君と、A列車で行こう。

鉄道とシミュレーションゲーム「A列車で行こう9」を中心に綴るブログ。当面、東北地方太平洋沿岸の訪問をメインにしています。

ジョイフルトレイン「ジパング」

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ジパング編成の側面にあしらわれたロゴ

令和最初の旅行は東北へ。

その中で、もはや数少なくなった485系特急車の生き残りであるジョイフルトレインジパング」に乗車する機会がありました。

(新幹線の車内に荷物を忘れてしまい、それを引き取るために予定外に盛岡に行くことになったためというのは内緒です。人間万事塞翁が馬というか、なんというか)

車両については下記ページで紹介されています。

www.jr-morioka.com

乗車したのは快速ジパング4号 盛岡 13:04発→一ノ関 14:20着の列車。

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盛岡駅に入線したジパング編成

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指定席の乗車口付近。映像と光の演出の中を通って座席に向かいます

指定席は1号車・4号車で、2人ずつ区切られた両側窓向きの座席。

自由席は2号車・3号車で、通常の特急列車と同様のリクライニングシートになります。

 

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先頭部にある運転席背後の展望席

両先頭車は上述の通り指定席車ですが、運転席背後にある展望席(各車両につき8席)は指定席ではなく、自由席利用でも移動して展望を楽しむことができます。

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展望室からの眺め。写真では窓が汚れているようにも見えますが、これは直前まで雨が降っていたためです。

展望席があるとはいえ、じゃあ運転士と反対側まで綺麗にワイプしてくれるかというと、そこまで気を遣ってもらえるわけではないです。

この日は、この列車の主な目的地となる平泉の関山中尊寺付近は大混雑で、例えば金色堂の拝観のために長蛇の列ができていたり、付近の道路も大渋滞だったりしたのですが、そんな日でもこの列車は比較的すいていたようで、1号車でいえば座席がいっぱいになるということはありませんでした。

 

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岩手飯岡矢幅間の貨物ターミナル

 

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ゆったりとした東北の風景。

この列車の進行方向から見て右後方(盛岡駅から北西方向)には、小さいですが岩手県最高峰の岩手山と思われる山も見えます。

盛岡~一ノ関間は北上川沿いの広めの平地で線形もよく、手前の田園風景と奥の方の山並みを楽しみながら、花巻・北上と進んでいきます。

 

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平泉駅で下車。

駅名看板や駅舎全体も、やはり世界遺産の町の玄関口といった感じのつくりになっています。

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平泉駅からみた駅前ロータリー。右にバス乗り場、左にタクシー乗り場がある簡素なつくりでした。

この後、中尊寺に向かったのですがそれは別記事にて。

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8000系天国 東武東上線・越生線

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川越特急で池袋から終点の小川町まで乗車した後、東武東上線の残りの区間(小川町~寄居)と、坂戸~越生間の越生線にも乗りに行きました。

東京で見る東武鉄道のイメージとは全く違った世界が、そこにはありました(ちょっと大げさ)。

そこで出会った車両の写真をまとめて貼り付けておきます。

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東武東上線 小川町~寄居間を走る、スタンダードな8000系編成

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寄居駅。奥には秩父鉄道の駅が、そしてさらに奥にはJRの駅が。

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越生線を走る、「フライング東上」再現塗装の編成

青い鳥号というのは、昔、東上線を走っていた有料特急の列車名だそうですね。

 

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越生線を走る、昔のセイジクリーム塗装の編成

Wikipediaによれば、塗装簡略化のための単色化だったものの、「下塗りのまま」と言われたり、汚れが目立ったりで不評の声もあったそうで。

今ではこうして、昔を懐かしむ塗装として再現されるのですからわからないものですね。

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越生駅で並ぶ東武とJRの車両

こうして並んでみると、直線的なキハ110系対丸みを帯びた柔らかめの8000系、という違いはありますが、貫通扉の両側の窓枠部分を黒くするとか、なんとなく似ている点もあるような気がします。

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越生駅を出発するJR八高線の列車

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8000系登場初期の塗装を再現した編成

この区間は、当日急に予定を変更して来たこともあり、乗りつぶし達成のために淡々と乗るつもりでいたのですが、思いもよらずいろいろな編成に出会うことができ、楽しい往復になりました。

 

※2019/6/8 写真1枚追加しました(越生駅東武・JRの並び)

東武東上線「川越特急」に乗って

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2019年3月16日に登場した、東武東上線の「川越特急」。終着の小川町駅にて

