君と、A列車で行こう。

鉄道とシミュレーションゲーム「A列車で行こう9」を中心に綴るブログ。当面、東北地方太平洋沿岸の訪問をメインにしています。

回生電力と蓄電池

筑肥線 唐津変電所に 「電力貯蔵装置」 を導入します! ~回生電力を有効活用し、省エネルギー化を図ります~(http://www.jrkyushu.co.jp/news/__icsFiles/afieldfile/2018/11/15/181115Newsreleasekaratsu.pdf

当社では、2018 年 11 月 20 日に筑肥線 唐津変電所に「電力貯蔵装置」を導入します。
本装置は、電車が減速するときに生み出される回生電力を、変電所に設置した蓄電池に一時的に貯蔵し、電車を走行させるための電力に再利用することで、運転時の電力使用量を削減することができます。また、大規模停電の際、駅間に停車した列車を最寄り駅まで移動させるための活用も想定しております。  

今まで、発生した回生電力は近くに電車がいればそのまま使用するだけで、使う列車がいなければ無駄になっていたのを、蓄電することで有効活用しよう、という話。

今後、再生可能エネルギーを推進するうえでも蓄電技術は重要なので、こうして導入が進むのはよいことではないかと思います。

 

trafficnews.jp

上記記事によると、この蓄電池の効果は、

今回の装置導入により、年間365メガワットアワーの削減効果を見込んでいるといいます。これは筑肥線の電車運転用電力全体の約2%、一般家庭の約90世帯分に相当するということです。 

とのことです。

「一般家庭の約90世帯分」というのが効果が高いのか低いのか…感覚としてはちょっと微妙。企業活動と一般家庭で比較されてもなあ、と思わなくもないですが。

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この写真を見てたらついやってみたくなって……

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完全に一致。

11月11日はいい飯田線の日。(2)

下記の記事の続きになります。

a-train.hateblo.jp

 

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特急「伊那路1号」で豊橋から飯田へ。ここからは各駅停車の旅になります。

 

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飯田駅の2番線から見える駅舎の天窓には、浮世絵風のステンドグラスがはめ込まれていました。

 

やってきた茅野行の普通列車は213系の2両編成。

首都圏に来てすっかり見かけなくなり、もはや「懐かしい」という感慨すら覚えるような転換クロスシート車でした。

京急2100形があるじゃないか、と言われそうですが、残念ながら沿線ではないし、「自由に転換できない」という点もまた、西の方の転換クロスシート車の手触りとは違っていたりするのです。

近くに乗ってきた女子3人組が、席を向かい合わせにする方法がわからず、特急のようにペダルを踏んで回転させるものだと思って通路側の下の方をのぞき込んだりしているので、背もたれをそのまま前に押したらいい、ということを教えてあげました。

 

ところで、残念ながら、普通列車の窓が綺麗ではないのはJR北海道だけではありませんでした。

なのでしばらくは車窓を撮る気もなく、乗り降りする乗客や伊那平の景色を眺めながら進んでいきます。

 

飯田駅を出て、短い駅間で2つ駅が続き、その次に「元善光寺」という駅があるのですが、この駅の少し手前には丘から天竜川方向に町を見下ろす眺めの良い区間があり、そこから河岸段丘の斜面に沿って、右カーブして下ってきて元善光寺駅に至ります。

この辺、篠ノ井線姨捨駅から善光寺平を見下ろし、山裾をぐるっと回って地平にある稲荷山駅に至るというのと、なんとなく似ているような気がしました。

まあ、高低差は及ぶべくもないですが。

 

トンネル続きだった天竜峡エリアから出ると、今度はカーブが多く、ほとんどスピードが出せないまま進んでいきます。時々見える速度制限標識も、50km/hとか40km/hとか、そんなのばかりです。

 

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平面図ではそれなりに平地に見えますが、実際は天竜川や支流が形成する河岸段丘の起伏が大きく、高低差を克服するために、あえて斜面の部分を選んで緩やかに上り下りしていくように線路が敷かれているようです。

 

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駒ケ根駅に到着。ここで長時間の停車があり、乗務員が交代します。
ホームに降りると、「降車時に案内が必要なお客様がいる」という旨の引継ぎをしていました。

