅田からやってくる「京とれいん 雅洛」が到着するのが16:15の予定。

まあ、発車まで26分もあれば、10分間隔で運転している特急を差し置いて京とれいんを選ぶ人もそんなにいないだろうし、座席は選び放題、撮影もし放題……

……と思ってたらそんなに甘くはなく、発着する2号線に行ってみるとすでにかなりの乗車待ちの人が。

やはり、登場してまだ3か月弱の新車、それも凝りに凝ったデザインの車両ということで、「京とれいん 雅洛」を選んで乗りたいという人はまだまだ多いようでした。

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上にも貼った写真ですが、すでに多くの人が乗車していて、露骨に写さないように撮るのが精いっぱいな感じでした。

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先頭部で写真を撮ってると、同じようにいろんな人が撮影のために入れ代わり立ち代わりやってきます。

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最初に確保していたのは、運転士の後ろの席。写真で黒いリュックを置いてある席ですね。反対側の席は、すでに他の鉄道ファンと思われる人が取っていました。

ところが、そこに座ってると、目の前に親子連れが入れ代わり立ち代わりやってくるわけです。

子ども「先頭がいい~」

母親「はいっ、先頭。ほら、前が見えるだけでしょ、行くよ」

子ども「……」

そんな、ひどい……。

さすがにいたたまれなくなって、後ろの方のロングシートの席に移りました。どこかの子どもさんが楽しんでくれていたらいいのですが。

この日最後の京とれいんで、京都を観光して帰るのにもちょうどいい時間帯ということで、烏丸を出る時点ですでに立ち客が出るほどの混み具合でした。なので、車内のデザインなどもあまりじっくり見ることができません。

ここで、先ほどから紹介している前方映像配信サービスを利用してみることにしました。

前方映像配信サービスを利用してみた

車内にはアクセス用のQRコードがいくつも貼られていますが、それを探して読み取らせるのも混んだ車内では難しいので、あらかじめURLを登録しておくのがよいかと思います。

やり方としては、

  1. 車内で利用できるWi-Fi「Garaku_View_exclusive_use」に接続する
  2. http://garaku.hankyu.co.jp/ に接続する

というだけなのですが、要注意点として、「Garaku_View_exclusive_use」はインターネットへの接続はできません。つまり、これに接続した状態で、インターネットを利用してその先の手順を確認しようとしてもできないわけです。ちょっとこの辺は使い勝手がいまいちだと思う点。

また、仕様として

  • 進行方向の先頭車(河原町行き=6号車、梅田行き=1号車)のみ閲覧できる
  • 駅に停車しているときは配信も中断される

ということも押さえておく必要があります。

映像は、遅延も少なく意外と鮮明です。スマホの画面で見る分には問題ない程度の画質と言えます。

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西山天王山駅を通過するところ

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大山崎駅手前、JR京都線の下をくぐっていくところ

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上牧駅を通過。左側には東海道新幹線

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茨木市駅を通過

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淡路駅を発車後。左側には千里線(天神橋筋六丁目方面)が分岐

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十三駅を出て、淀川を渡る直前。向こうには梅田のビル群が

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梅田駅到着の直前。

私の隣に座っていた子どもも、親御さんに設定してもらって見ていたようです。
こういうサービスは、近鉄アーバンライナーや西武のLaviewなど、車内の案内モニターで実装されていたりしますが、若干設定がとっつきにくいとはいえ手元のスマホで楽しめるというのは画期的なサービスではないかと思います。

梅田到着後は撮影会に

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梅田に到着したらそれで終わりではなく、車両の写真を撮っておきたい、という人が多く残っていました。

デザインに力を入れた甲斐はあったのではないか、と思える人気ぶりです。

車内にはいろんな座席があるので、「次はあの座席に乗ってみたい」という感じで、何度も楽しめそうな列車です。

デザイン変更 黒地から白地へ

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以前のデザインの背景に使っていた、「A列車で行こう9」のゲーム画像

ブログのデザインを変えました。

以前は、なるべく「A列車で行こう9」の美しい画面を活かしたくて、上の画像を背景とし、半透明の黒地に白字の文章を載せていたのですが。

 

どことなく画面が重い感じがあって気になっていました。

スマホからブログを見るとこうしたデザインは反映されておらず、普通に白地に黒でスッキリと見やすかったりして。

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三陸鉄道 浪板海岸付近の風景

そんなわけで、白地に黒文字、背景も明るめのものにしよう、ということで試しに変えてみました。

背景画像はとりあえず上のものを設定していますが、もう少しいろいろと試したい感じもしています。

震災復興、海の絶景、新サービスの列車……2019年上半期に行った場所、書いた場所

はてなブログ今週のお題「2019年上半期」に寄せて。

このブログでは、最近、旅行に行って見聞したものを、写真を中心に次々と書き続けています(ブログの本来の目的を半ば放棄して……)。

それは今年上半期に限った話ではないのですが、とにかく訪れた場所が多く、まだまだ終わりが見えません。

それも、以前は1件あたりの写真の枚数が少なめだったのが、最近は数十枚とか100枚とか溜まっていることも多く、それらをどう構成するか考えたり、映りが悪いのを修正したり、人が映り込んでいたらモザイクをかけたり、といった作業だけでもかなり時間がかかっています。

誰かのためにというよりは、まずは自分の記録として書いていて、カテゴリ分けされた記事の集積が結果的に誰かの役に立てばいいなという感覚です。

とりあえず、今年上半期に行った場所と、それに対するブログ記事を振り返りたいと思います。

2019年2月

2019年3月

2019年4月

2019年5月

2019年6月

「未執筆」の多さにクラクラ来ますが、とりあえずできるだけタイムリーなものから書いていくようにはしたいと思います。

下半期に行ってみたいところと、他にまだ書けていない場所

下半期、今のところ行ってみたいネタとしては以下のものがあります。どのぐらい行けるかわかりませんが。

 また、昨年以前の記録でまだ書けていないのは、主に以下のようなものがあります。

ってえええええええ……思いつくままに書き出したらこんな行数になってしまうとは。せいぜい10行程度に収めるつもりだったのに。

とりあえず、この上半期に訪れたところで、まだ書けてない場所からいくつか写真を抜粋しておきます。

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熊谷桜堤、満開の桜と夕暮れ

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大井川鐡道のアプト式機関車

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叡山電車の観光列車「ひえい」と「きらら」

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びわ湖浜大津駅に到着する京阪京津線の列車