東武鉄道が、「川越観光といえば東武」というイメージ向上のために2019年に投入した「川越特急」。東上線では約11年ぶりの「特急」と名の付く列車の運行らしいですね。

デビューから2週間後、川越に行く目的で池袋から乗車しました。

 

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池袋駅の発車案内。10時発の川越特急です。英語だと種別表示がかなり狭苦しいです。

乗車中、いくつかの駅で発車案内を見ましたが、駅によっては「川特」とか表示していたりしました。

 

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ホームドアに貼られた発車案内。池袋発は午前の小川町行き2本のようです。

 

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デビューして間もない時期ということもあってか、先頭部には到着を待つ人が集まっていました。

 

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独特のフォントはLEDでも再現されています。

 

今回、TJライナー等も含めて初めて、50090系車両に乗りました。

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ロングシートとして使うこともあってか、あまり飾り気のないシート。

クロスシートロングシートの転換が可能なタイプとしては関東では先駆者になりますが、先駆者は得てして後発よりも見劣りがするものです。

 

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足元には特急用のクロスシートのようなペダルが。

これを踏んだら手動で回転できるんでしょうか?(Wikipediaを見たら、回転できると書いてありました)

池袋を発車する直前に、先頭車に女性のコンシェルジュと思われる方が乗車。

しかし、列車に乗り込む前からある乗客とずっと話し込んでいて(何を話していたのかわかりませんが)それが終わった後も乗客に何かサービスをするわけでもなく、車内を移動したりしていました。

おそらく、何か質問されたら答える、というスタンスなのかもしれない、と感じました。確か、川越市あたりで下車したと記憶しています。

川越に着くまでの間に、川越観光についてのアナウンスが流れていました。

さて、当初は川越もしくは川越市で下車するつもりだったのですが、当日は朝から曇り空で、昼ごろから晴れるという予報。川越着の時点では時折小雨が降るような天気だったので、すぐに降りるのはやめて、前から気になっていた東上線の終点の方まで行ってみることにしました。

川越市を過ぎたあたりからどんどん車窓に田畑が広がるようになり、郊外の街並みへ。そして小川町に到着しました。

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折り返しは森林公園行きの普通。そのまま入庫して午後の池袋行きとして運用する為か、クロスシートでの運転だったようです。

 

乗車した印象としては、東武としてもいろいろ手探りなのかな? という感じ。

手持ち無沙汰な感じのコンシェルジュが特に象徴的だったのですが、本数も限られること、名前に似合わず小川町まで運転していたりすることなど、池袋からわずか26分という時間でどのようにサービスを提供したらいいのか、まだ練り切れていない、という感じがしました。

同じ日に同じ池袋を発着する西武鉄道の新型特急車「Laview」がデビューしたこともあり、東武としても存在感を見せるためにとりあえず、手持ちの資源でできることから始めてみた、ということではないかと想像しています。

 

小川町から先の寄居方面と、越生線については別の記事にて。

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京成・市川真間駅が「市川ママ」駅に

 

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母の日企画として「市川ママ」駅になった市川真間駅

2019年4月27日から5月12日まで、京成電鉄市川真間駅が「市川ママ」駅になっていました。

お母さんありがとう!市川真間駅が「市川ママ駅」になります!(4月27日~5月12日)http://www.keisei.co.jp/information/files/info/20190423_170720629075.pdf

京成電鉄(本社:千葉県市川市、社長:小林 敏也)では、2019年4月27日(土)から5月12日(日)の間、市川真間駅の駅名看板を「市川ママ駅」に変更します。それに併せ、京成バス(本社:千葉県市川市、社長:齋藤 隆)においても市川真間駅停留所の看板を「市川ママ駅」表記に変更します。

 

これは、市川真間駅の読みが「いちかわまま」であることにちなんで、5月12日(日)の「母の日」に合わせて実施するもので、カーネーションを彩ったデザインの駅名看板に変更します。また、今回の駅名看板変更に伴い、記念入場券の販売やフォトスポットの設置、地元商店街「真間銀座会」による飲食物販売などさまざまなイベントを実施します。

最近は、京浜急行が積極的にやっている駅名いじりですが、都営浅草線を通して京成にも伝播してきたようです。

ちなみに市川真間駅は、停車するのは普通のみ、よくある島式2面4線のホーム、よくある橋上駅舎、駅付近はよくある住宅街、ということで、本当にありふれた駅という感じです。

www.keisei.co.jp

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市川ママ駅を発車するうすい行き普通

ニュースサイトで配信されていた記事などでは、「1か所だけデザインが異なる看板がある」という京成電鉄広報のコメントもあり、そのあたりを見に行ってきました。

 