 


駒ケ根駅を過ぎると線形もよくなり、それなりのスピードを出すようになって伊那市街へと進んでいきます。

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見事に実った柿の木。豊橋を出た時から、車窓によく同じような柿の木がありました。

 

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そして、飯田線の終点である辰野を過ぎ、天竜川のまさに川岸というしかない川岸駅を経て、岡谷駅に到着。

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列車はこの先、諏訪湖を通り過ぎて茅野まで行きますが、こちらはここで下車になります。

この先、中央本線を辰野経由で塩尻まで行き、そして特急あずさで帰るという予定。

乗り換えまで少し時間があるので、買い物の後、駅前を散策しました。

 

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駅の上を横断する長野自動車道が印象的。

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暮れなずむ町の、光と影の中の飛行機雲。

飯田線は、時刻表で見るとずらーーっと駅が並んだ、ただひたすら長い路線というように見えますが、実際には豊川・中部天竜天竜峡・駒ケ根と区間ごとに明確な変化があり、それぞれ見るべき景色があり、路線を敷設した苦労なんかも感じられたりする、案外面白い路線でした。

普通列車を乗り通すのも、ロングシートだとちょっと絶望的な気分になりますが、213系や313系の転換クロスシートなら、席さえ取れればそこまで苦痛でもないのかな……と思います。

あと、これは別に差別するつもりで書くわけではなく、個人的な好みの問題、と断っておきますが、外国人の旅行者が少なかったので比較的落ち着いた気分でいられた、というのもポイントかもしれません。

この後は下記の記事へ続きます。

a-train.hateblo.jp

11月11日はいい飯田線の日。(1)

うっかり位置情報をOFFにしてしまって、写真を撮った場所がわからず、記憶を頼りに書くしかないので早めに書いておきます。

 

飯田線は、ずっと昔から気になっていつつも、全線乗り通すのに特急利用で6時間、普通列車だと7時間、というところでなかなか手を出せなかった路線でした。

ただ、紅葉シーズンで天竜峡は見ごろらしいという情報と、下記の記事に触発されて、ついに手を出すことにしました。

trafficnews.jp

trafficnews.jp

 

といっても諸般の事情で首都圏からの日帰り強行旅です。途中駅で下車して散策するような余裕はありません。 

そんなわけで豊橋から出発です。

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豊橋まではまあ、いつもの東海道新幹線なので特筆すべきこともなく。

いやまあ、その気になれば見どころはいろいろあるんでしょうけど、この日は一日中電車に乗りっぱなしの予定なので、手を抜くところは抜くことも必要なのです。

豊橋駅でこんな駅弁があったので買っておきました。

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(この写真は飯田駅で撮影)

 

以下の2枚は、以前に豊橋から名鉄に乗った時に撮ったもの。

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飯田線名鉄は、豊橋からしばらく線路を共用していることもあり、1番線・2番線・4番線が飯田線、3番線が名鉄とほとんど一体になっているので、他のよくある駅のように中間改札で明確に区切るということができません。

なので、ICカードに経路情報を書き込むための機器だけが置かれている形になっています。

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飯田線普通列車用の車両、213系と313系が仲良く並んでいました。

特急伊那路1号は定刻に豊橋駅を出発。しばらくして名鉄が西に分かれていった後、豊川までは市街地を抜けていきますが、豊川を出るとこのようなのどかな風景に変わります。

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飯田線は、棒線駅はともかく、交換できる駅では高速に通過できる構造になっていないため、都度速度を落として慎重に通過していきます。

特急ですが、特に急ぐ気配はありません。

 

特急列車が1時間に1本走るような路線ならともかく、定期列車で1日2往復、臨時列車も1日1本あるかどうかの路線で高速化改造をするのも無駄ということでしょう。

特急が2時間に1本運転している身延線ですらそうだったのだから、まして飯田線では推して知るべし、です。

この日は長篠城駅に臨時停車。その直前、長篠城跡の横を通過する前に、車掌による観光案内がありました。

その後、本長篠湯谷温泉に停車する際にも案内が。

イメージだけで語るのもよくないのかもしれませんが、なんとなく、JR東海らしくない、という感じがしました。

 