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ホームの柱に掲示された駅名看板

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ホームの天吊り看板

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駅出入口(階段)の看板

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駅出入口(北側エレベータ)の看板

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駅出入口(南側エレベータ)の看板

どの看板も、「市川ママ」の文字にカーネーションの絵をあしらった可愛らしい看板です。

私のように見物目的と思われる人もいましたが、地元の利用者と思われる方々も、看板を入れて記念写真を撮ったりしていました。

プレスリリースにある通り、付近の市川真間バス停の看板も変わっていました。

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市川駅方面バス停の看板

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市川駅発各方面のバス停の看板

広くはない橋上駅舎では、スペースをフルに活用していろんなイベントが行われていました。

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駅構内に掲示されていたポスター

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ポスターのうち、企画の紹介部分

 

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改札内に設置されたフォトスタンド

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似顔絵の展示

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改札内の装飾。上部には「Love MAMA」の文字が

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3年後の母の日に届く、タイムカプセル郵便

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改札外の通路では、カーネーションの販売、近所のお店のパン・コーヒーの販売等

さて、冒頭に書いた「1つだけある違うデザインの看板」ですが、船橋津田沼方面下りホームの柱看板にそれはありました。

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女王パンダがあしらわれた「市川ママ」の看板

 

せっかくなので駅付近を散策

さて、駅だけ見るのもそっけないので、付近の見どころを探します。

これは市川真間というよりJR市川駅の目の前になってしまうのですが、調べていると興味深い店がありました。

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市川真間駅からJR市川駅へ向かう道から見える松の並木

市川真間駅からJR市川駅は歩いて数分です。

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字が飛んでよく見えませんが、「Yamazaki Plaza Ichikawa」と書いてあります。

建物が「サンプラザ35」という名称で、山崎製パン運営のレストランやショップが各階にあり、1階が「ヤマザキプラザ市川」のようです。

www.yamazakiplaza.co.jp

上のサイトを見ると、ここが、山崎製パンの創業の地なのですね。

パン・洋菓子・和菓子が売られており、イートインコーナーもあります。

山崎製パンの市販品も豊富に販売されています。

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市川市特産という梨を使ったオリジナルスイーツ。バームクーヘンとプリンがあるようです。

ふなっしーのおかげで、梨というと船橋市なイメージがありますが、実際、梨の栽培が盛んなのは船橋市の他、鎌ヶ谷市市川市松戸市白井市にまたがる一帯で、どこも梨が特産品だとアピールしており、生産量で互いをライバル視していたりもするようです。

 

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店舗の奥の方にある、ご当地ランチパックの分布図と、実際に販売されているランチパックや派生品の数々。種類の多さに驚かされます。

 

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週替わりで、地域限定ランチパックを入荷しているようです。

 

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味ごとにパッケージを彩る、ランチちゃんとパックくんについての展示。

ランチパックミュージアム的な趣で、なかなか楽しいです。

 

駅名についての少しまじめな考察

今回は京成電鉄ですが、いろいろなコラボを大々的にやっている京急の他、JR・神戸電鉄三田駅のクリスマスの「サンタ駅」など、駅名をイジる企画は各地にあります。

平成という時代を通じて大きく変わったことの1つに、駅名というものの広告価値が重視されるようになってきた、ということがあります。

単なる識別記号ではなく、単に設置場所の地名をつけるだけでもなく、それがどういった価値を生み出すか、ということが考慮されるようになってきています。

ネーミングライツも含めて副駅名をつける駅が増えてきたこと、駅名を公募で決める動きが広まってきたこと、複数の名詞を盛り込んだ長い駅名が増えてきたこと、そして広報戦略の失敗のために(と私は考えていますが)騒動になった「高輪ゲートウェイ」駅なども、そうした文脈でとらえることができます。

 

 

今回の企画は、関係者がインターネットで市川真間駅に関する言及を見たのがきっかけだそうです。

www.fnn.jp

 ーーこの企画を始めたきっかけと名前の由来は何?