湯谷温泉を出てしばらくすると、「車窓右手にご注目ください」というアナウンス。

右手に見えてきた宇連川の渓流がこちら。

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川底が板を敷いたように見えることから「板敷川」とも呼ばれる、というアナウンスが流れていました。

そうして、渓流を眺めながら進み、左側から流れてきた天竜川と合流すると中部天竜へ到着。この日は行楽客が多いとのことで5分遅れでした。

中部天竜を過ぎてすぐ、天竜川を渡る時に左手に見えるのが佐久間発電所水力発電としては日本最大級の発電量を誇る発電所とのこと。

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そのすぐ先には佐久間駅。これを通過して長いトンネルを抜けると、飯田線水窪(みさくぼ)川沿いに出ます。

さて、ここから先、水窪川、天竜川と続く渓流の絶景を堪能できるイメージを描いていたのですが、実際はほとんどトンネル。トンネルを抜けたわずかな区間に駅があったり、橋があって一瞬絶景が見えたり、でもそれが線路沿いを這う電線に阻まれたり、と、そんなじれったい車窓なのでした。

城西駅を出ると、飯田線の名所の1つ、渡らずの鉄橋へ。

goo.gl

あっと気づいた時には時すでに遅し、という感じで写真はありません。

本来は川の東側をトンネルで突っ切るはずが、地盤が不安定で建設後に崩壊し始めたため、やむなく放棄して川の上を迂回することになったそうです。

 

そしてしばらくして、山々に抱かれた、といった感じの町が見えてきたら、水窪駅へ到着。

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中央に見える吊り橋らしき橋が気になります。

茶畑が見えるのが、静岡の風景ですね。

 

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水窪を出ると、今度は北西へ長いトンネルを抜けて天竜川沿いへ。

そしていくつものトンネルを抜けていくと、突然、秘境駅として有名な小和田駅へ。来年、またブームが来るのかもしれません。

その小和田駅付近の天竜川上には、静岡・愛知・長野の三県境があるそうです。そして飯田線静岡県から長野県へ。

 

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ひたすらいくつものトンネルを抜けていく中、わずかに見えた絶景を電線に阻まれまくる図。

 

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日差しが強すぎて、目いっぱい補正をかけてもこれが限界という図。

 

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同じく日差しが強すぎて、窓に映るスマホや指が写り込む図。

 

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いい感じの橋! と思ったら手前の標識に邪魔をされる図。

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平岡駅の隣にある「龍泉閣」にかかる横断幕。

よくみたら宿泊・食事・温泉って割と普通でした。

 

そしてまた、ひたすらトンネルにつづくトンネルへ。

この区間飯田線の前身の1つ、「三信鉄道」という鉄道会社が開通させたそうで、筆頭株主が電力会社であったことから、電力開発のために難工事をおして開業させたそうです。Wikipediaを見ると、あまりの悪条件に朝鮮人労働者が逃げ出したという、ちょっと最近センシティブな話なんかも出てきたりします。

それにしてもまあ、よくこんなところに鉄道を通そうと思ったものです。

 

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あまりなかった、天竜川の水面近くを走る区間

 

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温田駅付近の斜張橋

そんなこんなで、ようやく視界が開けてくると天竜峡駅へ到着。

天竜峡を出ると、山間部に開けた飯田市の町の中を進んでいきます。

天竜川の西側に開けた土地で、飯田線は川から離れた高台の側を走り、町を見下ろす形になるので、眺望はなかなかのものです。

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そして、特急の終着駅、飯田駅へ到着。

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向こうには、観光客としてはあまりお世話になりたくないJR東日本の211系がいましたが、次に乗る普通列車中部天竜始発なので、きっとJR東海の転換クロスシート車が来るはずです。

 

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地元のフェスティバルのマスコットキャラ。

鉄道むすめ以降でしょうか。こういう絵柄もすっかり受け入れられるようになりましたね。

 

赤く丸い屋根が印象的な飯田駅の駅舎。

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途中の遅れのまま5分遅れで到着したので、乗り継ぎは20分弱。