インターネットの「市川真間駅はあるのに市川ママ駅はない」という書き込みを見たのが元々のきっかけでした。
その書き込みをもとに市川真間駅の駅長および駅係員によって発案致しました。

 

この市川真間駅は、昔から何気なく気になっていたり、ネタにしていた人は結構いたんじゃないかと思います。私もその1人でした。

その駅を、鉄道会社が自らイジるようになったということで、他に昔から噂になっていたような駅も(京成に限らず)、似たような企画が増えていくのかもしれません。

 

ちなみに、はてなブログの「今週のお題」が「母の日」らしく。

西武の新型特急車Laviewに乗ってきた

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西武鉄道の新型特急車両「Laview」

秩父方面に行く際に、せっかくなので2019年3月16日にデビューした新型特急車Laviewに乗ってみました。

デビューから3週間後ほどの時期になります。

直前だと席が取れないのではないかと思い、数日前にインターネット予約の会員登録をして予約しておきました。

結局、下の画像では空席状況が「〇」になっていますが、いい席が空いているとは限らないですし。

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将来的にはすべてLaviewに置き換わるようですが、現時点ではまだ限られています。そのため、「この電車は、ラビューです。」という案内があります。

 

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池袋駅の特急専用ホームの入口。天井が低いこともあってちょっと狭苦しい感じ。特急列車の旅を盛り上げよう、という感じではないです。

 

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特急専用ホームは、一般列車のホームと直列の構造。Laviewの入線の前には、秩父鉄道に直通する快速急行長瀞・三峰口行き)が発車していました。

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片側2ドアのボックスシート車。西武にこんな車両があったんですね、という驚き。関東の私鉄はあまり乗り慣れていないので、意外な発見がいろいろとあります。

 

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Laview専用の乗車位置案内。

 

Laviewが入線してきて、発車まで時間があったのでいろいろと見て回りました。

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先頭形状の独特さが話題になっていましたが、まあ25年前にすでに南海のラピートのような特急もあったわけで、何か特筆すべきものがあるかというと、どうかなあという感じ。

むしろ、先頭部はこれだけ丸くしたのだから、側面も丸みを帯びた形状にしたかったと思うのですが、地下鉄へ直通可能な仕様で作ったために丸みがなくなってしまったアンバランスさが、デザイナーとしては心残りだったのではないかと思ったりもします。

 

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登場してまもないということもあり、車両に注目している人も多かったです。

 

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駅に到着する時に車掌が見る停車位置目標と思われるもの。「L」はLaviewの意味でしょうか。

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これまでの特急レッドアローが7両編成だったのに対し、Laviewは8両編成です。

そのため、7両分しかない特急専用ホームからはみ出して、一般列車用の乗車位置までかかってしまっています。これでは、両方のホームを同時に利用するのは難しいです。

一般列車が8両編成とかなら可能かもしれませんが。

かろうじて、特急ホーム用の出発信号機にはかかっておらず、運転席からも視認できる状態ではありました。

この辺、全編成がLaviewに置き換わるまでにはなんとかするとは思うのですが、といってどうするのでしょうね。一般列車も含めたホームの長さに1両分の余裕があればいいのですが。

 

 

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行き先表示はフルカラーLED。

 

Laviewの大きな特徴についても見て行きたいと思います。

まずは、縦方向に大きな窓。

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圧倒的な丸見え感です。

あいにく適切な比較材料に乏しいのですが、普通の車両だと、手前の座席は下の写真のようにほぼ上半身しか見えないはずです。近づいても、通路側の足元がようやく見えるかなというぐらい。窓側座席の足元は、それこそのぞき込むようにしないと見えないと思います。

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意図はよくわかりませんが、窓全面に白いドットがデザインされています。それが下の方に行くほど大きくなり、若干、目隠し的な効果はあるのかもしれません。

 

Laviewのデザインコンセプトとして「都市や自然の中でやわらかく風景に溶け込む特急」というのがありますが、それがもっともよく表現されているのが、車両にあしらわれたロゴだと思います。

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同じ場所で同じロゴを向きを変えて撮ったものですが、これだけで、反射する光によってかなり変わった色彩に見えます。車体全体がシルバー塗装らしいですが、ロゴ部分は特に反射しやすい塗装になっているようです。

 

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車内の様子。黄色のシートはちょっとケバいようなイメージもあったのですが、こうして実際に乗ってみると、照明もあって全体として暖色系の雰囲気が出ていて、居心地の悪さはまったくありませんでした。

むしろ、暖かい色使いの中に黄色のシートが明るさを与えていて、単調ではないリッチな空間になっているのではないかと思います。

列車が動き出すと、動き出しはとてもスムーズで、揺れも少なく、新幹線のN700Aとかを思い出すような快適さでした。

シートの形状も特に座りづらい感じはなく、ゆったりとくつろげるものでした。個人的には、最近のJR東日本の特急車にもある、上下可動式のヘッドレストがあるのが嬉しいです。

 

やがて飯能に到着すると、下車する人も多かったのですが、残った乗客がそれぞれ座席を回転させていました。

 

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秩父が近くなってきました。

窓全面にあしらわれたドットが邪魔……。

水戸岡鋭治流だと、窓の周囲を縁取るようにしてドットをつける、というのはあったように思います。

この辺は見直してほしいなあ、と思うところです。

 

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西武秩父の1駅手前、横瀬で、上で紹介した秩父鉄道直通の快速急行と接続。待機しているのは長瀞行きで、ここで乗り換えるとダイレクトに向かうことができます。

三峰口行きはすでに発車しており、次の西武秩父で乗り換えになります。

この辺は特急からの接続も考慮したダイヤをうまく組んでると感心しました。

 

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西武秩父駅に到着。

窓のドットだけが気になりますが、その他はさすが新型特急車にふさわしい快適さでした。

西武線の運行距離ならそこまで気にならないかもしれませんが、レッドアローは今となっては平凡な特急車両ですので、Laviewを選んで乗る価値は十分にあると思います。

伊豆西海岸・雲見浅間神社から見た絶景

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上記の記事で堂ヶ島に滞在した間に、もう1か所、伊豆西海岸の景勝地に行ってきました。

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雲見浅間神社烏帽子山からの眺望

堂ヶ島から南、雲見温泉近くにある烏帽子山からの眺望がすばらしい、という情報を見て、行ってみたくなったのでした。

両地点を直通するバスは1日1往復しかないので、他のバスを途中の松崎バスターミナルで乗り継いで向かいます。

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松崎バスターミナルは、西海岸の交通の拠点となる場所。

松崎町の住民からは「松崎駅」と呼ばれている。 

 とWikipediaには出典なしで書かれていますが、本当ですかね?

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松崎バスターミナルのバス乗り場

すべての乗り場が1つの島に集まっており、ダイヤによっては対面乗り換えもできます。

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松崎バスターミナルの発車案内

ここから南に向かうと、海岸まで険しい崖が迫るようになり、上の地図に示されている通り、カーブの多い道を(当然勾配も多く)進んでいきます。

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そして、雲見温泉バス停に到着。

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雲見温泉バス停

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雲見温泉の集落

いかにも温泉街という感じではないのですが、民家に近いような民宿が点在していました。

ここから少し歩くと、雲見浅間神社に着きます。

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入ってすぐのところにある烏帽子山の案内図。

つまり、山頂近くの本殿までが神社であり、烏帽子山全体が神社の境内ということになります。

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富士信仰にまつわる伝説。

烏帽子山から富士山が見えることもありますが、それを褒めてはいけない、とか言われているそうです。

さて、ここから山頂に向かうわけですが。

思ったよりはるかに危険でした。

ということは書いておきたいです。

山頂の展望台に至るまで写真を撮れていないのですが、要するにそんな余裕も持てないような危険な道のりだったわけです。

まず、合計約450段の石段を登ります。

段数が多いうえに、下の方はまだいいのですが、上の方は1つ1つの段の幅が狭く、山側が高くなる形で傾いているので、ちょっとバランスを崩したり足を滑らすと後ろにひっくり返りかねない恐怖があります。

手摺をつかみ、ゆっくりと登っていきます。

そうして、脚が思うように動かなくなったところに、短いとはいえ本格的な山道が待っています。

道は狭く、木の根や岩が行く手を阻み、転落防止の措置もないようなところを、手で何かをつかみ、バランスを崩さないようにしながら進んでいきます。

山頂近くには、人1人分しか通れないような岩場があり、崖に身体を向け、重心を預けるようにして横歩きで通っていきます。三国志に出てくる「蜀の桟道」のような経験を、自分の人生においてすることになるとは思いませんでした。

どれぐらい大変な場所かは、下記の記事が参考になるかと思います。

go-izu.com

 

そんなこんなで、とにかく山頂の小さい展望台にたどり着きました。

強い風が吹きつけてここもかなり怖いです。

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烏帽子山から、眼下に雲見温泉を見下ろす

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烏帽子山から堂ヶ島方面。晴れていれば富士山が見えるらしいです