この間に、豊橋駅で買った秘境駅弁当をいただきました。

tsuboya.ekiben.or.jp

よくある松花堂弁当なんですが、上のページの写真が春らしいイメージなのに比べると、例えば甘味の餡餅が干柿風にデザインしてあったりして、秋らしいお弁当になっていました。

 

ちなみに、豊橋駅の壺屋の売店は、新幹線待合室と、在来線改札内の2か所にあります。

この日は、最初に見た新幹線待合室で「遅れてて入ってきてないんです」と言われたのですが、在来線側には結構な量が積んであったので(なんでだろう?)その辺は要注意かもしれません。

 

さて、もう2800字を超えてるそうなので、続きは次の記事で。

→ 11月11日はいい飯田線の日。(2) - 君と、A列車で行こう。

鉄道と地元自治体と災害復旧と

www.westjr.co.jp

発表されたのはおととい(2018/11/5)の話ですが、今年の西日本豪雨で被災したうち、今年中に復旧の見込みが立たず「被災時から1年以上」と提示されていた、芸備線の白木山~狩留家駅間について、来年秋を目指すという見通しが公表されました。

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https://www.westjr.co.jp/press/article/items/181105_01_hiroshima_geibi.pdfより)

上記の図を見ると、単に橋梁を新設するだけではなく、拡幅や川底の掘り下げといった河川改修も行うようで、これは広島県が実施することになるのでしょう。

こういう計画を取りまとめるのはそう簡単ではないので、このために復旧見通しの発表に時間を要していたとすれば、やむを得ないことだったと考えます。ともかく、JRと自治体が協力して復旧にあたれるというのはよかったのではないかと思います。

 

この見通しが発表されるまでは、JR他社がやっているように、復旧のために地元負担を要求されたり、廃線を持ち出されるのではないか、という噂もあったようですが、それはないだろうと考えていました。

JR西日本は、ついに廃線になった三江線にしても、災害に対しては都度復旧工事を行っていたし、今回の災害についても、芸備線でもっと成績の悪い区間は迅速に復旧していたというあたりがその根拠になります。

 

こういう話でとても印象に残っているのは、JR東海名松線が2009年に豪雨で被災した時のことです。

もう見れないかと思ったのですが、かろうじて当時のニュースリリースが残っていました。

 

名松線の今後の輸送計画について
http://jr-central.co.jp/news/release/nws000410.html

 

この中で、末端区間(家城~伊勢奥津)のバス転換を提案しているわけですが、その理由としてこういう主張をしています。

このたびの被災後、路盤のみならず周辺の状況を含め、慎重な調査を実施してまいりました。その結果、地形・構造物の制約のみならず、山林を含めた周辺部からの鉄道設備への影響が大きくなっていることが改めて明らかになりました。
従って、仮に復旧したとしても同程度の自然災害ではもちろん、それ以下であっても大きな被災が発生する恐れや長期にわたる運転規制等を行わざるを得ない状況が考えられ、安全・安定輸送の提供という当社の基本的な使命を全うできず、ご利用されるお客様に大変なご不便をおかけする可能性が高いことが懸念されます。 

つまり、周辺環境がひどすぎて鉄道を運行できる環境ではないと言いたいわけです。

「別紙」として添付されている資料がさらに強烈でした。

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わざわざ写真に「対岸道路」と記入し、そして「〇雲出川対岸の道路は整備 被災なし」と、道路には被害がなかったことをわざわざ強調しているわけです。

「こんなんで鉄道なんかやってられるか! もうバカバカしいわ!」

という、心の叫びが聞こえてきそうな資料です。

 

今にして思えば、東海道新幹線の鳥飼基地の井戸の問題、リニア関係の主に静岡県との対立と、いろいろと地元自治体との軋轢を抱えまくりなJR東海の社風というか、とにかく地元の神経を逆なでしようが一向に意に介しない感じがこの時から全開なんだなあ、と思うわけですが、一方で、鉄道の運行に対する地元側の環境整備の責任ということはこの時期にはまだあまり意識されておらず、それを突き付けた意義はあった、という風に記憶しています。

 

JR西日本にしても、言いたいことはいろいろあるんだろうと思います。経営効率の観点からいえば、利用者の少ない路線で、災害復旧のたびにいちいち大金を拠出するのは無駄なのかもしれません。