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烏帽子山から南方向、伊豆半島の西南方面

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烏帽子山から西側、どこまでも広がる駿河湾の青い海

絶景をしばらく堪能したのち、山道を降りていきます。

上りと違って、手でつかめるものが乏しいので、一歩一歩しっかり踏みしめるようにして降りていきます。

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途中の拝殿近くでしばし休憩。手水は、ボタンを押したら一定時間流れる形になっていました。

そして、長い石段を降りて生還することができました。

鳥居近くには、河津桜が咲いていました。まだ時期には少し早く、3分咲き?という感じ。

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たぶん、こんな怖い道のりと事前に知っていれば行かなかったと思いますが、おかげで絶景を堪能することができました。

おすすめではありますが、それなりに覚悟と準備をして行っていただければと思います。

帰りの松崎バスターミナル行きのバスでは、終点近くまで私1人だったこともあり、運転手さんが松崎からどこに行けばいいか、見どころや公衆浴場、飲食店などをいろいろと案内してくれました。

堂ヶ島の夕陽を君といつまでも

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「日本の夕陽百選」にも選ばれたという、堂ヶ島の夕陽

流れ的には下記の記事の続きになります。

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伊豆急行からだと、伊豆急下田駅からバスで約1時間強で堂ヶ島に着きます。静岡県西伊豆町にある観光地です。

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堂ヶ島観光の拠点、堂ヶ島バス停

目の前にコンビニがあり、付近にはすし屋や、観光案内所、バス案内所、駐車場、後述する観光施設などもあり、一通りの施設がそろっている場所と言えます。

少し南にある松崎バスターミナルとの間で頻発しているほか、伊豆急下田駅修善寺駅三島駅方面のバスが発着しています。

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堂ヶ島バス停付近の主な見どころ

堂ヶ島エリアとしてはだいたい上の図の範囲になりますが、主な見どころがバス停付近にコンパクトにまとまっているので動きやすいかと思います。青い線が伊豆急下田駅からのバスルートになります。

伊豆西海岸は南北に小さな町が連なっていて、堂ヶ島以外にも南北に行けば数々の見どころがあります。

その1つ、雲見温泉近くの雲見浅間神社については下記をご参照ください。

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ただし、東京・横浜方面からの「南伊豆フリー乗車券」を利用する場合、この辺は利用できるエリアが限られるので、有効範囲はよく確認する必要があります。

全体の景観

リアス式海岸の景観美が堪能できる海岸。主な見どころ以外に散策路も整備され、様々な角度から景観を楽しむことができます。

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加山雄三ミュージアム

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堂ヶ島バス停とともに、駐車場を囲むように建っている観光施設。

核となる加山雄三ミュージアムの他、物産店、レストラン、屋外の軽食コーナーなどがあります。詳細は下記のサイトを参照ください。

加山雄三ミュージアム

施設の裏手にはコインロッカーもありますが、屋外に設置されていることもあり、ちょっとさび付いていたりしてあまり綺麗ではないです。

 

なぜ堂ヶ島加山雄三なのかというと、この少し北にある港に個人艇「光進丸」を泊めていたらしく、その縁で、町(西伊豆町)を代表する観光地としてミュージアムを作ることになった……ということのようです。

この一帯には、日中は常に加山雄三のヒット曲(君といつまでも、サライ等)が流れ続けています。

それが耳障りかというと実はそうでもなく(もちろん、好みとして受け付けない人は別ですが)、独特の朗々とした歌声と、海岸の解放感が実にマッチしていると感じます。ビーチにかかるBGMのようなもの、というとイメージしやすいでしょうか?

 

レストラン「ウィンディ」には、堂ヶ島加山雄三にちなんだメニュー、伊豆特産のわさびを使ったメニューがあります。

その中で、「若大将すきやき丼」と、わさびドレッシングで食べる海藻サラダをいただきました(定番は海鮮料理ですが、ホテルでたっぷりいただいたので…)。

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わさびドレッシングは、ごまだれと、イタリアン風がありました。個人的にはワサビの辛さはほんのり程度が好きなので、まろやかになるごまだれの方が好みでした。

すきやき丼は、「加山シェフおすすめの味付けを再現」したらしいのですが、メニューに書かれていた、「黄身を添えて『黄身をいつまでも』」という、加山雄三の名曲にひっかけたネタを見て注文してしまいました。この手のネタには弱いです。

 

加山雄三ミュージアムは、音楽活動はもちろん、個人艇「光進丸」や、もう1つの趣味の鉄道模型(HOゲージ)に関する展示もあります。

詳しくはもう忘れてしまったのですが、特定の何かにこだわるというよりは、国鉄期の古い車両と最新のE5系が同居する、好きなものを集めたという感じの展示でした。

 