今回の「第1三篠川橋りょう」の復旧は総工費が13億円と発表されていますが、仮に芸備線だけであっても、他の被災個所の復旧費用も含めれば数字は膨れ上がると思われます。

 

とはいえ、上記の名松線が復旧するまでに何年かかったか、只見線日田彦山線日高本線といった、被災を機に地元負担や廃線を持ち出す交渉をした路線がどれだけ面倒なことになったか(なっているか)を考えれば、とりあえず復旧させるところは復旧させ、廃線等の話はそれとは切り離して考える、という方が、話をスムーズに進める上では得策なのではないかと思っています。

小倍率時間スケールでダイヤを組む苦労について

12倍スケールでのダイヤ設定に苦戦しているとのことで。

第八話の方で、「神羽鉄道がダイヤ設定のため運休して不便なので、両者(弥急電鉄と川陽電鉄)で直通運転してほしい」という話を持ってきて、神戸高速みたいな直通運転をやっちゃうあたりの強引な持っていき方が面白かったです。

「快速全開」って、駅名がすごい。確かに、現実に神戸高速にある「大開」駅も、たいがいごつい駅名なのですが。

 

第九話のダイヤ設定の話、30倍速とかと比べると、

  1. 1往復ごとの所要時間が小さくなる、つまり1日に往復する数が増えるため、その分、1編成あたりのダイヤ設定にとても時間がかかる。
  2. ダイヤは1分単位でしか設定できない一方、倍率が小さくなることで1分で進める距離が長くなるため、1分未満の秒単位のズレの影響が大きくなる。

という2点があげられていて、確かにそうですよね、うんうん。と納得しながら見ていました。

2.については、そのことを机上ダイヤを組む段階で考慮しておく必要があるのですが、結局のところ試行錯誤するしかない感じではあります。

だから、せめて30秒単位でのダイヤ設定を……。

事前予告になかった「操車場(ホームなし)」が実装されたぐらいだから、今度出るであろう最終パッチで実装してもらえないかと期待しています。

 

まあ無理でしょうけど。

 

 

1.については、パターンダイヤであればある程度手を抜く方法はあります。

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上のようなダイヤであれば、9時台~16時台はパターンダイヤになるので、始発からダイヤウィザードを始めて、9時を回ったら、個別設定をする駅やポイントでは16時台まであらかじめ設定しておく。それが一巡して問題なければ、ダイヤウィザードをいったん終了して、あとは17時の手前まで300倍ぐらいで早回ししてしまうことができます。

まあ、早回しをする前に、念のためにセーブはしておく方がよいですが。

台湾鉄道事故:事故車両の「設計ミス」に関して

www.nikkei.com

結局、そういう話になっちゃうんですね……という感覚。

当初懸念されていた動力系の不具合とは違う話ですが、こんなところで思わぬミスが明らかになりました。

で、これは上記記事によると日本車両製造側が

ATPは1編成につき両側の先頭車両に付いており、その全てに同じ配線ミスがあるという。 

と「ミス」であることを認めているようなので、その見解に従っていますが、一方で、「台湾の報道では、台湾鉄道側が意図的に伝達機能を切って納品させたとされている」という説もあり、そういう説があることにも留意はしておくべきかと思います。

日本車両製造側の見解については、報道を通しての抜粋ではなく、当事者の発表を直接参照すべきかとは思いますが、現時点で日本車両製造のWebサイト(http://www.n-sharyo.co.jp/)にはまだ掲載がありません。

 

このミスが事故にどう影響しているかというとまた難しい話。

www.asahi.com

上記の朝日の記事では(というより各種報道で既報ですが)、

運転士は指令員の同意を得て装置を切ったとしているが、台湾鉄道は「報告は無かった」として主張が対立している。
台湾行政院(内閣)の調査チームは無線記録などから、指令員は運転士とのやり取りを通して事故の約3分前には装置が切れていたことを知っていたとみているが、設計ミスがなければより早い段階で事態を把握できた可能性がある。

とあり、そもそも事故に至る経緯についても見解の相違が出ているようなので。

もし「報告がなかった(ので把握できなかった)」という説に立つならば、伝達機能のミスは大きな影響を及ぼした可能性があります。

一方で、運転士と指令のやり取りの上で切っていたのであれば、伝達機能があろうがなかろうが結局のところ変わりはなく、事故への直接の影響はないと考えることもできます。

 

このことを踏まえてか、事故との関連についての日本車両製造側の見解も、日経の記事では

そのため、日本車両製造は「通知機能が働かなかったことと、事故とに因果関係はなく、制御機能自体にも問題はない」としている。 

と因果関係を明確に否定し、朝日の記事は

日本車両製造は「事故原因は当局が調べているので、事故にかかわる話かどうかは何とも言えない」(同社広報)としている。 

となっており、ここでも混乱が見られます(なので一次情報を見たいのですが)。

 

このように事実関係で争いがあるような事柄については、

  • 事実関係が今後も変わりうることを認識しておく
  • 事実関係を断定するような情報はまず疑ってかかる(情報の出所を確かめる等)
  • 報道を参照する場合、単一のソースだけではなく、できるだけ複数のソースを参照する
  • 見解を示す時には、「現時点で知りえる事実関係を前提にしたもの」であることを明確にし、前提が覆った時にはそれを認めて見解を撤回する

というような態度でいるのがよいのではないかと考えていますので、参考にしていただければと思います。

特に最後、安易に誰かを攻撃するようなことを書いてその前提条件が覆り、引っ込みがつかなくなって強弁を繰り返す、というみっともない事態になることも往々にして見受けられますので。

JR東日本・中央線の新しい特急料金体系

http://www.jreast.co.jp/press/2018/20181019.pdf

中央線特急に新たな着席サービスを導入します 

ついに導入ですね。

E353系が導入された当初から確実視されていて、あとはいつになるかという時間の問題だったので、特に驚きはありません。

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要は、今の常磐線特急と同じく、

  • 全車指定席に
  • 別途「座席未指定券」を用意し、指定を受けない場合は車内の空席に座ることができる(そこを指定している人が来たら立つ)※グリーン車は除く

ということになり、それに伴い特急料金の改定、チケットレスサービスの拡充、回数券の廃止等が行われるようです。

個人的には、特に東京発着の特急・新幹線は必ず前もって指定席を取る派なので、指定席の拡大は喜ばしいことです。

こういう制度改定は、それによってメリットを享受できる人と、デメリットを被る人が出てくる。ただそれだけの話であって、この改定がいい悪いという話ではありません。

JR東日本はこの方式を選択した」ということに過ぎません。

 

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http://www.jreast.co.jp/press/2018/20181019.pdfより)

この赤・黄・緑が乗客目線ではない、という指摘もあります。

つまり、座席未指定券を持つ人にとっては、「座れる」=「緑」であるべき、ということだと思います。

ただ、これも一面的な見方で、指定席特急券を持つ人にとっては自分の座席が確保されていることを示す「緑」になるし、もともと普通列車グリーン車において「この区間に有効なグリーン券を持っている」=「緑」という使われ方をしていて、それに合わせたという意味もあるでしょうから、このことだけをもってJRの情報デザインを批判するのもおかしいことだと思います。

 

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今はもう出ていないんじゃないかと思いますが、E353系導入当初は発車案内でも「新型」を強調していました。

 

ただ、気になるのは、全車E353系化に伴い、南小谷発着の特急あずさがなくなるのではないか、という噂(大糸線にはこれまでE353系の入線実績がないとか…?)。

もしそうだとしたら、旅行計画の1つにある列車なので、早いうちに乗っておかないといけないですね。

海辺の処理に困りつつ。

Trick a truck or treat.

という渋谷発の新しいフレーズができたようですね。

 

さて、お前は旅行に行ってばかりでA列車の動画はどうなっているのか、そもそもA列車で行こうを中心に綴るブログじゃないのか、というツッコミがそろそろ聞こえてきそうなのですが。

次は未公開エリアを走る特急にしようかと思いつつも……

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このあたりの海水浴場っぽいのがちょっとしっくりきていない上に、

 

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この海辺を処理するアイデアが枯渇していて。

 

そんなわけで、まったく進んでないのが現状です。

 

だいたい、思いつくアイデアだったり、Googleマップでいろんなところを眺めてやってみたいと思ったことは他のところで投入してしまっているので。

 