堂ヶ島のトンボロ

トンボロ現象とは、普段は海によって隔てられている陸地と島が、干潮時に干上がった海底で繋がる現象。

それがこの堂ヶ島で見られます。

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滞在した時にはかすかにつながっているように見えるだけで、実際に歩いて渡ることはできませんでしたが、もっと潮が引くと、海側の島に歩いて渡れるそうです。

実際に歩いてみたいという方は、下記のページから参照できる潮位表を参照していくべきかと思います。

西伊豆観光ガイド | 三四郎島

 

天窓洞

海岸が侵食されてできた海蝕トンネル。

船で進めるほどの大きさがあり、上に穴が開いて光が差し込むところを天窓洞と呼んでいるそうです。

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遊覧船でこの中を進むことができます。乗り場はバス停の目の前で、チケットは加山雄三ミュージアム内で販売しています。

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ただ、港のように波を遮る設備がないため、波が高くなりやすく、その場合は欠航になるようです。

この写真を撮った日も、こんなに快晴なのに、波が高いために欠航でした。

天窓洞を中心とした堂ヶ島めぐりの他、伊豆西海岸の広い範囲を周遊するコースもあります。

izudougasima-yuransen.com

 

堂ヶ島の夕陽

ここに来たら外せないのが夕陽。

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下田からここに来た日、下田では天気が回復していたので期待したのですが、来てみればこうして雲が厚く、絶景を眺めることはできませんでした。

そのため、付近のホテルで一泊した後、翌日は予定を変更して堂ヶ島付近に滞在し、晴れという天気予報を信じてもう一度狙うことにしました。

日没時間が近くなったら、海岸へ移動。この日は平日だったため人も少なかったのですが、それでも日没が近づくと、カメラを構える人が増えてきました。

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写真では到底伝わらないですが、心が洗われるような、美しい夕陽でした。

この時の旅行はいろいろと誤算も多く、我ながら凹むこともあったのですが、それでもこれだけでも来てよかったと思いました。

夕陽については、2019年10月に再訪して、写真でできるだけ美しさを伝えようと頑張ってみた記事がありますので、そちらもご参照ください。

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「鉄道の旅」カテゴリについて

これまで、旅行記の形で書いてきましたが、その形を続けていくのはけっこうしんどいので、今後は

  • 旅行記として時系列で雑多な内容を詰め込むのではなく、鉄道路線単位、訪れた場所単位でエントリーを細分化する
  • 大別して「鉄道路線・列車に関するエントリー」「訪れた場所に関するエントリー」に分ける
  • カテゴリを増やし、検索をしやすくする

という形で書いていくことにしました。

既存の記事も上記の方針に沿って再編し、タイトルや本文の一部を変えた他、いくつか記事を追加しています。

 

※2019/5/22追記

カテゴリ名称を、「鉄道の旅」→「旅の記録」に変更しています。
鉄道とは限らない面も出てきたので。

開港の町・下田

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上記の記事の続きになります。

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伊豆急下田駅に到着したスーパービュー踊り子

大きな荷物をコインロッカーに預け、駅の外へ。

 

伊豆半島東南の町・下田は、下田港の風景や、遠くに伊豆七島を眺めることができる眺望、そして周辺にも数々の景勝地があることで知られています。

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寝姿山からの眺望

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開国当時のものと伝えられる大砲

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下田港の遊覧船

が、この日はあいにくの曇り空。

眺望には期待できないので、別の面を楽しみに下田を散策することにしました。

ペリーの来航後、箱館とともに最初に開港したのがこの下田でした。そういったあたりがどのように伝えられているのかを見てみたいと思っていました。

伊豆急下田駅から南へ行くと、途中に宝福寺というお寺がありました。

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開国期の歴史の一端を担う寺であったようです。

境内には坂本龍馬の木像が設置されていました。

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坂本龍馬土佐藩を脱藩して逃亡生活をしており、その中で師事した勝海舟が、土佐藩山内容堂に面会して脱藩の許しを乞うたという縁。

どうみても主役は山内容堂勝海舟なのですが、像が作られてしまうのは坂本龍馬、ということになるようです。

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その少し南には下田市民文化会館が。

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開国というのは、軍事力で強いられた屈辱の歴史というイメージがあったのですが、下田での受け止められ方は必ずしもそのようではなく、アメリカ合衆国との交流が始まった場所という位置づけのようです。