1つやってみたいこととしては江ノ島っぽいもの(河口の先に小さな島があって観光地になっている、みたいな)があるんですが、あまり派手にやると海が狭くなりすぎてしまうのが悩みどころです。

草津よいとこ 一度はおいで~♪

このフレーズって、父親が大好きでよく聴いていた(したがってよく聴かされていた)フォーク・クルセイダーズの「帰って来たヨッパライ」が由来なのだと思っていました。が、その曲の「天国よいとこ 一度はおいで」自体が草津節のパロディだったのですね。

以前、草津とは縁があったのです。といっても、群馬県草津町ではなく、滋賀県草津市でした。

その話をする時に、つい何気なく「草津」と言ってしまうのですが、東京では一瞬話が伝わらないことがあり、「群馬の草津ではなく滋賀の草津」ということを説明してようやく理解してもらえる、ということがたまにあります。

 

さて、下記の記事の続きになります。

a-train.hateblo.jp

 

東京から上越新幹線で高崎に出て、吾妻線で大前まで行って長野原草津口へ戻り(ここまでが前の記事)、そして草津温泉へ向かいます。

大前からの電車は11:17着。上野からの特急「草津31号」は11:22着。

そして、長野原草津口から草津温泉へ向かうバスは、11:31に急行(直行便)と普通(途中のバス停に停車)が出ることになっています。

この日は多客を想定してか、急行便に2号車が用意されているようでした。

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先にバスに乗り込んでのんびりしていると、特急が到着し、大勢の行楽客が排出されてきました。

乗り込んだ1号車は、全席が埋まって出発。ぐんぐんと高度を上げ、長野原町から草津町に入っていきます。それとともに、紅葉も次第に鮮やかさを増してきた感じでした。

草津温泉バスターミナル

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やがて草津温泉バスターミナルに到着。突き当たり型のターミナルは現実的にはそれほど数が多いわけではないですが、「A列車で行こう9」ではこれしかなく、嫌と言うほど見慣れた形状です。

到着した12時直前の時点で、折り返しのバスを待つ長い行列ができていました。

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バスターミナルの外観。

2階に路線バス・高速バスが入り、1階の入り口には各旅館・ホテルの送迎バスが待ち構えるという使い分けをしているようです。

2階には、確かおなじみのロゴマークは出ていなかったと思いますが、みどりの窓口の役割をする窓口があります。「JR時刻表」の索引地図でも、草津温泉は鉄道駅ではないにもかかわらず、緑のマーク(みどりの窓口のある駅)となっています。

運賃表には、長野原草津口乗り換えのバス運賃+鉄道運賃を合計した、主に東京方面の運賃が掲示されていました。

帰りをどうしようかというのは決めかねていたのですが、「充電用のUSBポート付き」というのに惹かれて、新宿行きの高速バス「ゆめぐり号」にすることにし、乗車券を購入しておきました。

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バスターミナルの目の前にある、ご当地ローソン。

この左側の店で昼食をいただきました。

六合(くに)産舞茸を使った舞茸天丼ということで、大ぶりにカットされた舞茸の天ぷらがドンドンドン、と乗っていた天丼でした。

キノコ類なので基本的に満腹感はないですが、どうせこの先いろんな店でつまみ食いするに決まっているので、これでいいのです。

ちなみに「六合(くに)」というのは、今は中之条町編入された旧六合村で、草津の隣村だったそうです。

草津は温泉で有名ですが、地場の特産品があるわけではありません。なので、地域色を出そうにも、「群馬名物ひもかわうどん」とか、「信州そば」とか、「下仁田ネギ使用」とか、どうしても近隣エリアの特産品を借りることになり、草津独自の何か、というのはなかなか難しいようです。

その中では珍しく、ご当地色の強い食材と言えるのではないかと思います。

 

さて、食事も終わっていよいよ温泉街へ向かいます。

湯畑から西の河原公園、そして露天風呂へ

バスターミナルから徒歩数分で、草津温泉の中心となる「湯畑」へ。

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近づくと硫黄の臭いが立ち込めてきて、一瞬たじろぐものがあります。

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が、とりあえず入ってみないことには始まりません。

写真の奥に並んでいる籠は、湯の花を採取するためのもののようです。

この湯畑を中心に、ベンチや足湯などの観光客が逗留できる設備、周囲を取り囲んで飲食店や旅館等が並んでおり、また、視点を変えれば四方に延びる道路に対するラウンドアバウト型の交差点としても機能しているようです。

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勢いよく湯畑からお湯が流れ落ちる湯の滝。

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湯畑を取り囲む一角にあったのがご当地セブンイレブン

さて、事前に調べていて一番見てみたくなった、西(さい)の河原公園の方へ向かいます。

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風情ある温泉街の佇まい。

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紅葉の最盛期にはまだ達していないようでしたが、道中には鮮やかに色づいた木々も見られました。

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そして西の河原公園へ。

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川が流れていますが、これは水ではなく温泉です。さわってみるとぬるめのお湯程度の温度。

足湯的な湯だまりもあり、たくさんの人がこの河原で思い思いの時を過ごしているようでした。

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念を押しておくと、ここは西(さい)の河原であって、賽の河原ではありません。

ですが、誰かが冗談半分に始めたことが、他の観光客が面白がって真似をして、こんなことになった……のかもしれません。

ただ、昔は「鬼の泉水」と呼ばれていたそうで、もしかしたら「西の河原」というネーミングも、何かしら「賽の河原」(石を積んでいると鬼が壊しに来る)とひっかけたのかもしれませんね。

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河原を上っていき、ビジターセンターを過ぎると露天風呂があります。

せっかくなのでこちらで草津の湯を味わってきました。

草津の湯は熱い、というイメージがあったのですが、湯元から離れていれば全然そんなことはなく、普通に入れます。

湯畑からはそれなりに距離があるので、暑い夏や寒い冬には少し訪ねづらいかもしれません。春や秋のように気候がいいと至福のひとときになるのではないでしょうか。

湯畑に戻って

露天風呂を出て、来た道を戻ります。

次の予定の湯もみショーまではだいぶ時間があるので、沿道にある店をじっくり見ながら戻っていきます。

草津には地場の特産品がない、ということを書きましたが、それだけにそれぞれの店がオリジナリティを出そうといろんな工夫を凝らしていて、特定の産品に頼らない多様性を生み出しているという点では、それも悪くない、という感じがしました。

湯畑に戻ると、もう14時を回っているというのに、蕎麦屋などの飲食店には、最初の時(12時台)には見られなかった行列が多数できていました。

ここで、ベンチに腰かけて、こし餡と栗餡をセットにして詰めた餅と、近隣の牧場で生産しているという濃厚なヨーグルトドリンクをいただきながら、温泉街の旅客流動について考えてみました。

上野→長野原草津口の特急草津は、以下のようなダイヤになっています。

もっと早く着く列車がないのが、以前から気になっていました。

逆方向も、長野原草津口発が12:04~15:43と、朝や夕方ではなく昼過ぎの時間に集中しています。草津温泉からのバスも考慮すれば、11:00~15:00頃に集中しているといってもいい感じです。

 

考えてみれば、草津温泉を訪れる人の大半は、宿泊前提で来るわけです。

そして宿泊するということは、だいたいの場合、午後~夕方にチェックインして、出発日の午前にチェックアウトすることになります。

そのまま帰る人は昼前ぐらいには草津を出るだろうし、ついでにどっか見ていこうという人は午後になるかもしれない。

そういう人のためのダイヤを組むとしたら、昼過ぎ頃に到着して、昼頃出るダイヤになるのはむしろ理にかなっているわけです。

そして、そういう動きをするからこそ、昼時ではなく、昼を過ぎてから多くの利用客が集まって来て、店に行列ができるのでしょう。

温泉街への輸送に特化したダイヤというのは今まであまり考えたことがなかったのですが、特急草津の場合、高崎までは新幹線があるため、中之条も含めてほぼ温泉目的に特化した運行形態になっているということを、今回、現地で人の流れを目の当たりにして認識できたような気がしました。

 

この後は湯もみショーを見て帰るのですが、もう3,300字を超えているということで記事を分けることにします。続きは下記の記事で。

a-train.hateblo.jp