さらに南に進むと、了仙寺というお寺へ。こちらは、下田に上陸したペリー一行の応接所として、そして日米交渉の舞台として、やはり開国の歴史を彩る重要な場所のようです。

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本堂には、開国当時の様子を描いた絵が掲げられていました。「ペリー提督黒船陸戦隊調練の図」だそうです。

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この了仙寺の境内には、開国期のさまざまな資料を展示した博物館、その名も「黒船ミュージアム」という施設がありました。

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内部は例によって撮影禁止なので写真はありませんが、日米交渉に関する資料、ペリーが日本にどのようにやってきて、どのように帰っていったのかに関する資料、下田で日本人とアメリカ人がどのように暮らし、お互いがそれぞれ相手をどのように伝えたかに関する資料などが展示されていました。

個人的には、ペリーは太平洋を横断してきたイメージだったので、地中海からインド・香港経由で来たというのはかなり驚きました。

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ここは、この辺の歴史に関心がある人にはかなりおすすめではないかと思います。

ペリーは最初から艦隊で来たのではなく、一隻で寂しく出発し、香港で軍艦を追加してやってきた、とか、学校の教科書レベルの知識だと結構意外な発見があったりしますよ。

 

この了仙寺から東の参道が、「ペリーロード」と呼ばれ、下田の観光名所となっています。

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ものによっては「ペリー提督が歩いた道」などという記述もあり、ペリーが優雅に散策したようなイメージを持つかもしれませんが、実際は、ペリーは下田では港に停泊した船内に滞在しており、日本との条約交渉のために了仙寺に赴く際に、その都度この道を通った、というのが正しいようです。

 

このペリーロードを海に抜けると下田港へ出ます。

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港の裏山は下田公園として整備されており、途中の展望台からは下田港の眺望が楽しめます。

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ほぼ同じ場所に、「開国記念碑」が設置されていました。

この公園内には下田城址などもあるようですが、時間がなかったので途中で下山。伊豆急下田駅から、東海バスで西海岸の堂ヶ島へ向かいました。

この記事で言及した見どころの位置は以下の図を参照ください。

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堂ヶ島については下記の記事をご覧ください。

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中央本線(辰野支線)の夕暮れ

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上記の記事の続きです。

 

豊橋から飯田線で岡谷までやってきました。

ここから、中央本線の支線側を通り、塩尻から東京方面へ戻ります。

辰野までは、飯田線へ向かう213系の列車で折り返しです。

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列車を降りると、目の前に次の列車が待っていました。「同一ホーム乗り換え」というだけでなぜか嬉しくなってしまう不思議。

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E127系。これは何気に初めて乗る車両な気がします。

車内のワンマン運転の案内を見ると、中央本線の岡谷-辰野-塩尻間、篠ノ井線信越本線塩尻-長野間、大糸線の松本-南小谷間で運用されているのですね。

 

座席はボックスシートロングシートを通路の両側で組み合わせたタイプ。車内はガラガラで、誰もいないから写真を撮ろう! と思ったのですが、ボックスの向こうで、部活で疲れた感じの学生が寝ていたのでやめておきました(彼女は塩尻に着いても起きなかったけど、大丈夫だったかな?)。

 

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辰野を出る頃にはまだ、山のてっぺんに明るさが残っていたものの、それも次第に消え、塩尻が近くなると、もうトンネルの中なのか外なのかもよくわからない暗さに。

途中、理由は不明ですが小野駅での停車時間が長かったため、塩尻で特急に乗り換える時間は3分しかありません。

改札から1番線に降りる階段のところに、時々話題になる「極端に入口が狭い駅そば屋」がありました。

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確か、エレベーターを設置するために入口が狭くなってしまったんですよね、ここ。

せっかくならここで食べて行きたいところですが、もう特急列車の到着のアナウンスが流れています。

 

特急あずさ30号は1日1本の千葉行き。中央線用のE257系11両。中央線特急がE353系に置き換えられた後は東海道線の踊り子に転用されるようで、独特のポップな塗装も、そんなに長くはないのでしょう。

列車はすっかり暗くなった甲斐路を東へ進んでいき、塩尻ではガラガラだった車内も、上諏訪小淵沢甲府・大月と進むにつれてほぼ満席になっていきました。

 

特急は新宿から中央線を悠々と進み、御茶ノ水の手前で総武緩行線に転線し、秋葉原の人の群れを横目に通り過ぎて、総武快速線へ転線して錦糸町へ。

そういう、ちょっとリッチな気分に浸れる経験をして、この日の旅行は終わりとなりました。